Logo for novels

ケリーの母(3)

広島駅で降り、改札口を出ると、40歳代の男が、ケリーに話しかけてきた。

「ケリーさんですか?」

流暢な英語だった。

ケリーが黙ってうなずくと、その男の顔には笑顔が広がって、

「僕、柳沢まことです」

と、自己紹介した。ケリーは日本に来ることが決まって、初めて母の実家に手紙を書いたら、この柳沢まことから返事が来て、広島駅に出迎えるということだった。

「ケリーです。今日は出迎えをありがとう」と言って、握手のために手を出すと誠もその手を握って握手をした。

「手紙でも説明しましたが、僕は、ケリーさんのお母さんの従姉、清子の孫です。僕の家族の中で英語が出来るのは、僕だけだというので、僕がケリーさんの出迎えを祖母に頼まれたんですよ。僕は高校の英語の教師をしています。駐車場に車を停めていますから、駐車場まで行きましょう。お荷物、お持ちしましょうか?」

誠は、ケリーの小さなスーツケースとアタッシュケースを見て言った。

「いや、いいですよ。世界中、この荷物で旅行して、慣れていますから」

「そうですか。ケリーさんは日本は初めてだそうですね」

「4歳の時に母に連れられて戻って以来、初めてです」

「ケリーさんのお母さんも一度も日本に戻らないと祖母がこぼしていましたよ」

「余り、日本にはいい思い出がありませんからねえ」ケリーは苦虫をつぶした顔で言った。

誠は、白いマツダの車に乗ってきていた。オーストラリアではナビのついている車は珍しいが、この車にはナビがついていた。

「この車、ナビがついているんですねえ」とケリーが驚いたように言うと、誠は不思議そうな顔をして、

「日本の車はほとんどナビがついているんですが、オーストラリアでは珍しいんですか?」

「ナビがほしい人はほとんど別売りのナビを買うので、最初からナビを備え付けた車って言うのは、高級車に限られていますねえ」

「そうですか」今度は、誠が驚く番だった。

車は広島の市街地を出ると、右手に瀬戸内海のたおやかな海、左手に丘のような山を見て電車の線路に沿って走った。

「おばあさんはお元気ですか?」

「祖母ももう90歳ですからね。元気といえば元気ですが、耳が遠くって、大声で話さなければいけないので、話すほうは疲れますよ」

「そうですか」

「お母さんは、いつ亡くなられたんですか?」

「去年です」

「そうですか。亡くなられる前に一緒に一度日本にいらしたら良かったのに…」

「ええ。でも、母が日本に帰りたがらなかったので…」

「曾おじいさんのことを聞きましたよ。お母さんにひどい仕打ちをしたんだそうですね」

「もう、そのことは思い出したくありませんね」とケリーの表情が硬くなった。

それからしばらく沈黙が続いたが、呉の町が近くなったとき、誠は急に思い出したように言った。

「実は、僕子供の頃、ビル・モーガンさんというオーストラリア人から英語を習っていたのですが、そのモーガン先生は、ケリーさんのお父さんをよく知っていると言っていましたよ。今日の晩御飯にはモーガン先生も招待していますから、モーガン先生から色々昔のことなど聞かれたらいいでしょう」

ケリーは、急に父親の話が出ても、何の感慨もわかなかった。4歳のとき別れたまま一度も会っていない。母が去年病気で倒れたとき、父に知らせようかなとも思ったが、母から絶対に知らせないようにと言われ、居所をつきとめることさえしなかった。

「その、ビルという人もオーストラリアの進駐軍の兵士だったんですか?」

「そうだそうです。モーガン先生も日本女性と結婚したんですが、結局オーストラリアには戻らないで日本に住み着いちゃったんですよ」

「そうですか。そんな人もいたんですか」

呉の市街地に入って少し山道に入ったところに、清子の家があった。山の中腹にあるその家は、古い日本家屋だったが、がっちりしていて、大きかった。駐車場のある前庭で車を降りると、大きな松に大きな石があり、典型的な日本庭園が見られた。

家の中に入るとすぐに清子の待っている応接間に通された。応接間には日本の置物や人形などが所狭しと飾られた。清子は、ケリーが誠の後について入ってくると、しわくちゃの顔をほころばせて、

「ケリーね。いらっしゃい」と、言った。

しゃきっと背中を伸ばして座っている清子は90歳とは思えなかった。

ケリーが清子の肩を抱いて、ほっぺたにキスをすると、清子はまるで乙女のようにはにかんで、ケリーを驚かせた。

「おばあちゃん。まるで恋人に会ったみたいじゃね」と誠がひやかすと、

「外人さんにキスされるなんて、初めてじゃけんね」と、清子は顔を赤くして言った。

清子の外人さんと言う言葉を誠は訳さなかった。ケリーが気を悪くするだろうと、思ったからだ。代わりに若い男の人と訳した。

ケリーが清子の向かい側のソファーに腰をおろすと、応接間のドアが開き、30代の清楚な感じがする女性が、お盆にコーヒーとケーキを持って入ってきた。

誠は「僕の妻の、恵です」と言って、ケリーに紹介した。

「誠さんは清子さんと同居しているんですか?」

「ええ、そうです。まあ、今では核家族が普通ですから、祖母と同居の家なんて珍しがられるんですが…」

清子、誠、恵の三人に囲まれて、母親が亡くなって以来、ケリーは初めて血のつながりのある人たちと会ったことに気づいた。ケリーはずうっと独身だった。研究に専念したこともその理由の一つだが、母親と同居していたためでもある。なんだか、血縁関係のある人といることが、こんなにも穏やかな気持ちにさせるのかと、自分でも不思議だった。

清子が誠に用意させていた写真のアルバムがテーブルにのっていた。

「これが、私と美佐ちゃん。うちも近くじゃったし、年も3歳しか離れとらんかったけん、昔はとっても仲が良かったんよ」

そのアルバムには、海水浴に行ったときの二人の写真や、お花見のときの写真など、幸せな子供時代を思われる写真が収められていた。もっとも写真は小学生のときのしかなく、それから日本が戦争に突入してからは、写真をとることもなかったようだ。

「美佐ちゃんは、ちょっとおませなところがあってね。よく近所の男の子をからかっていたわ。頭は良くて、いつも学年で一番じゃった。だから、あんたのような優秀な子供ができたんじゃろうけれど…」

清子の思い出話はつきなかった。そして清子の思い出に残っている美佐子と、ケリーの記憶に残っている美佐子には、大きなギャップがあることに、ケリーは気づいた。おちゃめで陽気だったという子供の時の美佐子。いつも眉間にしわを寄せて、笑うことも少なかったオーストラリアでの美佐子。それだけ、母親がオーストラリアで苦労したためだろうと、ケリーは思った。

「あんたのおじいちゃん、10年前に亡くなってしもうたけれど、美佐ちゃんのことは、気に病んでいたようじゃ。美佐ちゃんがあんたを連れて帰ったとき、あんな仕打ちをしたことを悔やんでいたようだよ。死ぬ前に、美佐子はどうしとるんじゃろかと、何度もおばさんに聞いたいたそうじゃけんね。おじいさんは、美佐ちゃんを自分の友達の息子さんと結婚させるつもりじゃたけん、美佐ちゃんがジェラルドさんを連れてきたときには、驚くやら怒るやら。可愛さあまって憎さ百倍というのが、本当のところじゃろうね」

あの鬼のような祖父が、そんな気持ちでいたとは、ケリーには意外だった。しかし、そんな話を聞いても、祖父に対する嫌悪感はなくならなかった。

著作権所有者:久保田満里子

関連記事

最新記事

カレンダー

<  2026-10  >
日月火水木金土
        01 02 03
04 05 06 07 08 09 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

記事一覧

マイカテゴリー