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ケーコの物語(3)

~~ケーコは、学部で共同で使っているプリンターに、メアリーの書いた日本の大学への請求書が、そのまま残されているのに気づき、何となく興味を引かれて、請求書を見た。メアリーの農場の訪問の項目が目に入ったが、その金額を見て驚いた。三千ドル請求していたのだ。あのたいして見るところのない農場訪問に三千ドルなんて、とりすぎではないかと思った。その請求書の下から、大学に対する報告書が出てきたのだが、それを見て、もっと衝撃を受けた。その報告書には、農場訪問の収入が入っていなかったのだ。あの三千ドルは、メアリーがネコババしたと言うことだろうか。そうとしか考えられない。そう気づくと、メアリーに対する疑惑がムクムクと膨れ上がった。
その日は、メアリーと顔を合わすこともなく帰宅したが、これからメアリーに会ったとき、どんな顔をすればいいのだろうかと思い悩んだ。
翌朝、メアリーと顔を合わせたが、「グッドモーニング」と言った後、何となく目線を避けてしまった。きっとメアリーは、ケーコのことを変な奴だと思ったに違いない。
メアリーの不正をどう指摘したらいいだろう。メアリーに直接聞いたほうがいいのだろうか?でも、そんなことをするとメアリーとの関係は悪化して、せっかくの楽しかった職場が一転して地獄になることは目に見えている。それから2,3日、日本人の友人の彩加にも相談してみた。彩加は、学部長のスコットに言ってみることをすすめた。そうだ、スコットなら、どうにかしてくれるかもしれない。そう思うといても立ってもいられなくなって、翌朝一番でスコットの部屋のドアを思い切ってノックした。
「どうぞ」とスコットの声がして、部屋に入ると、スコットはコンピュータの前に座って、誰かにメールを書いているところだった。チラッとケーコのほうを見ると、すぐにコンピュータに目を戻した。
「今、メールを書いているところで、悪いけど、ちょっとそこに座って待ってくれないか。一分ですむから」
ケーコは言われるままに、スコットの机の前にある椅子に座った。スコットの机の上は書類の山積みになっていた。1分もしないうちにメールを書き上げたスコットは、コンピューターからケーコのほうに目を移し、
「今日は何の用?また何かいいアイディアでも浮かんだ?」と聞いた。
いつも日本に宣伝する方法などを思いつくと、すぐにスコットの部屋のドアをたたくので、スコットは今日もそんな用件でケーコが来たと思ったらしい。
「スコット。日本の大学に、農場訪問の名目で三千ドル、請求しているの知っている?」
「細かい金額のことまでは覚えていないけれど、確かにそのくらいのお金を請求していると思うけれど、それが何か問題がある?」
スコットは、たいして興味のなさそうな顔で聞きかえした。
「その農場訪問と言うのは、メアリーの農場の事なのは、知っているでしょ?」
「うん。知っているよ」
「メアリーの農場、見たことある?」
「うん、2,3度メアリーに招待されて行ったことがあるけれど、それがどうかしたの?」
「メアリーの農場って、羊が4匹しかいないような小さなところで、たいして見る価値ないと思うけれど、それに対して三千ドルなんて、とり過ぎだとは思わない」
そういうと、スコットは眉間にしわを寄せて、
「三千ドルが高いかどうかは、主観的な問題だから、何ともいえないね」
「それに…」
ケーコがいいにくそうにしていると、
「それに、なんだい?」
「それに、その三千ドルのことは大学に出す書類には載っていないんです。おかしいと思いませんか?」
「一体君は何がいいたいんだね」
スコットは少し苛立ったような声になった。
「つまり、私の言いたいのは、大学にはその三千ドルの収入が報告されていないということは、メアリーがそのままその三千ドルを自分の懐に入れているんじゃないかと…」
皆まで言わせないでスコットは声を荒げて、ケーコの言葉をさえぎった。
「君はメアリーがネコババしているといいたいのかね」
「そうとしか考えられないんじゃないでしょうか」
「君はメアリーに聞いてみたかね」
「いいえ。もし間違っていたらメアリーの気分を害するかもしれないので言えないんです。だからどう対処したらいいか分からないので、先生のお知恵を拝借したいと思い、相談に来たんです」
「そんな根も葉もないことを言いふらすなんて、けしからんと思わんかね」
スコットの剣幕にケーコはたじたじとなってしまった。
「ケーコが直接聞けないのなら、僕がメアリーに聞いてみるよ」と、苦々しい顔をケーコに向けた。今まで機嫌の悪いスコットを見たことがなかったケーコは、驚いてしまった。
スコットの部屋を出たケーコは、後悔していた。スコットに相談なんかするんじゃなかったと。
その日の夕方、帰る前にトイレに入ったケーコは、メアリーに出くわした。メアリーはこれからも出かけるところがあるようで、鏡を見ながら長い髪にブラシをかけているところだった。鏡に映ったケーコの姿を認めると、くるりと振り向いたかと思うと、恐ろしい顔つきになって、
「ケーコ、何かスコットにおかしなことを言ったそうね。いい加減なうわさを流したりしたら、承知しないから」と、ケーコをにらみつけた。メアリーに返す言葉もなく、慌ててトイレの個室に駆け込んだ。胸がドキドキしている。こんなに早くメアリーの耳に入っているとは、思いもしなかった。メアリーがドアの外にいると思うと、出ていけなくて、しばらく、息を潜めていた。やっと、メアリーが出て行くカッカッと響くハイヒールの音が遠ざかるのを耳にして、初めておそるおそる個室のドアを開けた。
ケーコは今頃になって、スコットとメアリーが共犯だったのではないかと気づいた。どれくらい大学から給料をもらっているのか知らないが、二人とも別荘や農場を持っていると言うことは、維持費だけでもかなりのお金がかかるはずだ。二人で3千ドルを山分けしているのかもしれない。いや、一校につき3千ドルだから、6校の合計は1万八千ドルということになる。
その晩、ケーコは眠られなかった。スコットの苦々しい顔とメアリーの怒りに燃えた目が頭に浮かんでは消えた。
これから、私はどうしたらいいのだろうかと、これからのことを思うとお先真っ暗だった。
翌日、メアリーを見かけた。ケーコが「グッドモーニング」と挨拶すると、メアリーは『グッドモーニング』と挨拶をしたが、その顔は引きつっていて、冷たい目をしていた。明らかさまにケーコを避けている。いつもは、クラスが終わるたびに、「日本の学生ったら、皆アメリカ英語を習っているようね。studentの発音がスチューデンツと言わないで、スツーデンツって言うのよ。それはアメリカ英語よと言うと、僕はアメリカ英語を習いたいので、それでいいなんて生意気なことを言うのよ」などと、学生の愚痴をこぼしたり、学生のおかしな間違いを話して、ケーコを笑わせていたのだが、その日を境に、決して自分からケーコの側に寄ってこなくなった。スコットも同じだった。挨拶をするといつもニッコリして、「ケーコは元気がいいなあ」と、いつも励ましの言葉を一言かけてくれていたのが、事務的に挨拶をかえすことしかしなくなった。ケーコは針の筵に座らされたような、居心地の悪さを感じるようになった。
そんな日が来る日も来る日も続き、一ヶ月も経つと、辞表を出そうかと考えるまでにいたっていた。でも、次の仕事が決まらないうちに仕事をやめることなどできなかった。新聞の求人欄を隅から隅まで目を通すようになったが、なかなか自分のやりたいような仕事はない。あれほど楽しかった職場が、今では、仮病を使って休みたいほど、毎朝出かけるのが苦痛になってきた。

注:この物語はフィクションです。
著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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