Logo for novels

ケーコの物語(1)

~~ケーコは刷り上ったばかりの名刺を手にして、これで、私もこの大学の一員になったのかと思うと、心の奥底から喜びが湧き出てきた。
その名刺には、
「メンジーズ大学 国際部 日本担当 中岸恵子」と書かれ、裏返すと、英語で肩書きが書かれていた。
  ここは、メルボルン。オーストラリアの大学は皆政府の予算が年々減らされて行き、どの大学も資金繰りに四苦八苦していた。
 メンジーズ大学も例外ではなく、留学生を増やすことによって、資金を確保しようとしていた。地元の学生からは政府が決めた金額以上の学費はとれないが、留学生にはそういう規定がないのだ。オーストラリアの教育産業は、いまではオーストラリアのサービス産業では、観光についで輸出の第二に位置するほどになっている。2011年の輸出額は830億ドル(およそ8兆円)にもなっている。
ケーコもこの仕事に応募し、面接試験を受けた時、学部長のスコットから
「あなたの仕事は日本からできるだけたくさんの留学生を勧誘してくることです」とはっきり言われた。
ケーコは色白の目のパッチリした美人で、今年35歳になる。それまで高校で日本語を教えていた。教え子たちにも人気があり、その仕事に不満があったわけではないが、ケーコはチャレンジ精神に満ちていて、メンジーズ大学の募集を新聞で見つけて応募し、幸運にも採用されたのだ。
「あなたの仕事は日本の大学に我が大学の英語のコースを宣伝することですから、日本語を教えるわけではありません。ですから、英語のコースを担当するメアリーと二人三脚で仕事をしてください」と、学部長から紹介されたのは、カールのかかった赤毛の豊かな髪を肩までたらしたスペイン系の美女を思わせる女性だった。大きな目に長いまつげ、真っ赤な口紅をつけた大きな口。日焼けをしたような肌は、肉付きの良い体とあいまって、情熱的な女性のような印象を受けた。
メアリーは、
「これから、仲良くやっていきましょうね。あなたが勧誘してくる学生の英語の授業は、私に任せておいて」と、力強く握手しながら、にっこりと笑った。
ケーコは、フレンドリーなメアリーと、仲良くやっていけそうな気がして、ほっとした。
ケーコに最初に与えられた仕事は、日本の協定校を回って、英語のコースの説明をして、学生を勧誘することだった。留学してくる学生には、一年間メンジーズ大学の授業を受けさせれば、一番お金がかからなくてよいのだが、日本から来る学生のほとんどは、英語力がなくて、現地の学生と同じようなクラスに参加させるのは無理だった。日本の大学と違って、オーストラリアの大学では毎週専門書や論文を読むことが課せられ、口頭で議論をすることも点数に組み込まれているのだから、英語の読み書きが、かなりできなければいけない。だから結局は日本人の学生用に英語だけを教えるコースを作る必要があった。
「夏休みを利用してくる学生のためにも、短期の集中講座を作る必要があるわね。カリキュラム作成にもあなたの知恵を貸して」
メアリーに言われて、ケーコは、高校でのカリキュラムを思い出し、学生が興味を持ちそうなアイディアを出して、メアリーを喜ばせた。
「せっかくオーストラリアに来るんだから、オーストラリアの農場に連れて行くのも、おもしろいと思うわ」と、ケーコが言うと、メアリーは目を輝かせて、
「実は私、メルボルンの郊外に農場を持っているのよ。そこに連れて行けばいいわね」と言った。
「へえ。農場を持っているの?すごい!」
ケーコは壮大な草原に黙々と草を食べている羊や牛の群を想像した。
「それだったら、どこに行くか考えなくてもすむわね。オーストラリアの自然を堪能してもらいましょうよ」
ケーコはうきうきしながら答えた。
「オーストラリアの歴史も少しは教えなくちゃね。小学生用の歴史のテキストがあるからそれを使えばいいわね」と、メアリーが言った。
「小学生用のテキストねえ」
ケーコは小学生用のテキストを大学生の授業の教材に使うなんて、何だが日本の大学生が馬鹿にされたようで、抵抗があった。それに無味乾燥なテキストを使うことには賛成できなかったが、そうかと言って、ほかにいい考えも浮かばないので、しぶしぶ同意した。
カリキュラムが決まると、宣伝に出かけることになった。
自分の大学のコースの売り込みなので、オーストラリアを出る前に協定校の留学生担当の責任者と会う約束をとりつけて、日本に向かった。日本で会う大学関係者のためのお土産には、メンジーズ大学の名前の入ったボールペンを何本もかばんに入れて持っていった。どっさり入れた刷り上ったばかりのパンフレットが重く感じられた。日本にいる間に土日は休暇をとってもいいと言われたので、母に会いに行こうと、ケーコは今回の日本への出張は楽しみだった。
日本に行くと、どの大学でも歓待してくれた。協定校の担当者は皆おじさんという感じだったが、美人で底抜けに明るいケーコは受けがよく、どの大学との話し合いもスムーズに行った。お昼ご飯を招待してくれるところも多かったので、おいしい日本料理をただで食べられるというご利益もあった。ダイエットには、よくなかったが。中にはケーコのためにメンジーズ大学の説明会を企画し、学生を集めてくれたところもあった。そんな説明会では、学生たちからは、生活費がいくらくらいかかるかとか、どんな宿泊施設があるのかなど、色々質問が出て、活気のある説明会を開くことができた。ユーモア溢れるケーコの話は好評だった。出張の合間に母親に会いに行ったが、自分の仕事の話ばかりしてしまい、「あんた、仕事中毒じゃないの」と、母親にやんわり非難されるくらい、ケーコは仕事にのめりこんだ。
  帰りの飛行機の中で、ほとんどの大学が留学生を送る約束をしてくれたことを思いだし、ケーコは思わずにんまりした。
7校中6校から留学生を送ってくれる約束をとりつけたことを報告すると、スコットは、
「ケーコすごいじゃないか!大成功だな」と感嘆の声をあげ、
「よくやった!」とケーコの背中をたたいた。
ケーコは、この大学に転職して本当に良かった、私に向いている仕事をやっとみつけたと顔を紅潮させ、心が浮き立った。
それからの1ヶ月は、次から次に来る日本人の留学生の世話に明け暮れた。忙しいけれど、張り切って仕事に全力投球した。
ある日、スコットから、
「来週の土曜日、暇?」と聞かれた。まさかデートの誘いではないだろうとは思ったものの、一瞬どっきりした。返事につまっているケーコの反応を見て、スコットが笑い出した。
「実は、来週の土曜日、フィリップ島にある別荘で、パーティーでもしようと思ってね、皆に声をかけているんだ」
なんだ。それならそうと早く言ってくれればいいのにと思いながら、
「喜んで行きます」と答えた。
学部長から別荘に招待されるなんて、自分がこの学部の重要な一員だと認められたからだと、ほくほくした。
 

著作権所有者:久保田満里子

関連記事

最新記事

カレンダー

<  2024-03  >
          01 02
03 04 05 06 07 08 09
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

記事一覧

マイカテゴリー