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ケーコの物語(2)

~~スコットから手渡された住所を頼りにたどり着いた家は、小高い丘の上に建っていて、フィリップ湾が一目で見渡せる鉄筋コンクリート2階建ての素晴らしい家だった。
スコットに案内されて中に入ると、新築のその家は、応接間の湾に面するところは一面ガラス張りになっていて、バルコニーの向こうに、大きな紺色の海がどこまでも広がっていた。
「素敵!」
思わず感嘆の声をあげると、先に来ていたメアリーが、ワイングラスを片手にケーコの背中から、「いつ見ても、見飽きない風景よね」と言った。メアリーとスコットは親しそうだとは思っていたが、メアリーは何度もこの別荘を訪れているようだった。
応接間はすでに人で溢れかえっていて、スコットは招待客を紹介してくれたが20人ばかりいる客の名前は覚え切れなかった。中国人も2人いたが、日本人は自分だけで、後は皆白人だった。招待客の中には副学長もいて、スコットとかなり親しげに話していた。
皆ワイングラスやビールのジョッキを抱えて、立ち話をしており、部屋の中は人声とロックの音楽でにぎわっていた。ケーコも、話の輪に加わり、大学のいろんなゴシップを聞くことができた。どうやら、来年は新しい学長が来そうだというので、その話題が多かった。ケーコは自分のような下っ端には学長が変わってもたいした影響はなさそうに思えた。
「まあ、学長がかわったからって、私には関係ないと思うけど…」と興味なさそうに言うと、メアリーからこっぴどく叱られた。
「ケーコ、そんなのんきな態度では、大学では生き抜いていけないわよ。学長が変われば必ず学部の見直しがされて、赤字になったところから、ばっさり切られるんだから」
スコットも話に加わり、
「そうだよ。ケーコは本当によくやってくれて感謝しているけれど、実際に日本の大学から入ってくる収入の10%しか、僕たちの学部の収入にしかならないんだよ」
ケーコはそれを聞いて驚いてしまった。
「たったの10%ですか?あとの90%はどこに消えちゃうんですか?」
「教室の使用料とか、宣伝代とか、学生の登録の手続き代とか、いろんな名目で大学の本部に取られてしまうんだよ。だから、ケーコもこれで十分なんて勘違いしないで、もっと収入を増やす手立てを考えてくれよ」
それを聞くとげんなりしてしまい、皿に盛ったバーベキューの羊肉やソーセージに対する食欲が急激に減退してしまった。
それでも、その晩フィリップ島からの帰り道、ケーコは、スコットやメアリーなど学部の人と少し親密になれて嬉しく、思わず運転しながら鼻歌が出た。
ケーコが勧誘してきた日本からの留学生の世話も少し慣れた頃、今度はメアリーから誘いがかかった。
「うちの農場に来週の土曜日、遊びに来ない?」
「わあ、ありがとう」
都会に住んでいるケーコは、農場を訪れるのは初めてだった。オーストラリアの農場と言えば、きっと見渡す限り草原が広がっている所なのだろう。ケーコは、ワクワクして、前の晩、よく眠れなかった。
メアリーから渡された住所は、メルボルンの市街地を出て、車で走ること1時間。高速道路から脇にそれて、単調なユーカリ林の中の土砂道を10分走ったところだった。
ところが、上機嫌でケーコを迎えてくれたメアリーに案内された農場は、普通の家の裏庭がちょっと大きめなもので、農場と呼ぶに値しないようなものだった。何しろ歩かなくて、家から全部が一望できるくらいの広さしかない。羊も4頭くらいしかいない。確かに池もあって、あひるも飼っていたが、動物はあひると羊だけ。農場も10分もすれば、全部見終わってしまうような小さな所だった。農場と言えば、牛や馬もいるのが普通だろう。そうは思ったものの、メアリーが趣味で持っている農場だから、そんなに大規模なものを期待するのがおかしいのかもしれないと思い直した。
木造の小さな家のベランダで、メアリーの作ったスコーンと紅茶をもらい、農場を見渡しながらケーコは、メアリーは日本の留学生に何を見せているのだろうかと疑問に思った。せっかく仲良くなれたメアリーと議論をするのはためらわれ、自分の失望を胸のうちに押し込めようとしたが、ついつい聞いてみた。
「日本の留学生たちに何を見せているの?」
「羊の飼い方を説明したり、近くの農場にも連れて行くわよ。お隣さんは1キロ先にあるけれど、そこでは馬や牛も飼ってきて、希望者には乗馬もさせてくれるから」
メアリーはたいして気にも留める風もなく、答えた。
ケーコは、帰り道、メアリーのやり方に批判的になっている自分を感じた。
オーストラリアの歴史を小学生用のテキストを使うだけの授業のやり方も、もっと工夫して面白く教えればいいのにと思った。日本人の留学生たちは、日本の大学の授業も、面白くないのが当たり前だと思っているせいか、不満の声は聞かれなかったが、ケーコは少々不満だった。
そんなある日、ケーコは、驚くべきことを発見して、愕然とした。

著作権所有者:久保田満里子
 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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