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ヒーラー(5)

次に電話をもらったのは、その二日後だった。今度の依頼人は訛りのある英語だったので、どこかの国の移民だと思われた。

「ジェーンさんから、ようこさんに娘さんの乳がんを治してもらったって聞いたんですが、うちの家内も胃癌にかかって苦しんでいるんです。治してもらえないだろうかね」

「わたし、医者ではないので、治せといわれても、困るんですけど…」

「いや、あんたが医者ではないのは知っているよ。うちの家内はローレンさんと同じ病院に入院していたんですが、ローレンさんが完治して退院されたと聞いて、その訳を聞くと、あなたに祈ってもらったのだということでした。私の家内も癌の放射線の治療には体が参っています。助けてもらえませんか?」

私はジェーンに言ったことを繰り返した。

「たまたまローレンさんは治りましたが、私があなたの奥さんの病気を治せるとは保証できないんですよ」

「それでもいいんです」

そういう訳で、私にとって2番目の患者になるエレンに会った。エレンは50代のレバノン人の女性だった。エレンの夫のムハメドは男らしい感じのするハンサムな男だった。典型的な中東の人の顔で、肌が少し浅黒く、髪の毛も黒く、濃くて太い眉毛をし、その眉毛の下には人を射る様な鋭い目があった。口ひげを生やしていたが、その口ひげも黒くて濃かった。ムハメドに聞いた話によると、二人は30年前にレバノンから移民としてオーストラリアに来て、がむしゃらに働いたおかげで、今ではメルボルンでも有名なレバノン料理のレストランを経営しているということだった。「やっとお金もでき、これから二人で人生を楽しもうというときになって、こんな病気になって、何のために生きているのかわからなくなるよ」とムハメドはさかんに嘆いていた。

私は、ローレンにしたときと同じように、エレンを寝かせ、エレンの胃の上に手をかざし、ひたすら祈った。祈りの済んだ後、エレンは「とても楽になりました」と、来たときと比べて血の気のさしてきた顔に笑みを浮かべて帰っていった。後でムハメドからお礼の電話が来た。

「これで、妻にも楽をさせてやることができます」と言う喜びの声を聞いて、私も自分の病気が治ったような嬉しい気分になった。

 

次の依頼が入ったのは、その翌日だった。こんなに次々と依頼がくるとは思いもしなかったので、私は戸惑った。その依頼主は、知り合いの日本人から一度紹介されたことのある美佐さんからだった。美佐さんはもう80歳を超える人で、戦争花嫁と呼ばれる人の一人だった。美佐さんは広島県の呉でオーストラリア軍の占領部隊の一人だったマイクさんと知り合って結婚して、オーストラリアに渡ってきたのは戦後7年経ってからのことだったそうだ。その頃オーストラリアは白豪主義を貫いており、日本人の美佐さんは結婚しても中々入国を認めてもらえなかったのだ。メルボルンの日本人社会では、戦争花嫁と言うと蔑視される傾向がある。普通の家庭に育った貞操のある日本女性は外国人なんかと結婚しない。だから戦争花嫁は日本では売春婦とか水商売の女だったのだろうと偏見をもたれたことが原因のようだ。戦争花嫁は日本人コミュニティーからも冷たい目で見られたが、オーストラリアでも日本は第二次大戦の時の敵国だったということもあり、戦争直後日本人だと言えば、敵愾心を持って見られた。だからオーストラリアに来た当初は日本人でであることを隠していた人も多かったそうだ。そんなにまで苦労をしてオーストラリアに来たのは、きっと美佐さんがマイクさんを愛していたたからであろう。美佐さんから電話をもらった時は、ちょっと驚いた。

「どうされたんですか?」

「あのう、ようこさんが、祈祷してご主人の病気を治されたと聞いたんですが、本当でしょうか?」

「えっ?誰にお聞きになりました?」

日本人のコミュニティーでも、そのうわさが広がっているのかと思うと、あまりいい気はしなかった。

「井上さんに聞きましたけど」

「井上さん?」

自分の知り合いの名前が挙げられるのだろうと思っていた私は、余り親しくもない人の名前を聞いて、一瞬誰のことかと思った。そういえば、情報レーダーがはっていて、メルボルンに住む日本人のことなら何でも知っているというメルボルン在住40年になるという私の最も苦手とするタイプのおばさんのことだと、思い当たった。

「あの、井上美智子さん?」

「そうです」

「井上さんから、どんなことをお聞きになったのか、知りませんが、夫が胃癌だといわれた時、夫の治癒を願って祈ったら、夫の癌が消えていたという不思議なことはありましたが、私に特別の力があるとは思わないんですが」

私は正直な気持ちを話した。

「でも、癌細胞が消えていたと言うのは、ほんとうなのですね?」

「それはそうですけど…」

「じゃあ、是非お願いします。夫はお医者さんから、もうさじを投げ出されたんです。確かに主人はもう80歳を超えてはいますが、いつまでも、生きていて欲しいんです。お願いします」美佐さんはもう涙声だった。

私は結局また美佐さんに泣きつかれた感じで、祈祷を引き受けてしまった。

その翌日、約束の時間に美佐さんは夫のエリックさんを連れてきた。ご主人は、頬がこけ、白髪の髪の毛も薄くなっており、毛深い腕はしわしわになってやせ細っており、かなり弱っているのが、感じられた。

「主人のエリックです。こちら、先日お話したようこさんよ」

美佐さんは私とご主人を紹介した。

「迷惑かけますね。私はもう死んでもよいと思っているのに、美佐がともかくあなたに会ってくれって言って、聞かないんですよ」

エリックは、小声で、よく耳を澄まさないと聞こえないような、小さな弱々しい声で言った。

私は、自分で生きたいと言う意欲を持たない人を治すのは、余り意味がないように思われた。私の心を見透かしたように、美佐さんはエリックさんを叱りつけるように言った。

「死んでもいいなんて、とんだもないことだわ。あなたには長生きしてもらわなくちゃ」

「エリックさん。美佐さんから私のことについて、どんなことを聞いているのか知りませんが、私は、病気に打ち克ちたいと願っている人の思いを手助けしてあげるだけで、自分自身に何か特別な能力があるとは思っていません。エリックさんが、生きる意欲を持っていらっしゃらないのなら、私の祈祷は効き目があるとは思えません」

私は顔はエリックに向かって言ったが、本当は美佐さんに向かって言ったのだ。エリックは、

「美佐が自分のことを愛してくれて、少しでも長生きしてほしいと思ってくれているのは分かるのですが、僕は自分で十分に生きたと思っています。それに死ぬことによって、苦しみから逃れられるなら、死ぬほうがましだと思うようになっているんです」

「あなた、何のことを言っているの?あなたが苦しんでいるなんて、初めて聞いたわ。一体どうしたって言うの?」

美佐さんはエリックが苦しいと言っているのを初めて聞いたようで、血相を変えて言った。すると、エリックは、悲しそうな目をして、

「美佐。僕は今までずっと苦しんできたことがあるんだよ。このことは誰にも話したことがなかったんだが、もう長生きしないと聞いて、ようやく、お前に本当のことを話す気になったよ。僕は恐ろしい罪を過去に犯したんだ。そのことで、どれほど苦しんだことか。毎晩悪夢にうなされて、一日たりともぐっすりと眠ったことがないんだ」

美佐さんは、突然のエリックの告白に驚いたようだ。

「あなたのような優しいいい人が、過去に罪を犯したなんて、信じられないわ。どんなことをしたっていうの?」

美佐さんは少しヒステリック気味に叫んだ。

エリックは遠い昔の事を思い出すように目を閉じた。そして突然クックッと泣き出し、泣き声を抑えようとしてか右手の甲で口を覆った。そしてしばらくその感情の流れに身を委ねていたかのようだったが、その感情の波がひいたのを機に、美佐さんにとって思いがけない話をし始めた。エリックは赤の他人の私が側にいるのも、忘れているようだった。

著作権所有者:久保田満里子

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アーティスティックで庶民的な街へ、のんびりお散歩。

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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