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ヒーラー(4)

翌日2時に、50代と思われる白人の女性が、30歳ぐらいの女性を抱きかかえるようにして連れてきた。電話してきたのは年配の女性の方で、ジェーンと言う名前だった。若い女性はジェーンの娘でローレンと言った。ローレンは乳房の摘出手術をした後、化学療法を受けているとのことで、頭の髪の毛が抜けていて、それを隠すために、毛糸で編んだピンクの帽子をかぶっていた。私はすぐに客用の寝室のベッドにローレンに横になるように言い、ローレンを寝かせた。

「いつ癌にかかったのが、分かったのですか?」

「去年です。それから癌細胞のあるところを摘出して、化学療法を続けていたのですが、先日の検査で、癌細胞がリンパ腺まで広がっているといわれたのです」

娘に代わって、ジェーンが答えた。

「お祈りは、喜んでさせてもらいますが、一番大切なことはローレンさん、あなたが癌に打ち勝ちたいという強い意志をもっていることです。私の祈りの力だけでは、どうしようもありません。いいですか?」

そう言うと、青白い顔をしたローレンはこっくり頷いた。

「じゃあ、私がお祈りする間、あなたも自分は治るんだと信じてお祈りしてくださいね」と言って、ジョンに対してしたように、片手をローレンの癌に冒されている左の乳房の上にかかげ、祈り始めた。

うつむいて「ローレンが元気になりますように」と繰り返して言いながら、頭の中でローレンが元気になっている姿を思い浮かべた。ひたすら祈っているうちに掌が熱くなったように思ったら、電流が流れ始めたように感じた。ジョンにしたときと同じ感覚が戻ってきた。ローレンは目を瞑ったまま、私に合わせて祈っているようだった。1時間もそうしていただろうか。ローレンは眠気に襲われたようで、軽い寝息をたて始めた。

私はローレンが治ったことを予感した。だから、祈りをやめ、ローレンに毛布をかけて、ジェーンに言った。

「ローレンをこのまま少し眠らせてあげましょう」

居間にローレンを残して、私はジェーンを食堂に誘って、ジェーンにコーヒーを出した。ジェーンはコーヒーを飲みながら、ぼつぼつ身の上話をしてくれた。

「ローレンには3歳の娘と5歳になる息子がいるんです。それなのに、去年乳がんにかかったことが分かり、乳房を切り取ったんですよ。ローレンが乳がんを発見したのは本当に偶然だったのです。ローレンが言うには、テレビの報道番組で、オーストラリアで乳癌になる人が多いと言っているのを他人事のように聞いていたけれど、シャワーを浴びていたとき思いついて自分で乳房を押して自己検診してみると、なんだか豆粒みたいなグリグリするものがあるのに気づいたんだそうです。まさかと思ったけれど、お医者さんに行ったら、検査に送られ、その結果やはり乳癌だと言われたんです。でもまだ初期の段階だから直る見込みが高いと言われ、癌の治療をし始め、一旦は回復したのです。でもローレンが癌と戦っていた間、夫のトムは若い女を作って、結局うちを出て行ってしまったんです。かわいそうにローレンは、そのショックから生きる気力をなくしてしまったせいか、今年また癌が再発したのです。癌と戦いながら、一人で子育てをしなければならないはめになって、本当にかわいそうで…」とそこまで言うと、ジェーンは涙ぐんで、ハンカチを取り出し、目頭を押さえた。

「それは、お気の毒ですね」私は、ローレンに同情して言った。

「私も夫も何とかローレンの手助けをしてやりたいと思っているのですが、トムがうちを出て行ったことで、精神的なショックから立ち直れないようなのです。まだ、32歳ですからね。子供たちが小さいから、死ぬわけにはいかないといいながら、時折疲れ切って、もう死んでしまいたいなんて口走るようになったので、心配しているのです。体さえ元気になれば、精神的にも強くなれると思うのですが」

私はどういって慰めてあげればよいのか分からず、黙って聞いていた。

客用の寝室のほうで何か物音がしたので行ってみると、ローレンが目を覚ましたようだった。

ジェーンが

「ローレン、気分はどう?」と聞くと

「私、知らないうちに眠ってしまっていたようね。楽になったわ」と起き上がった。

「まだ治っているかどうか分からないけれど、私にできることはやりました。ただ、幸運を祈るのみです」と、私が言うと

「無理に押しかけてきてすみません。でも、気分だけはよくなりました」とローレンは答えた。

その後、帰りがけにジェーンが

「おいくらお払いしたらいいでしょうか?」と聞くのでびっくりした。

「治っているかどうかもわからないのに、いいですよ」と私は言ったが、

「それではこちらの気が済みませんから」と、ジェーンはお金の入った封筒を私に押し付けて帰っていった。

封筒を開けてみると百ドル札が十枚入っていた。あんなことでお金をもらっていいのだろうかと気がとがめたが、お金をもらって嬉しくなかったといえば嘘になる。

会社から戻ったジョンにお金を見せると

「一日で千ドルももうけるなんて、すごいじゃないか」と嬉しそうに言った。

それからローレンはどうなったのかと気にかけながらも、私は、いつものように掃除の仕事に出かけていた。ローレンが来て一週間経った日、ジェーンから電話があった。

「洋子さん、ローレンの癌細胞が消えていました。奇跡が起こったんですよ。ありがとうございます」と感激でむせび泣きながら礼を言うジェーンの声を聞きながら、私は天にも昇るような喜びを感じた。人の命を助けたという喜びは、ジョンが完治した奇跡を見たときはまた違った喜びだった。

著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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