ヒーラー(1)
更新日: 2013-09-02
私の名前はようこ・ウォーカー。オーストラリア人のジョン・ウォーカーと結婚してメルボルンに住んでいる。ジョンとはインターネットを通して知り合った。英語の勉強にと、英語のインターネットのチャットのサイトにいくと、ジョンもそのチャットに加わっていたのだ。お互いにイギリスのロックバンドのラジオヘッドのファンだとわかって、意気投合した。ラジオヘッドの歌は、可愛らしい曲もあれば、ハードな不協和音を奏でる曲もある。しかし、私が気に入ったのは、琴のメロディーのような哀愁感の漂う『ストリート・スピリット』と言う曲。それにいじめにあったというトム・ヨークの作った詞は、世界でいつも自分が皆に溶け込めないという違和感と孤独感が語られ、何だか自分の気持ちにもぴったり合ったからだ。私自身はお琴を習ったことはないが、母が時々弾くのを傍らで聞いていて、「あれ、この『ストリート・スピリット』って、何だかお琴で弾けばいい曲」と思って母に聞かせると、母も「まあ、ロックにしては珍しい旋律の曲ね」と言っていた。ジョンとは最初は、チャットだけだったのだが、それからお互いに好きなバンドの曲を電子メールで送りあいこした。そして、知り合って1年後に、私がオーストラリアのツアーでメルボルンに3日行った時、ジョンと初めて会った。その前に写真は電子メールで送ってきていたので、どんな顔の人かと言うことぐらいは分かっていた。その時大学3年生だったジョンは、写真で見る限り、茶色の髪をし、これまた茶色の目をした長い睫のほっそりとした背の高い青年だった。まるで少女マンガに出てくる青年を思わせて、一目で好きになった。友達や親にインターネットで知り合った人とメルボルンで会うんだと言うと危険だからやめなさいと猛反対された。インターネットを通してだといくらでも嘘がつけるというのだ。確かにそうだが、メールの交換をしている限りでは、気が合うというか、心が通い合っていると思った。しかし実際に会うとなると、どんな人かしらとジョンに会う前の日は胸がドキドキして眠れなかった。そして、運命の出会いの日、ジョンはメルボルン空港に迎えに来てくれた。私はほんとにジョンに一目惚れした。そしてツアーのグループを抜け出して、メルボルンにいた3日間はほとんどジョンと過ごした。ジョンは好きなバンドが演奏しているからと、パブと言う日本の居酒屋に当たるようなところに連れて行ってくれた。日本にいて生演奏と言うのをほとんどきいたことがなかった私には、こじんまりしたパブでのバンドの演奏は強烈だった。パブの近くに行くと、表の通りからでも耳をつんだくようなエレキギターとドラムの音が空気を貫き、テーブルや椅子を振動させた。これを中に入って聴くとなると、鼓膜が破れるのではないかと心配になったが、ジョンは気を利かして耳栓を二人分もってきてくれていた。実際にジョンはラジオヘッドがメルボルンに来た時演奏を聞きに行ったそうだが、耳栓もしなかったので、後で2日くらい耳鳴りがして音が聞こえなくなり、もう一生耳が聞こえなくなるのではないかと恐怖に陥ったそうだ。ジョンとの会話には不自由をしなかったといえば嘘になる。ジョンはゆっくりと一言一言単語を切って英語を話してくれ、私も一言一言単語を思い出しながら話した。私は分からない単語が出てくると、ジョンに電子辞書を渡して、発音の仕方を教えてもらった。その3日間は夢のように楽しい毎日だった。その時ジョンはガールフレンドがいるんだと写真をみせてくれた。茶色の大きな目をした頬がふっくらした丸顔の可愛い魅力的な子だった。そのガールフレンドに対してやきもちがムラムラ湧き上がったが、到底競争して勝てる相手とは思えなかった。私にとって幸いなことに、彼女はアルバイトがあるとかで、その3日間はジョンと二人だけで過ごせた。私たちは友達としてこれからも付き合っていこうと言って別れた。その一ヵ月後、ジョンから彼女と別れたとメールで知らせてきた。彼女に他の好きな男ができたらしい。私は傷心のジョンを慰めた。それから私たちの仲は急速に接近して、その次の年の春にジョンは日本に遊びに来た。そしてその半年後にメルボルンで結婚式を挙げた。結婚式の招待状を見た人は誰もが、「ジョンとようこなんてビートルズみたいね」と言って笑った。ロックが二人をとりもってくれたのだから、二人ともそう言われると嬉しいねと言って顔を見合わせた。今はもう結婚して5年になるが、子供はまだいない。ジョンは今はコンピュータのプログラマーとして、忙しい毎日を送っている。
そんなある日、ジョンが蒼い顔してうちに帰ってきた。
「どうしたの?顔色が良くないけど」私が心配顔で聞くと、ジョンは今にも泣き出しそうな顔をして
「俺、今日医者から癌かもしれないから内視鏡で検査するように言われたよ」と言う。
「またまた何を言ってるの?貴方みたいに健康に細心の注意を払っている人が、癌になるはずないじゃない」と、私はジョンの不安を笑い飛ばした。
ジョンは、毎朝6時に起きて1時間ジョギングして、大好きなチーズやステーキを食べる量も減らし食事にも気をつけている。運動を一切しないし脂っこいものが大好きと言う私とは大違いだ。
ジョンは最近胃がしくしく痛むと言っていたが、今日会社の帰りにかかりつけの医師、マクファーソン先生に会いにいったのだ。
「検査しないと分からないんでしょ。だったら先走りして心配したって仕方ないじゃない」
「それは、そうなんだけど…。おれの親父は胃癌で死んだのを話したことあったっけ?」
「いいえ、聞いていないわ」と答えると、
「おれの親父、おれが大学2年のとき胃癌を宣告されて3ヵ月後に亡くなったんだけど、その亡くなる前の2ヶ月、痛みにのたうちまわって苦しんでいたんだ。あの親父の姿を思い出すと、ぞっとするんだ」と、ジョンはすっかりもう胃癌を宣告されたようにしょげ返っている。
「お父さんが胃癌だったからって、あなたが胃癌になるとは限らないでしょ。それで、胃の検査はいつあるの?」
「来週の水曜日の朝9時に、朝ごはんを食べないで来いって言われたよ。麻酔をかけるから、誰かに付き添ってもらって来いって言うことだったよ」
「それじゃあ私、来週の水曜日はバイトを休むわね」
私は「クリーニング・レディ」と言われるアルバイトをしている。「クリーニング・レディ」と言うと聞こえがいいが、要は掃除のおばさんである。私はとりたてて掃除が好きなわけではなかったが、英語を使って仕事をするほど英語に自信があるわけでもないし、日本の高校でいじめにあったため積極的に日本人コミュニティーに溶け込んでいける自信もなかった。だから特に誰とも話さなくてすむ掃除婦の仕事が一番性に合っていた。私は4人のお得意さんをもっていて、月曜日以外の週日は毎日仕事をしていた。水曜日の朝は、いつもブライトンにあるマクミランさんのお宅の掃除に行っている。
「俺、死ぬのかな」といつもは陽気なジョンがその日から、うつうつした顔を見せるようになっていった。
著作権所有者:久保田満里子