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第二十三回  でかい顔

身体的特徴や個人情報を論うことは、日本人を初めアジア人の得意技。

「太ったな。痩せてるね。足が短いね。」とか、「結婚してるの?子供は?年はいくつ?住んでいる家はいくらで買ったの?」などと聞かないと申し訳ないように思わせる社会。もっとも最近は、まったく他人に興味を示さず話さない若者が増産されているらしいが。

日本人は奥ゆかしく、相手の気持ちを察して直接表現を避ける、なんていわれているがこと身体的特徴や個人情報などに関しては垣根がないのだろうか。不思議な国と言われる所以だ。

私は、自慢じゃないが見せたいくらい顔がでかい。因みに、写真を撮るのが大好きなんだが、前面に出たりした日にゃ私だけが写ってしまうという特技がある。以前お付き合いさせていただいていたオーストラリア人の女性が言った。You have a strong face.ものは言いようだな、といたく感動してお付き合いを継続させていただいたのを覚えている。日本語でも、「腹が出ていますね。」より、「恰幅がよろしいようで。」なんていわれれば、思わずご飯ももう一杯、とかお代わりにはずみもつくもの。

オランダ系の連れ合いは、日本に二年滞在したことがあるので日本語がある程度わかる。
「でっかい顔!」。私に対する物言いは実にストレートで、しかも最初の「で」が遠慮なく強調された日本語表現となっていて、その語感の要領が実にいい。まったく裏表のない連れ合いの性格は、それだけに尊敬したくなるほど筋が通っていて潔い。クレームでもつけたら、「でっかいものをでっかいと言ってどこが悪い。」と嵩にかかってこられそうで黙ってしまうのが常。

西洋人といっても、ものすごい幅があるだろうが、私の場合相手は直球が飛び交うオランダ系、たまには変化球とかの世界もなんて望む術もない。しかし、20年も一緒にいると、かえってこれが連れ合い流の思い遣りなんだ、なんて思えてくるから不思議なものだ。

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第二十ニ回 メルボルン、街のカフェで皿洗いをしていたころ

「タコ、水曜日の夜、時間あるかい?クラブに行こう。楽しいぜ、良い女が沢山いるんだぜ。」
同僚のミルトンというギリシャ系のオーストラリア人から誘われたのだ。1985年の9月、私はメルボルンの街中のカフェでバイトをしていた。

ミルトンは、背が低くお世辞にもいい男とはいえない感じで、しかも女性に対してはキツイ嫌味ばっかり言っているので全く人気がない。しかし、私に対してはすごく親切に接してくれていた。

その夜、ミルトンは私を、飲んで食べて 踊れるクラブに連れて行ってくれたのだ。結構、いい料理も出るし、しかも安い。10人編成くらいのバンドの生演奏もある。30代、40代、そして50代の人が多く来る所で子供はいない。ディスコのオトナ版といったところだ。

でも、私は得体の知れぬ大柄なアジア人、英語も覚束ない。なかなか、話しかけられない。一体、何を話したらいいんだ?天気の話でもしろというのか?私は日本人ですって言えばいいのか?それがどうした、って言われたら後が続かない。それもそうだ。因みに、いろいろなパーティーでまったく知らない人と話さないことが多い社会だが、未だにやや苦手ではある。

ミルトンは、いろいろな人に話しかけてダンスに誘って、そのたびにあっさり断られていた。私は、結局、誰とも話せずにカウンターでハイボールを飲み続けていた。不甲斐ないギリシャ人と、場違いな元相撲取りのようなアジア人とで空元気を出して酔って騒いで帰ってきた。

ミルトンは、口ほどにもなく誰とも話したり踊ったりすることができなかった自分自身を恥じているようでもあっ た。因みに、ギリシャ人は昔世界制覇したとかいう歴史に負けまいとして傲慢にふるまっているように見えなくもない。

次の週、ミルトンは私をバララットの金鉱山へ連れて行ってくれた。それは、それで楽しかったが、なんだかミルトンの笑顔が本当は泣いているように見え始めて心から楽しむことができなくなってしまった。職場では皆にわざと嫌われるようないじけた態度で通していたし、女友達はおろか男の友達もいないようなそんなミルトンの姿が痛ましく見え始めてしまった。

それから、2週間してわたしは急に仕事を辞めないといけないハメになり、そのカフェを後にした。そして、それ以来ミルトンとも会わなくなってしまった。

このカフェが、私のメルボルンの原点だったと言える。14,5歳の若いバイトのオージーと毎日毎日皿を洗っていた。移住を求めて歩き出した第一歩の場所だった。実はこのカフェは、2,3年前までずっと街中にありたまにランチに行ったりしていたが、ビルの改造があって残念ながら取り壊されてしまった。行くと必ずキッチンからあのミルトンが出て来てくれて、「タコ、飲みに行こう!」と言ってくれそうな錯覚をおぼえた店だったが、もう跡形もない。

私のメルボルンの形で触れる想い出がまた一つ無くなってしまった。

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第二十一回 肉体派女優との共演だったのだが、、、

ちょっと前に、「風のガーデン」のDVDを全て見た。初めての倉本作品だった。緒方さんの演技が現実とダブって見ているのが辛かった。彼は、死んでいく息子の姿を見守る父親の演技を、どういう気持ちでやっていたのだろうか。

この映画で一番注目して見ていたのは、緒方さん以外には誰だったろうか。実は私の場合は、床屋の元同級生役石田えりさんだった。

私は、こう見えてもあの石田さんとは一度メルボルンで共演しているのだ。1989年12月29日のことだった。年末ぎりぎりというスケジュール。日本でも上映されたが、あまりぱっとしなかった「AYA」という映画に、レストランの客として出演した。因みに、私は幼稚園のときからジイサン役で活躍していた。
「花咲かジイサン」「こぶ取りジイサン」とかが当り役になっていた。現在は、「小太りジイサン」とか揶揄されてはいるが。

「緊張することないわよ、たかが映画よ。」
待ち時間などで彼女と話すことがあったが、彼女はこういって私の気持ちをほぐしてくれた。その大胆な肢体と共に堂々とした態度に、役者の風格を感じた。英語でのシーンも結構あったが、しっかりとこなしていた。そこへいくと元日本語教師、セリフは僅か一言でしかも日本語なのに上がってしまった。普段は、「役者!」とか言われているのに、本番では唯の人、落ち着きがない。

しばらくして、映画の試写会の通知が来た。
「待ちに待った試写会のお知らせです。何月何日、どこどこで、、、。 ところで、タコさんの出演されたレストランのシーンですが、映画全体が長くなり過ぎたのでカットさせていただくことになりました。それでは、当日お会いできますこと楽しみにしております。」

この石田さんと一緒に食事をするシーンは、朝の7時から入って12時間もかけて撮った見逃せない場面だった。これで、俳優への道は厳しいものになってしまった。海外にいると、日本人が少ないのでこういう機会が日本にいるよりはずっと多いのだが。

この経験を踏まえて、この後いろいろと準備はしてきているのだが、残念ながら未だに全くお声がかからない。

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第二十話 人妻とバーで飲んでいたら、、、

「本当に嫌になっちゃいます。主人は、友達が来たりしても私に、部屋から出てくるなっていうんですよ。そんなのってあります?ひどいでしょう?私を恥ずかしく思ってるのかしら。紹介したりしたくないみたいなの。」

随分まえに、オーストラリア人と結婚している日本女性と二人で飲んでいるときに、そ
んな話が飛び出した。雰囲気のいいバーだったが、かなり重い話をするハメになった。

オーストラリア、離婚の多い国だ。二組に一組は離婚だそうだ。そして、国際結婚の離婚率は、そうでない場合より可なり高いと聞く。暮らしてみて習慣や風習が違ってうまくいかなくなるようだ。

しかし、この二人はどう考えてもおかしいと私も思った。正当に妻として扱われていない、私も人ごとながら憤慨してしまった。オーストラリアは、常にカップルが前面に出る社会。そんなのはその旦那の方がよく十分知っている筈。とんでもない男だ。
「そんなの、別れることも考えるべきですよ。どう考えてもおかしいですよ。」私は、そう言った。彼女も、それほど見当外れな回答だとは思わないだろうと思った。

「何言ってるんですか。私たちの仲も知らないクセに。勝手なこと言わないでください!冗談じゃないですよ!」
私は、何をしてしまったのだろうか。すごい剣幕なのだ。何だったんだ、体のいいのろけだったんだろうか。冗談じゃないといいたいのはこっちの方だった。しかし、彼女があまりに激怒しているので、私は謝るしかなかった。ハイボールをもう一杯勧めて、お茶ならぬ酒を濁した。しかし、落ち着いて考えてみたら、やはり私が軽率だったと 納得。私は、物事に勘違いが先行する性質、これはなかなか治らない。男女間は、そのカップルの数だけ違った関係があり違った問題もある。

私は、これ以降はいろいろな人に相談を受けたときは、極力意見を言わない「聞くだけ人生相談」に徹することにしている。

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第十九回 酔った女性と話すときは、、、、、

「あなたほどかっこいい日本の男は初めてよ。」
ニュージーランドの南島の更に南、フィヨルドで有名なクイーンズタウンのパブで、カナダから旅行にきていたセラという大柄な女性からそう言われた。今までどんな日本人に会ってきたのかと訊き返したくもなったが、正直のところは嬉しくてこの言葉、額にいれて東村山の実家のお祖父さんの写真の横にでも飾っておきたいと思えるほどだったのだが、、、、。

1985年の年越しは、普段は2千人の町が大晦日には3万人になるといわれているこの美しい町で過ごすことにした。バッパーに荷物を降ろすと、そのまま町にでてまずパブに入った。狭いカウンターでビールを注文すると、栗毛の髪を肩まで垂らしてビールを飲んでいる女性と目が合った。中は外からの光が遮られ、アンバー色の灯りが薄く広がっている。

「どこから来たの?」
話かけてきたのは彼女からだった。もう、だいぶビールが回っているようで、ろれつも回っていないし、からだが前後に揺れる。背が180センチはあろうかと思えるほどの大きくプレーボーイのピンナップガールでも務まるほどの容姿だった。ショートパンツに、申し訳程度に着ている薄手のTシャツは大きく上下に揺れる。

夕方から飲み始めてしばらく一緒にいたが、その内セラは同じカナダ人と思われる人たちと一緒にどこかに行ってしまった。

「ごめんなさいね。昨夜は酔ってからんだりして。」
「私ね、カナダのカルグリーで彼氏と終わって、もうカナダには居たくなくて旅に出たの。」
翌朝、町を歩いていたら出くわした。本当に小さな町で同じ人と何度も出会う。しらふのセラが神妙にそう言い出した。よく私を覚えていてくれたもんだ。そして、そんなことまで話してくれて驚いた。どうやら彼女は、失恋の痛手を背負った感傷旅行に来ていたようだった。それで、浴びるほど酒を飲んでいたのだろうか。

「昨日のことはほとんど覚えていないの。気持ち悪くなって年を越す前に宿に帰ったし。
私、何か変なこと言わなかった?」
「可也酔っていたけど、変なことなんって言ってないよ。大丈夫だよ。ところでセラ、今までどんな日本の男と知り合ってきたの?」
好奇心が抑えられなく聞いてしまった。
「タコ、あなたが初めて話した日本人の男性よ。」
どうやら、酔っていながらきつい冗談を発したようだった。これで、東村山の額の話はご破算になった。まだこういうことに免疫のない頃で、物事を額面通りに受け取ってしまって自分でも呆れてしまった。

「今、世界旅行に出ているの。オーストラリア、日本にも行くわ。そのときは連絡するね、タコ。メルボルンよね。これに住所書いて。」
屈託のない笑顔だった。世界中のパブを同じように酔って、同じような事を言って飲みまわるのだろう。とんだ当て馬にされたもんだ。そして、このセラが、3カ月してメルボルン本当にやってきたのだ。

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第十八 パンツが その2 

「タコさんさ、悪いんだけどね黒のレースのパンティーとブラジャー買ってきてくれないかな。」吉祥寺のキャバレーの呼び込みをやっていたとかいう話ではない。

1996年、私は考える事があって日本語教師を辞め、日本のTVなどの制作会社の現地コーディネーター会社で仕事をし始めた。仕事の響きはいいが、ようは制作会社の末端の何でも屋だ。車の運転から、撮影の許可取得、撮影現場の下見と決定、食事の手配からホテルの手配など全てだ。手配料はまとまったお金になるが、時間があってないようなもので、時給にしたらたいしたことはない。まさに体力勝負の仕事だった。

ウイリアムスタウンという海辺の町でモデル撮影の仕事を請け負った。服を着ての撮影ということでモデル会社と契約して撮影に入った。

「下着姿の撮影もやっちゃおや。」
撮影の途中で、突然制作会社の川崎さんが言い出した。渋るモデルを説得してやることになった。そして、私が、下着を買う役目になったのだ。1人で女性の下着を買いに行くのは初めてのこと。黒のレース、という注文がついていた。

町を走り回ってやっと下着屋さんを見つけて入った。元相撲取りのような大きなアジア人が、息をハアハア言わせて黒い下着を探している。私は必死だったが、店の人は訝しがって私を見つめていた。変な趣味があると思ったのだろうが。因みに、ある時池袋西武デパートで女性物の洋服を土産用に物色していたときに店員さんが、「どうぞ、試着もできます。」と言った。
一瞬、後ろを見てしまいそうになった。間違いなく私に言っていた。日本は多様な国になってきているように感じして、思わず試着をしそうになったことがあった。

なんだか、頭がぼーっとしながらも、エロチックな黒のレースのパンティーとブラジャーを買って急いで店を出て撮影現場に戻った。

私はもうすぐ45歳になる頃のことだった。何を言われても「はい、はい。」と、腰を低くして小回りのきく男芸者のような仕事がこの仕事だったが、まったくゼロからスタートするにはちょっと年を取り過ぎていた。変な頑固さとか、わがままの鎧はなかなか崩れない。

全く初めて会った、年もあまり違わないこの川崎さんという人に何度も何度も怒鳴られた。幼稚園の頃から、怒られたり怒鳴られたりすることに弱い。反応が、すぐ顔に出る。ポーカーフェイスができない。律義な警察官の息子。半年して、当たり前のように、この仕事は辞めることになった。

実は、この黒いレースの下着の一件には続きがあって、この撮影の後モデル会社の社長に呼び出しをくらい、下着撮影なんて契約違反だと怒鳴られた。そして、大仰な追加料金をふっかけられた。結局、この仕事中終始怒鳴られていたことになってしまった。

自分で買った透け透けの黒いレースの下着を身に着けたモデルが、目の前で真っ青な海をバックにして、金髪をなびかせて私に目一杯微笑みながら横たわっている。いつまでも終わってもらいたくない一瞬だった。

「その下着、私が買ったんですよ!」

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第十七回 パンツが


今回は、番外編、タコ社長大学生の時の出会い。

細い階段を上ると、だだっ広いクラブのような部屋があった。もう営業していないこの部屋は薄暗いアンバー色の電球に照らされて、意味もなくそこにある。古いソファーのかびたような匂いがする。私はここで、いつも独りで白いYシャツと高校時代の黒のズボンに履き替え、蝶ネクタイをしてスタンバイする。部屋の隅には、ジュークボックスがあり只で掛けられる。来る日も来る日も、アメリカの「名前のない馬」とカリー・サイモンの「うつろな愛」を聴いていた。
You're so vain
You probably think this song is about you
You're so vain
I'll bet you think this song is about you
Don't you? Don't you?

あなたは、自意識過剰でうぬぼれ屋 ♪

 「お早うございます!」階段を下りて元気な声で皆に挨拶する。池袋西口「ロサ会館」の横にあったエロ映画館の前の喫茶店「ニューサカエ」での仕事のスタートだ。1974年1月、大学1年の冬休みにここで夕方からバイトをしていた。やっと、チョコレートパフェ、クリームあんみつなんかが手早く作れるようになっていた。8人ほど座れるカウンターを1人で任されることもあった。
 ある日、化粧のやや濃い30代半ばの肉感的な女性が1人でカウンターに座った。髪を茶色に染めてパーマを大きくかけている。口紅は真っ赤だ。薄茶色のパンタロンに白のブラウスで、何とも艶めかしい。
カウンターの高い位置から、何度もこの女性を見てしまった。すると、パンタロンの色と同じでよく見ないと分からなかったが、パンタロンのジッパーが空いていて下着が見えているのだ。女性は上目づかいに私を見ながら、薄く微笑んでいる。私にはそう見えた。パフェを作りながら手が定まらない。「誘われているのだろうか?そんな訳はない。」21歳の世間知らずの心が、空気を抜いた風船のように暴れる。
 「新しい顔ね。」「はい、2週間目です。」会話はそれだけで、続かなかった。あらぬ先のことまで想像してしまって、心臓の鼓動が痛い。すると女性は、下を向いたかと思うと、ものすごい勢いでジッパーを上げ、急に怖い形相になり私を睨みつけて勘定を済ませ出て行ってしまった。
 その後ろ姿をガラス張りから追いかけ、エロ映画館の金髪女性の姿態を見つめながら思った。「そんな訳、ないだろう!」状況判断を遠慮なく間違え、物事を正確に捉えられない特性は今に続いている。

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第十六回 離婚に弾みがついてきているのだろうか

「今、付き合っているのは4回の離婚歴のある男性なんですって。どう思う?」

どう思うって訊かれても、まだ離婚1回しか経験していない私にはどうにも役不足。こちらの人と結婚されているS子さんが、お友達のA子さん65歳のことでの相談だった。昔から、どういう訳か人生相談を受けることが多い私で、聞くだけ人生相談と称している。一見、人畜無害に産んでくれた両親に感謝すべきか。

きいてみたら、その相手の男性は最近住んでいた妹さんの家を出されて住むところのない75歳のオーストラリアの男性なのだという。老いらくの恋だろうか。これなら、4回は理解できるなどとはまったく思わないが、結構の年の方だ。

離婚歴といい、年齢といい、ちょっと前なら相談を受けることさえない領域だったが、どうやらそういうことに相応しい年齢に私がなってきているのだろうか、と中高年力に弾みがつくような相談ではあった。もっとも人生100年なんて時代が視野に入ってきている昨今、これからこういう相談を受けることがどんどん増えてくるのかもしれない。

ふと日本のニュースをみたら、昔「前略おふくろ様」でその演技力を見せつけたショーケンが4度目結婚か、というのが出ていた。配役とセリフの面白さで結構、見ていたドラマだった。父も、「かすみちゃん」とかいって見ていたが、私は同じ年の桃井かおりのファンになってしまった。

http://www.youtube.com/watch?v=8bMcuFmcO_c

日本でも今後離婚に弾みがついて、私も「中高年聞くだけ人生相談」にのることができそうな素地ができつつあるのだろうか。

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第十五回 大富豪オナシスさんの言葉に従って


ギリシャの大富豪、オナシスが言ったという。
「どんなに小さくて貧弱な所でも、有名な地域に住め。」
どちらかというと富豪に弱い私、メルボルンの田園調布と言われているトゥーラックに住むことにした。ある日、歩いていたら30分間に5台のロールスロイスを見た。人が金持ちなのを自慢しても何も始まらないが。そのトゥーラックのフラットに住んだ。家具付きの一部屋のスタジオタイプで、当時週75ドルだった。隣の部屋には、日本人のワーホリの男女4人が住んでいた。ちょっとお邪魔したい気もしたが遠慮した。

ある朝カーテンを開けると、大きな窓ガラスに黄色い卵の線が太く何本も流れている。小さな殻なんかもひっついていて、朝日に当たって綺麗だ、なんて思ったわけではないが、一瞬何があったのか飲みこめなかった。投げられて間もなかったら、ちょっときれいに取って、朝食の生卵ぶっかけご飯とかに利用できたのだが、固まっていた。拭き取るのが大変だった。どうせなら、トマトなんかにしてくれればよかったと思うのだが。夜中に勤めていたレストランの仲間を呼んで騒いだのが原因だったのだろうか。

それからちょっとして、外出から帰ると今度は郵便ポストに貼り紙がしてあった。ここは住人のポストが集まっている所なので、皆が読んだ可能性が大だった。
「8号室のこの男、次から次へと女を連れ込んでいる酷い奴だ。」
しっかりと英文解釈したら、そう書いてあった。褒められているのではないことは分かった。確かに、火のない所になんとやらではあろう。お付き合いさせていただいていた方もいて、部屋ですき焼きなどをご馳走したこともある。しかし、逆恨みもないもんだとこの世を儚んだ。

そうこうしている内に、今度は泥棒に入られた。小銭と、大切な方からいただいた腕時計をやられた。私服の警官が1人で来て5分ほどいて帰っていった。その潔さを、実家の東村山に住んでいる警察官の父に報告したいくらいだった。殺人でも犯さないと、まともに扱ってもらえないのだろうか。富豪のいう事なんか聞いてろくな事はない。

私は、このアパートから毎日歩いて片道30分ある日本食レストランまで通っていた。トラムと呼ばれる路面電車に乗って行くこともあった。ある日、その停留所で待っていたら、車が止まって日本語で乗らないかと言われた。小柄で細面の中年女性だった。

「ワーホリ?大変ね、日本人だと思うとすぐ載せたくなっちゃうの。頑張ってね。」
10分ほどのドライブだったが、不思議と胸が熱くなった。昔、いろいろ苦労して長く住んでいる方だったのだろうか。

あのトゥーラックの一間のフラットに住んでいて、いろいろな方々と遭遇した。泥棒とか、会いたくない方もいたが、いろいろな意味で希望というエネルギーの製造現場でもあった。

あれから25年になるが、幸いに卵による被害はあのときだけだった。もっとも、あれにしてもこちらの落ち度であったわけで、今考えてみると悪いことをしたとは思っているが。

このフラット、今は豪華なサービスアパートメントに生まれ変わっている。


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第十四回 ペニスサックに身も縮んだパプアニューギニア絡みの色男

何しろ声がいい。人の腹に響くように発せられるその声は冗談を言っても重く感じる。サラリーマン時代に担当していたパプアニューギニアの代理店の責任者で、アメリカ人のロジャー・ブラントだ。

仕事をしていて、こいつには叶わないと思えた人は数え始めたらキリがないが、このロジャーはそのうちでも筆頭だった。何しろ格好いい。一つ一つの仕草が憎いくらい絵になる。私より少しだけ年上だったが、腹が据わっている。

「ロジャー、パイプはいつからやってるんだい?」
「ちょっと前からだけど。」
仕事中にパイプをふかすのが気に入った。

新宿の紀伊国屋の一階にあったパイプ屋に行って、早速私も真似して買ってふかしてみた。2週間くらい続いたが止めた。東村山の自宅付近で、パイプなんかやっていても誰も相手にしてくれない。

彼を六本木を一晩中引きずりまわしても、朝はすっきりとした顔をして厳しく仕事にはいる。タフな男でもあった。

「ロジャー・ブラント、知ってるよ。」
パブで飲んでいて、ふとしたことでニューギニアの話になって同じ男を知っていると言われた。つい最近までその人はニューギニアの金鉱山で仕事をしていて、その現場にロジャーがまだいたという。オクテディ金鉱山、多くのオーストラリア人が今でも働いている。

「すごく格好いい男だったけど。」と私が言うと、彼は大いに訝しがった。そうか、彼も定年間近のただのオヤジになっているんだ。六本木の、今はなきクラブマキシムのみどりさんを夢中にさせたロジャーも、ニューギニアの山奥でもう昔の面影はないのかもしれない。

タブービルというオクテディ金鉱山のある町は、1年のうち300日雨が降る熱帯だ。私は、鉱山の開発が始まる前に一度だけ行ったことがある。怖い顔でニタッと笑うペニスサックの裸族の人もいたりして私も全身が縮んでしまった。

ロジャーは、私が会社を辞めたときに親切な手紙をくれた。

「驚いたよ、会社を辞めるのか。でも日本語教師か、いいじゃないか。今度はオーストラリアで会えるね。しっかり、リーダーになってくれ。」
「リーダーとはもともとあるものではなく、作られるものだ。」
フットボールの有名なコーチの言葉を引用してロジャーが私を励ましてくれた。


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