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第十五回 大富豪オナシスさんの言葉に従って


ギリシャの大富豪、オナシスが言ったという。
「どんなに小さくて貧弱な所でも、有名な地域に住め。」
どちらかというと富豪に弱い私、メルボルンの田園調布と言われているトゥーラックに住むことにした。ある日、歩いていたら30分間に5台のロールスロイスを見た。人が金持ちなのを自慢しても何も始まらないが。そのトゥーラックのフラットに住んだ。家具付きの一部屋のスタジオタイプで、当時週75ドルだった。隣の部屋には、日本人のワーホリの男女4人が住んでいた。ちょっとお邪魔したい気もしたが遠慮した。

ある朝カーテンを開けると、大きな窓ガラスに黄色い卵の線が太く何本も流れている。小さな殻なんかもひっついていて、朝日に当たって綺麗だ、なんて思ったわけではないが、一瞬何があったのか飲みこめなかった。投げられて間もなかったら、ちょっときれいに取って、朝食の生卵ぶっかけご飯とかに利用できたのだが、固まっていた。拭き取るのが大変だった。どうせなら、トマトなんかにしてくれればよかったと思うのだが。夜中に勤めていたレストランの仲間を呼んで騒いだのが原因だったのだろうか。

それからちょっとして、外出から帰ると今度は郵便ポストに貼り紙がしてあった。ここは住人のポストが集まっている所なので、皆が読んだ可能性が大だった。
「8号室のこの男、次から次へと女を連れ込んでいる酷い奴だ。」
しっかりと英文解釈したら、そう書いてあった。褒められているのではないことは分かった。確かに、火のない所になんとやらではあろう。お付き合いさせていただいていた方もいて、部屋ですき焼きなどをご馳走したこともある。しかし、逆恨みもないもんだとこの世を儚んだ。

そうこうしている内に、今度は泥棒に入られた。小銭と、大切な方からいただいた腕時計をやられた。私服の警官が1人で来て5分ほどいて帰っていった。その潔さを、実家の東村山に住んでいる警察官の父に報告したいくらいだった。殺人でも犯さないと、まともに扱ってもらえないのだろうか。富豪のいう事なんか聞いてろくな事はない。

私は、このアパートから毎日歩いて片道30分ある日本食レストランまで通っていた。トラムと呼ばれる路面電車に乗って行くこともあった。ある日、その停留所で待っていたら、車が止まって日本語で乗らないかと言われた。小柄で細面の中年女性だった。

「ワーホリ?大変ね、日本人だと思うとすぐ載せたくなっちゃうの。頑張ってね。」
10分ほどのドライブだったが、不思議と胸が熱くなった。昔、いろいろ苦労して長く住んでいる方だったのだろうか。

あのトゥーラックの一間のフラットに住んでいて、いろいろな方々と遭遇した。泥棒とか、会いたくない方もいたが、いろいろな意味で希望というエネルギーの製造現場でもあった。

あれから25年になるが、幸いに卵による被害はあのときだけだった。もっとも、あれにしてもこちらの落ち度であったわけで、今考えてみると悪いことをしたとは思っているが。

このフラット、今は豪華なサービスアパートメントに生まれ変わっている。


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(タコ社長の本業)


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プロフィール

東京は東村山からオーストラリアに移住して24年目を迎えている。その間、人種を超えてさまざまな方々と出会ってきた。そんな方々との出会いをもとにして、定住者、旅行者、中長期滞在者、学生、ワーホリなどの方々との一期一会を綴ってみることにした。また、番外編としてオーストラリア以前の一期一会も記していきたい。

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