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第十八 パンツが その2 

「タコさんさ、悪いんだけどね黒のレースのパンティーとブラジャー買ってきてくれないかな。」吉祥寺のキャバレーの呼び込みをやっていたとかいう話ではない。

1996年、私は考える事があって日本語教師を辞め、日本のTVなどの制作会社の現地コーディネーター会社で仕事をし始めた。仕事の響きはいいが、ようは制作会社の末端の何でも屋だ。車の運転から、撮影の許可取得、撮影現場の下見と決定、食事の手配からホテルの手配など全てだ。手配料はまとまったお金になるが、時間があってないようなもので、時給にしたらたいしたことはない。まさに体力勝負の仕事だった。

ウイリアムスタウンという海辺の町でモデル撮影の仕事を請け負った。服を着ての撮影ということでモデル会社と契約して撮影に入った。

「下着姿の撮影もやっちゃおや。」
撮影の途中で、突然制作会社の川崎さんが言い出した。渋るモデルを説得してやることになった。そして、私が、下着を買う役目になったのだ。1人で女性の下着を買いに行くのは初めてのこと。黒のレース、という注文がついていた。

町を走り回ってやっと下着屋さんを見つけて入った。元相撲取りのような大きなアジア人が、息をハアハア言わせて黒い下着を探している。私は必死だったが、店の人は訝しがって私を見つめていた。変な趣味があると思ったのだろうが。因みに、ある時池袋西武デパートで女性物の洋服を土産用に物色していたときに店員さんが、「どうぞ、試着もできます。」と言った。
一瞬、後ろを見てしまいそうになった。間違いなく私に言っていた。日本は多様な国になってきているように感じして、思わず試着をしそうになったことがあった。

なんだか、頭がぼーっとしながらも、エロチックな黒のレースのパンティーとブラジャーを買って急いで店を出て撮影現場に戻った。

私はもうすぐ45歳になる頃のことだった。何を言われても「はい、はい。」と、腰を低くして小回りのきく男芸者のような仕事がこの仕事だったが、まったくゼロからスタートするにはちょっと年を取り過ぎていた。変な頑固さとか、わがままの鎧はなかなか崩れない。

全く初めて会った、年もあまり違わないこの川崎さんという人に何度も何度も怒鳴られた。幼稚園の頃から、怒られたり怒鳴られたりすることに弱い。反応が、すぐ顔に出る。ポーカーフェイスができない。律義な警察官の息子。半年して、当たり前のように、この仕事は辞めることになった。

実は、この黒いレースの下着の一件には続きがあって、この撮影の後モデル会社の社長に呼び出しをくらい、下着撮影なんて契約違反だと怒鳴られた。そして、大仰な追加料金をふっかけられた。結局、この仕事中終始怒鳴られていたことになってしまった。

自分で買った透け透けの黒いレースの下着を身に着けたモデルが、目の前で真っ青な海をバックにして、金髪をなびかせて私に目一杯微笑みながら横たわっている。いつまでも終わってもらいたくない一瞬だった。

「その下着、私が買ったんですよ!」

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(タコ社長の本業)

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プロフィール

東京は東村山からオーストラリアに移住して24年目を迎えている。その間、人種を超えてさまざまな方々と出会ってきた。そんな方々との出会いをもとにして、定住者、旅行者、中長期滞在者、学生、ワーホリなどの方々との一期一会を綴ってみることにした。また、番外編としてオーストラリア以前の一期一会も記していきたい。

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