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第六回 ストリッパーだったジェニーとのダーウィンでの出会い(その1)



「私も、こんなサングラスが欲しいわ。」豊満な体に黒い小さなビキニで泳いでいた白人金髪女性とこうして会話が始まった。ダーウィンで投宿していたユースには、小さいけどきれいなひょうたん型のプールがあった。私も、プールだから甚平にステテコとかのスタイルではなく、ビキニの海パンだった。日本でサラリーマンをしていたときに、一時は97キロまで増えた体重だったが、会社を辞めて規則的な生活をしていたら82キロまで落ちた。人は、規則的な生活をするだけで痩せるのだと悟った。夜中まで飲んでいて、帰りにラーメンとかの生活は不規則の証。落ちて嬉しかったのは体重くらいだろうか。昔から憧れていた競泳用の小さなビキニがはけた。33歳になっていた。

7月のダーウィンは、どこにも遠慮せずに最高の気候だといえる。オーストラリアは真冬だが、北のダーウィンではカラッとした夏の天気で十分泳げる。最高気温はいつもだいたい不思議に32度。季節感は、乾季か雨季かで計る。あとは年中暑い。

そうだ、サングラスを買おう。渡豪するまえにそう決めた。オーストラリアは日差しの強い国だ。一点豪華な物にしようと思った。私は昔から顔が広いというよりデカイと言われて育った。だから、そこらで売っている安手のサングラスだと、按摩さんみたいになってしまい自分で笑ってしまう。だから店で一番でかいレイバンのを買うことにした。赤坂の店で買ってすぐつけて歩いた。交差点の反対側から来た二人連れのOLがクスクスと笑っている。もしかしたら、私のことを見て笑っていたのかもしれない。小顔のオードリ・ヘップバーンが少し大きめのサングラスをしている時のようなコケテッシュな感じは私には無理な話だが、そのややユーモラスな感じは出せていたのかもしれない。このサングラスをプール際に置いて泳いでいた時に声がかかったのだ。こんな形でもサングラスが活躍してくれて、やはりちょっと値のはった物を買って正解だった。

「日本から来て、今、旅をしているんです。」私は、ややぎこちなく会話をつづけた。「私、ジェニーっていうの、ゴールドコーストから出稼ぎに来てるのよ。」会話はジェニーの屈託ない性格に助けられるように進んでいった。幸い、プールには二人しかいなくて余計なことに気を回さなくていい環境があった。彼女の声はやや太く低くプールの中に響いた。

「どう、今夜カジノに行かない?」そうか、ダーウィンにはカジノがあるんだ。当時は、メルボルンにはカジノがなく、行くとしたら初めての経験になる。賭け事はというと、日本でのパチンコ以来という地味な人生を歩んできていたから、カジノ行きには興味がそそられた。

この旅は、バスによる一ヶ月の旅だった。メルボルン→アデレード→エアズロック→ダーウィンと回ってきた。ここから、タウンズビル→ケアンズ→ブリスベン→シドニーそしてメルボルンと時計回りに回る予定だった。旅行中にちょっと気取った所に行かないとも限らないということで、バックパックに紺のジャケットを綺麗にたたんで入れていた。いよいよその出番だ。綺麗にたたんでいても、やはりバックパック、皺伸ばしに苦労した。

カジノには歩いて出かけた。ジェニーは黒く体にフィットした水泳選手のような一体式のワンピース姿で身を包んで、ピンク色の薄手のカーディガンを羽織っていた。どっから見ても目立つ!そして隣にはジャケット姿のでかい東洋人がくっついている。これで無視されたら怒られてしまうような設定だった。

「ちょっと一杯飲んで行かない?」
途中にあったパブで一杯ひっかけて行くことになった。ダーウィンの場末のパブだ。女性などいない。仕事帰りの肉体労働者が騒ぎながら飲んでいる。そこに、我々2人が入ってカウンターに行き着いた。その間、客がずっと私たちに視線を投げかけているのが嫌でも分かる。大きく口笛が鳴った。例の女性を冷やかす時に鳴らすあの口笛だ。私は一瞬だったが、もしかしたら殴られるかもしれないとまで思ってしまった。

どうにかパブを出て、また少し歩いてカジノに辿り着いた。中に入ってみて驚いた。ジャケットなんか着けている人は1人もいなかった。みんな、半ズボンにスニーカーみたいな人ばかりで、まるで成金のアジア人のようで私はすぐにジャケットを脱いで肩にかけて中を歩いた。まったく何から何までカジュアルなダーウィンだった。というより、オーストラリアが基本的にカジュアルな国なのだ。

結局、カジノでは賭けはほとんどしないで、ジェニーとスコッチアンドソーダ、いわゆるハイボールを飲みながら勢いのある客を眺めたりしていた。私は本当に貧乏旅行だった。80年代後半の日本は経済成長がバブルに差し掛かる頃のことで、こちらに来て誰しもが日本人は金持ちだと思い込んでしまっているのを知って唖然とした。こういうステレオタイプの物言いは困ったもので、日本人だってこんなに貧乏人はいるんだぞと声を張り上げたくもなった。カジノに行っても軍資金がない。ジェニーも生活は大変なようだし、酒も奢ったので見ているだけだった。

「昔、私はストリッパーだったの。」
もったいなくて、聞き直したりしない。しっかり聞こえた。酔いが一気に回りそうな目まいを感じた。こういう時は顔以外を見たりしてはいけない。そういう機転だけはよく利く。
(つづく)

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(タコ社長の本業)

コメント

以前のコメント

Tea   (2009-10-17T12:59:54)
...To be continued!? ああ、眠れないじゃないですか。

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プロフィール

東京は東村山からオーストラリアに移住して24年目を迎えている。その間、人種を超えてさまざまな方々と出会ってきた。そんな方々との出会いをもとにして、定住者、旅行者、中長期滞在者、学生、ワーホリなどの方々との一期一会を綴ってみることにした。また、番外編としてオーストラリア以前の一期一会も記していきたい。

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