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小説版バイリンガル子育て 第5話 『バイリンガル子育てのドア』

 トントントントン、台所では親父が包丁を手に張り切っていた。この日で新太郎が生まれてから100日が過ぎ、お食い初めの儀式をする為に親父が腕を振るってくれている。親父は板前で料理の腕は最高なのだが、酒好きと短気がたたってなかなか一つの職場に長く勤められない職人気質の男だ。そしてもう5年以上まともに働いていない。 今思えばそれもアルコール依存症のせいだったのかも知れない。結局、親父は最後まで職場復帰する事は無かった。でも本当に腕は確かだったのだ。新太郎が生まれる直前の四月の僕の誕生日、親父が僕に何か欲しい物はあるかと聞いてきた。僕は親父にもっと前向きに生きて欲しかったので、僕が子供の頃に親父が働いていた和食の料亭に飾ってあった、親父が芋を包丁で削って作った鯉を作って欲しいと頼んだ。親父は1時間ちょっとでジャガイモの鯉とカボチャの亀を作った、それも色付きで。



 腕が落ちていない事を自覚した親父だったが、だからと言って働き始める訳でも無く、毎日朝から酔っ払ってパチンコ三昧の日々を過ごしていた。僕は、子供が生まれて100日経った時にするお食い初めという儀式の事を知って、親父に人肌脱いでくれないかと頼んだ。お食い初めとは、一生食べるのに困らないよう願いを込めて、赤ちゃんに食べさせる真似をする儀式で、鯛の尾頭付き、煮物、なま酢、お吸い物、赤飯などを用意する。親父は、真似事とは言え、新太郎が生まれて初めて口にする母乳以外の食事が自分の手料理になる事を喜んで、心を込めて作ってくれた。新太郎は食べ物を口につけると、本当に食べられると思ったのかキャッキャと喜んだ。それを見て笑っている親父はとても幸せそうだった。僕がやり直したかった家族ってやつはこういう事な気がした。

 お食い初めも無事終わり、日々すくすくと成長している新太郎だが、バイリンガル子育ては難航していた。まだ何も言葉を言わず、寝ているだけの新太郎に話しかける事はかなり限定されていて、それ以外にどうして良いかわからないのだ。誰かしら先人がいるだろうと本を探してみたのだが、英語圏に住んでいる人達の話がほとんどだった。唯一見つけた日本人夫婦による日本での英語子育ての本にしても、フレーズが並べてあるだけで、どう始めて良いのかは書かれていなかった。なんとなく自分の頭の中にはイメージがあるのだけど、どうすれば体現できるのか、バイリンガル子育てという家はあるが入口が無い状態である。どうすれば家の中に入れるのかと考える。とにかくドアを作るしか無い。

 夜な夜なネットサーフィンをして色々な情報を集めた結果、『オックスフォード・リーディング・ツリー』というイギリスで小学校の教科書にも使われている本のセットを買う事にした。数日後、商品が届いたので早速中を開けてみた。4歳のキッパーとその家族を中心とした物語で、実際に生活で使う表現を多く取り入れてあり、楽しみながら英語での生活を学ぶことができそうだ。僕は新太郎の横に寝転んで、天井に本を掲げるようにして本を広げてみせた。とりあえず、本の中の犬や主人公のキッパーを指差して、"This is a dog"とか、"He is Kipper"とか言ってみると、一応指を指しているモノを見ているようだ。寝返りができない新太郎にとっては、強制的に見せられている状態なのかも知れないが、これまでに見た事が無いモノが見れるのだから、きっと楽しんでいるだろう。

 こうして、毎日読書をする事が日課になった。本があると本について何かを言えば良いのでとてもやり易い。新太郎にしても生まれたばかりでほとんど何も知らない訳だから、口で言われるだけではわかる筈が無い。絵を見せて話す事によって、色々なモノを認識していくのだと気が付いた。例えば犬を指差して、新太郎が見ている時に、"This is a dog"と言う。それをずっと繰り返していくと、"This is a dog"は犬の事をしゃべっているのがわかる。次に猫を指差して"This is a cat"と言う。それをずっと繰り返していくと、"This is a cat"は猫の事を話しているのがわかる。そして、"This is a dog"と"This is a cat"では"This is a"が同じだと気が付く。そうすると二つの文で異なる部分である"Dog"は犬で、"Cat"は猫だと理解する。多分こんな感じで言葉を覚えていくのでは無いかと仮定した。これで僕がすべき事が見えてきた。映像と音を一緒に頭の中に刷り込んでいくという事だ。視覚と聴覚の両方を同時に刺激して、その瞬間に学ぶというシステムを新太郎の頭の中に作る事。不恰好かも知れないが、バイリンガル子育ての最初のドアはこうして作られた。(つづく)



※読者の方からの質問や応援メッセージ大歓迎です。コメントお待ちしております。

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コメント

以前のコメント

梅太郎   (2010-02-23T15:54:48)
いつも楽しく読んでいます。 本当のことが、ちゃんと書いてあって、とても好感がありますね。 これからも楽しみにしています。

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プロフィール

高橋正彦:1977年、静岡県浜松市生まれ。中学卒業後、単身メルボルンに渡りブライトングラマースクールに入学。同校では、3年がかりで学校側に打診をしサッカー部を創立、初代キャプテンを務める。1998年中古CDショップ「音吉プレミアム」を立ち上げ、世界中の人達との交流を始める。2007年9月、単行本『イタリア人は日本のアイドルが好きっ』を出版。2009年5月には世界中のオタクと交流するOTAKU SPECIALISTとして、NHKから英語でインタビューを受け、その映像が世界80カ国で放送された。

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