小説版バイリンガル子育て 第12話 『人生で一番大切な時間』
更新日: 2010-05-12
6月2日、新太郎は2歳になった。新太郎の顔をあしらえたケーキを注文して家族3人で祝った。去年の1歳の誕生会は、新太郎と同じ誕生日の彼女のお母さんや、親戚を呼んで盛大にやったけど、今年は3人だけでお祝いした。去年は何が起こっているのかもよくわからず、歩くこともできなかったのに、今年は自分の指を2本立てて"Two"と言えるし、ろうそくの火を吹いて消すこともできる。部屋を暗くして、ハッピーバースデーの歌を歌って、ろうそくを消すのが嬉しいらしく、何度もアンコールするので十回くらい歌を歌った。たくさん歌を歌っちゃったけど、ゆっくりと成長して欲しいと思った。毎日少しずつ成長しているわが子を見られる喜びをずっと楽しみたい。
僕が高校生の時に留学していたホストマザーや、イタリア人やシンガポール人の友達からもプレゼントが届いた。遠く離れた国で、僕の子どものことを思ってくれているのがありがたい。僕が2歳だったころ、僕の世界は家の中と庭、それから家の前の道路くらいだったけど、新太郎は既に海を越えている。何になるでもいい、でっかい地球の中の自分を感じられる心の広さを持って欲しい。生まれた時からやっている英語での子育て、これがいつか役に立つ時が来るだろう。
そんな風に僕がロマンティックな思いにふけっていたころ、彼女は別の角度から新太郎の成長をかみしめていた。2歳になった途端、うんちが出たら毎回教えてくれるようになったのだ。そして2歳になって3日目の6月4日、ついにトイレでうんちをした。毎日身の回りの世話をしている母親からすれば、むしろこちらの成長の方が現実的で、金銭的にも嬉しいのだなと感じて、改めて彼女がしてくれている全てに感謝をした。
英語の方も順調で、毎日のように新しい言葉を話している。僕の携帯電話が鳴ったら"Phone!"と教えてくれた。高校生の時に始めて携帯電話の存在を知った僕と、生まれながらに携帯電話がある世界で生きている新太郎とでは、色々な面で環境が違うのだと実感した。お風呂が終ったら"Finish"と言った。これは僕の真似だろう。朝、僕の枕元に来て"Wake up!"と言いながら僕を叩き、僕が起きたら"Yes!"と言って喜んだ。これはディズニーのあいさつのDVDから学んだのだと思う。
こうして新太郎が英語を話すようになってくると、実際に僕がやって見せたことだけでなく、DVDやテレビの映像からも学んでいることが確認できた。つまり、そういったものを上手く使えば、僕の能力ではできないことも教えてあげられるということだ。経営でもそうだけど、数字が苦手なら数字に強い人を味方にすればいい、芸術センスがなければ、センスのある人に宣伝用のポップを作ってもらえばいい、それは子育てでも同じみたいだ。もっと言えば、世の中のもの全てがきっとそんな仕組みになってるんじゃないかと少し思った。
6月3日には、元々僕の店のお客さんで、友達になったイタリア人のレオが彼女のパオラと来日したので、一緒に観光に出かけた。レオと会うのはもう4回目、これまでは弟と来ていたが、今回は彼女を連れて来た。レオはこれまでほとんどの有名な観光地には行っているので、マイナーだけど風情がある青物横丁に観光に行った。そして観光のあとには、僕の家がある中野に移動して、スーパーマーケットで食材を買って、僕の家に向かった。毎年恒例のイタリア料理VS日本料理対決だ。今年は僕はお好み焼き、レオはアマトリチャーナ(トマトとベーコンのスパゲティ)を作った。料理を作り終えた僕らは、テーブルに料理を置いて記念写真を撮ろうとした。すると新太郎がやって来て、僕らの間に入って僕とレオの握手している手の上に自分の手も重ね合わせた。"It's good to have good food with good friends(いい友達と美味しい料理を食べるのは楽しいね)"と僕が言うと、パオラが「すごくいい言葉。こういう時間が人生で一番大切ね」と言った。同感だった。傍から見ればこんなことのためだけに英語を教えているのかと言われるかもしれないけど、僕は新太郎には英語を使って、こんなことをして欲しいし、こんな喜びを味わって欲しい。そんな気持ちを知ってか知らずか、レオと僕の間に立つ小さなシェフはギュッと僕らの手を握り直した。(つづく)

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