MELBOURNE BRIDAL & HONEYMOON EXPO 2009(Ⅱ)
ホワイト・ウェディングは、ヴィクトリア女王から始まった!!
2009年08月13日掲載
MELBOURNE BRIDAL &
HONEYMOON EXPO 2009(Ⅱ)
Deborah Selleck Bridal
09 August, 2009 @ Melbourne Exhibition and Convention Centre
デボラ・セレックは、1860年に文化と歴史の都、イタリア・ローマで生まれた。子供のころ、1960年代のイタリア芸術と文化に育まれた。このような環境がデボラの感性に影響している。1970年代に家族と共に、オーストラリアへ移住した。
当時のメルボルンのファッションは、イタリアに比べると実に簡素なものであった。デボラはRMIT大学でファッションを学んだ。ヤラビルにスタディオを構え、1994年に自分のブランドを立ち上げた。1997年には、ショールームをヤラビルにオープンしている。
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花嫁が白のウェディングドレスを着るホワイトウェディング(White Wedding)が始まったのは、メルボルンが全盛時代を迎えたビクトリア時代のころ。英国のビクトリア女王が、夫のアルバート公と1840年に結婚式を上げ、その際に女王が自分で白のドレスを選んだことに始まる。
ビクトリア女王以前にも白のウェイディングドレスを選んだヨーロッパの皇室はたくさんいたが、ビクトリア女王は、英国、米国など英国連邦や周辺諸国への影響力の強さが決定的に違っていた。それ以前は、白は王族の喪服の色であったが、正式なウェディングの色ではなかった。
純白のウェディングドレスは、ビクトリア時代には貴族階級でかなり流行したが、それで主流といえるほどではなかった。貴族階級は、金や、金色を使用したドレスでした。世間では結婚式を挙げること自体が一般的ではなかった。それぞれの階級や資金に応じて簡素に行っていた。
日本では、海外からウェディングが輸入されたことに刺激を受けて、神前結婚式が明治の中頃に考案されてる。それまでは親族や関係者だけの内輪で行うもの。従ってウェディングドレス色などそもそも無かった。
1900年代になってもも一般のウェデイングで白いドレスが広まることはなかった。白のウェディングドレスが一般に広まったのは1930年代のアメリカだ。大量生産に支えられて、一般民衆に家庭電化製品が広まった時代に、ニューヨークでウェディングマガジンが創刊された。世界にウェディングドレスが広まったのは、第二次世界大戦後の話。
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