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小説版バイリンガル子育て 第20話 『3歳の壁』

 英語子育てには『3歳の壁』というものがあるらしい。

「ずっと英語教育をしていたけど、3歳くらいになって自我がでてきて、英語を話すことを拒否して話さなくなった」「3歳以降にそのまま英語を話し続ける子を見たことが無い」 etc...

 僕が英語で子育てをしていると言うと、人生の先輩達は皆口を揃えてそう言った。「3歳の壁は大きいぞ」と。

 新太郎は2歳8ヵ月になった。順調に英語力はアップしている。それからという意味で、"also"を使い、回りこむのを"go around this way"と言った。英語だけでなく、精神的にも成長が見られた。由莉杏がまだ小さいので、僕と新太郎は二人だけで、僕の実家のある浜松に泊まりで遊びに行った。ママのいない初めての遠出だったが、一度も泣くことなくいい子にしていた。叔父と叔母に連れて行ってもらった釣堀では、叔父と一緒に竿を持って釣りをして、"Black fish is fast but red and white fish is not fast so I caught only black fish(黒い魚は速いけど赤と白の魚は速くないから黒い魚だけ捕まえた)"と説明してくれた。紅白の魚は慎重でエサになかなか食いつかないのだが、黒いのはなにも警戒せずにエサに食いつくのでよく釣れた。それにしても随分長い文章をしゃべれるようになったものだ。英語はまったくわからない婆ちゃんも、「わたしゃちっともわからないけど、英語ができればこれからの時代はいいねえ」と目を細めていた。



  新太郎は、2歳8ヵ月のくせに女心もよくご存知のようで、朝から僕が彼女とくだらないことでケンカして、そのことを新太郎と二人で朝の散歩中に話したら、"Buy flowers for Mamma(ママにお花を買えばいいよ)"とアドバイスをしてくれた。僕は生まれて初めて彼女に花を買って帰り、彼女はあまりに珍しいことが起こったのでケンカしているのを忘れてしまい仲直りができた。"See Daddy.(ほらねパパ)"と新太郎が自慢げに笑った。

 色々な面で成長している新太郎だったが、ある日僕に突然日本語で話しかけてきた。「パパ、遊ぼうよぉ」と言うのだ。これまで僕に日本語を話しかけてきたことは一度も無かったので、驚いて一瞬どうしようか迷ったが、英語で"Why are you speaking Japanese?(なんで日本語で話してるの?)"と聞いた。新太郎は僕の英語にはなんの反応も見せずに日本語を話し続けている。結局、その日新太郎は一日中英語を話すことはなかった。

 新太郎が寝た後で彼女と相談した。英語が不自由なく話せるようになるのは新太郎の将来に大きなプラスになるのは間違いないが、そのために新太郎を精神的に苦しめるのは良くないという結論を出した。翌日、英語を話せるようになるメリットと、僕たちの思いを伝えて、あとは新太郎の判断に任せることになった。

 そして翌日、目が覚めて新太郎の言葉のことを思い出して少し緊張した面持でリビングに向かうと、"Good moroning!"と英語で新太郎が話しかけてきた。昨日のことが無かったかのように元気な新太郎の笑顔がそこにあった。僕は、新太郎になぜ昨日僕に日本語で話しかけたのかを聞いてみた。"Because I wanted(だって話したかったから)."新太郎はそう言って口を尖らせた。

「新太郎も知ってると思うけど、パパは日本人で、英語より日本語の方が本当は上手に話せる。でもパパは新太郎が生まれてからずっと英語で話しかけてきた。なぜかって言うと、英語は世界で一番多くの国で話されている言葉で、英語ができると色んな国の人たちと友達になれるんだ。パパにはイタリア人やスペイン人、オーストラリア人とか色んな国の友達がいるよね。もしパパが英語ができなかったら、何を言っているかわからないから友達になれなかったかも知れない。パパもママも新太郎には、世界中のみんなと仲良くなって欲しいんだ。だからこれからもパパは英語で話しかけるし、キミも英語で答えて欲しい。将来キミが 18歳とかになって、日本語で話したければ話せばいいけど、今は英語で話したいんだ」僕は思いのたけを素直に新太郎に伝えた。

 この日以降も新太郎は時々僕に日本語で話しかけてきた。「そうだよねーパパ?」と聞いてきたりしたら、「アーソウデスネエ」とカタコトの外国人風に日本語で答えることもあれば、"Speak English please.(英語で話してよ)"と言うときもある。その都度新太郎の心に負担をかけないように英語を押し付けるのではなく、自然に英語を話すように促した。逆に僕からカタコトの日本語で、「スミマセンガ、シンタロサンデスカ?」などと話しかけたりすると、"You're such a joker Daddy.(パパは本当に面白いなあ)"と笑ってくれた。

 新太郎が4歳を過ぎた今振り返ると、確かに自我がでてきて、英語を話す自分に対して疑問を持った時期だったと思う。でもわが家では、新太郎に英語を押し付ける事なく、楽しく遊ぶ中に英語を取り入れてきたし、英語を話せると世界中の人と友達になれるとかメリットを話すことによって、その時期を乗り越えることができた。あの時、新太郎にじっくりと話をせずに「とにかく英語を話せ」という態度を取っていたら、きっと今頃英語が嫌いになってしまっていただろう。

 『3歳の壁』、それは子どもに英語を習得して欲しいという親心から、英語を一生懸命「教えて」しまい、子どもにプレッシャーを与えてしまった親たちと、なぜ英語子育てをしているのか、その理由が自分でもハッキリせずに、子どもに説明できなかった親たちがぶつかる壁なのかも知れない。

「英語が話せて世界中の人たちと友達になれたら楽しいぜ」僕はこれからも胸を張ってそう子どもたちに言い続けるつもりだ。(つづく)



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プロフィール

高橋正彦:1977年、静岡県浜松市生まれ。中学卒業後、単身メルボルンに渡りブライトングラマースクールに入学。同校では、3年がかりで学校側に打診をしサッカー部を創立、初代キャプテンを務める。1998年中古CDショップ「音吉プレミアム」を立ち上げ、世界中の人達との交流を始める。2007年9月、単行本『イタリア人は日本のアイドルが好きっ』を出版。2009年5月には世界中のオタクと交流するOTAKU SPECIALISTとして、NHKから英語でインタビューを受け、その映像が世界80カ国で放送された。

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