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小説版バイリンガル子育て 第21話 『ずっとひとりで待ってたんだよ』

 新太郎が初めて英語で寝言を言った。起きていても寝言のようなことばかり言っている僕なのに、その息子が英語で "I made white one!(白いの作ったよ!)" と寝言を言った。新太郎2歳9ヵ月と4日の夜のことだった。何を作ったのかは知らないが、夢の中で英語で話しながら何かを作ったのだ。僕の経験上、英語の夢はある程度英語が話せるようになってから見るようになったので、新太郎の英語力もかなり上がってきたようだ。彼女は驚いて、次の日に「ねえシン君、夢の中で何を作っていたの?」と聞いていた。しかしながら当人は夢が何かもわからない2歳児だ。ママの質問にキョトンとしている。

 英語の夢を見て、新太郎のバイリンガルとしての覚醒が始まったのか、この日を境に長い文章をしゃべるようになった。 翌日、僕が仕事から帰ると、晩御飯のときに彼女とケンカしたらしく、"I'm eating rice but I said I don't wanna eat and Mom got angry.(僕がご飯を食べていて、ご飯をいらないと言ったらママが怒ったの)"と助けを求めてきた。その数日後には、チェリーパイのおもちゃを胸に当てて、"This cherry pie is Julia's tittie.(このチェリーパイはユリアのおっぱいだ)"と言ってヘヘヘと笑った。一応ハッキリと断っておくが、この発想は僕が教えたものではない。それならDNAがそうさせているのかと言われれば、それは否定できないのもまた事実である。

 更に数日後、水族館で買った魚の図鑑を一緒に読んでいたら、"If shark eat Daddy, Daddy will cry.(もしサメがダディを食べたら、ダディは泣いちゃうよね)"と初めて"IF"を使った。僕はサメに食われる前に、新太郎の目覚しい成長に涙ぐんでしまいそうだった。その後も図鑑を一緒に読んでいたら"Red sad fish."とある魚を指して言っているのだが、僕は"sad"が聞き取れなかった。"Sorry, I don't know what you're trying to say.(ごめん、何を言おうとしているかわからない)"と言うと、"Worried fish.(心配そうな魚)"と違う言い方で説明してくれた。これまでよりも確実に一皮向けていて、今までよりも深い会話ができるのがとても嬉しかった。僕は、新太郎との絆が一層強くなっていくのを感じていた。

 ある朝、久しぶりの飲み会で今日は遅くなると新太郎に伝えると、"Please come back early and play with me.(早く帰ってきて僕と遊んでよ)"と言われた。僕は"I'll do my best.(最善を尽くす)"と言って家を出た。そして午前2時過ぎに家に戻った。当然家中真っ暗だ。僕はキッチンの電気を付けて、冷蔵庫から2リットルのお茶のペットボトルを出して勢いよくラッパ飲みをした。寝る前に1リットル以上の水ないしお茶を飲んで寝ればまず二日酔いにはならない。また彼女に「そこまでする必要があるほど飲むな」と言われるなと思いながらゴクゴクと食道にお茶を流し込む。確かに経済的にも効率的にもよくないと思う。でも愉快な仲間たちがいてそこに酒があったら飲んでしまうのは男の性ってやつだよな、そう思いながら楽しかった宴を振り返りつつキッチンからリビングに目を移した。ソファーの上で新太郎が寝ていた。

 「マサ君が早く帰ってくるって言ったから待ってるって聞かずに、私が寝室に行ってもずっとひとりで待ってたんだよ」僕が帰ってきた音を聞いて、眠い目をこすりながら彼女が起きてきてそう言った。小さな体でひとりぼっちでママの言葉を押し切って、自分の意思で僕を待ち続けた新太郎。僕を待っている人が彼女以外にもう一人いるのだと、遅まきながら実感した春であった。(つづく)



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プロフィール

高橋正彦:1977年、静岡県浜松市生まれ。中学卒業後、単身メルボルンに渡りブライトングラマースクールに入学。同校では、3年がかりで学校側に打診をしサッカー部を創立、初代キャプテンを務める。1998年中古CDショップ「音吉プレミアム」を立ち上げ、世界中の人達との交流を始める。2007年9月、単行本『イタリア人は日本のアイドルが好きっ』を出版。2009年5月には世界中のオタクと交流するOTAKU SPECIALISTとして、NHKから英語でインタビューを受け、その映像が世界80カ国で放送された。

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