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第三回 無邪気な笑顔が可愛くもあった66歳の留学生

「タコさん、本当に思い切って来て良かったです。」
ある日、66歳になる藤村さんが語学学校の帰りに会社に寄ってそう言われた。10年くらい前の話になるが、藤村さんのことはよく覚えている。

藤村さんは、日本の大手道路建設会社の役員をされておられた方で、顧問になられてから時期を見てメルボルンに語学留学に来られた。周りからは、いろいろと言われたらしいが、それらを跳ね除けていらした。3ヶ月の外国生活を1人でされるということで、奥さまの説得が一番ハードルが高かったという。当たり前といえば当たり前な話だろう。ただ、藤村さんには、しっかりとした留学の目的があった。

1995年の阪神大震災のときに、居住している外国人の方々を誘導したりするボランティアの数が少ないことが問題になったという。そこで、藤村さんはそういったボランティアをしたいと思われたのだ。

3ヶ月の語学留学が始まった。クラスメートも先生も、みな自分の孫みたいな年の人たちだという。昔、あるアメリカ人が言っていた。日本では、プールで話かけられた人からラミネートされた名刺をもらって仰天したという。日本人は、それほど会社名、肩書きなどに拘る民族だと言っていた。今は、大分それが崩れてはきているだろうが。いつも明るい笑顔の藤村さんには、そういった肩書きなどへの拘りはあまり感じられなかった。

「タコさんね、私、ファーストネームで呼ばれるなんて、この年になって初めてですよ。でも、いいですね。全くの別世界だ。」藤村さんは、クラスが楽しくてたまらないようだった。でも、ちゃんとした目的があるから、クラスではいつも一番前に坐り、遅刻も欠席もなく、先生の許可を得て全てをテープに録音していた。日本に帰ってからテープを聴いて勉強するという。

藤村さんは、このお年でここまで腰を低くしてやっていく姿勢があったから、最後までやり通すことができたと思う。もう一つは、学校には日本人が少なく物怖じしない外国人に囲まれていて、新しいご自分が出せたのだろう。自分再発見とでもいえるかもしれない。

「本当はね、またすぐ来たいんだけどね、広島に90歳になる母がいてね、面倒をみないといけないんですよ。これだけ長期の海外生活が次にできるのは、その母があの世に行ってからじゃないと駄目みたい。でもね、最近みな長生きだからね、私の方が体にガタがきてもう来られないかもしれませんがね。」最後の挨拶に来られたときに、藤村さんは大声を出して笑いながらそう言われた。老老介護の時代になってきている。

日本に帰ると、苦虫とかゴキブリなんかを食いつぶしたような顔で歩く中高年の人が多いが、それに比べて66歳の藤村さんの子どもに返ったような笑顔の毎日は、何とも爽快なものに映った。

今藤村さんは70歳半ばになられておられるだろう。あんなに何度も何度も、もう一度来たいと言われていた藤村さんだが、それはまだ実現してはいない。10年前のテープを聴きながら、ボランティア活動をされているかもしれない。


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(タコ社長の本業)

 

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プロフィール

東京は東村山からオーストラリアに移住して24年目を迎えている。その間、人種を超えてさまざまな方々と出会ってきた。そんな方々との出会いをもとにして、定住者、旅行者、中長期滞在者、学生、ワーホリなどの方々との一期一会を綴ってみることにした。また、番外編としてオーストラリア以前の一期一会も記していきたい。

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