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メルボルン旅行記2011 最終回

「オエェェェェェェェ」

メルボルンからケアンズに向かう飛行機の中、僕は10分おきに吐き続けていた。最初は酒の飲み過ぎで吐いたのかと思っていたが、手足が痺れてきた。なんだこれは?この感覚は7,8年前に貝のヒモを食べて中ったときと同じだ。

ああ、カキに中ったんだ。

そんな僕の苦しみも知らず、シンタロウはすやすやと眠っている。吐いて吐いて毒素を出すしかない。僕は約3時間トイレで格闘を続けることになった。

飛行機は無事ケアンズに到着した。僕はと言えば、血の気が引いて貧血気味でフラフラしている。トイレにずっとこもっていた僕をキャビンアテンダントが気遣い、荷物を運んでくれて、次の大阪へ行く便の搭乗手続きの場所まで連れて行ってくれた。

そして僕の身柄は、少し堅物そうないかにもキャリアウーマン風の女の係員に引き渡された。

「あなたの今の状態では、飛行機に乗せることはできません。出発まで3時間弱あります。病院に行って許可証をもらってこない限り、ケアンズから出すわけにはいきません」

有無を言わさない態度で、強引に病院へ向かうタクシーに乗せられた。財布には5ドルしか残っていない。ここからは全部カードを切るしかない。

病院に着くとかなり混んでいた。僕の前に日本人のカップルがいた。通訳の日本人が必要らしくその手配をしているようだ。病院のスタッフに「あなたも日本人の通訳が必要?」と聞かれたのでいらないと答えた。順番を待っている間も10分おきくらいにトイレに行って吐いた。そして30分ほど経ったとき日本人の女の人に話しかけられて、僕は病室に入った。先生に症状を聞かれ、昨晩食べたカキに中ったと思うと答えた。「味はどうだった?変じゃなかった?」と聞いてくるので、"Absolutely beautiful.(間違いなく美味しかった)"と答えたらウケた。笑いを取れる余裕が出てきた。よし、俺はまだ死んではいないぞ。

「注射をするので、しばらくすれば吐き気は治まるでしょう。気をつけてお帰りください」 先生に注射をしてもらって、薬をもらいタクシーに乗って再び空港へ戻った。

付き添ってくれた日本人の女性は日本人カップルに呼ばれた通訳だったようで、ついでにみてくれたようだ。全く通訳の必要がなかったのでお金はいらないけど、通訳すると50ドル払わないといけないと教えてくれた。保険が利かないので、診察代と薬代で170ドル、タクシーで40ドルくらいが飛んでいった。英語ができなければさらに50ドル失うところだった。

空港の受付で、あの堅物キャリアウーマンに医者の許可証を叩きつけた。堅物キャリアウーマンは残念そうに「お気をつけて」と言った。僕はこのタイプの女性と相性が非常に悪い。高校のときの英語の先生もこのタイプで、僕が急に勉強を真剣にやるようになって渾身のレポートを提出したら、「これは誰にやってもらったの?人のやったものに点はあげられないわ」と言われて、大ゲンカになった。オーストラリアでの数少ない嫌な思い出である。

大阪行きの飛行機に乗り込み離陸まであと5分に迫った。少し吐き気がしたので、離陸前に吐いておこうと思ってトイレに行った。もう胃液しか出ないが吐いたらスッキリした。トイレを出ると、キャビンアテンダント3人に囲まれた。「今吐いたでしょ?」

しまった。離陸するまでは目立つべきじゃなかった。「吐こうと思ったけど、何も出なかった。もう十分に吐いたので何も出ないよ」そう答えたが、事態は悪い方向へと向かっていた。天敵の堅物キャリアウーマンが機内に乗り込んできた。「あなたをこの飛行機に乗せるわけにはいきません。降りなさい」

「ふざけるなよ、医者の許可証だってもらってきたし、注射もしたからもうすぐ吐き気も治まるって言ってたし、何の権限で俺を降ろそうとしているんだよ」僕がそう言うと、堅物キャリアウーマンは「私の権限です。この人達の荷物を降ろしなさい」とほかのスタッフに僕らの荷物を外に出すように命令した。シンタロウは"NO! I want to go home!(嫌だ!家に帰りたい!)"と泣き叫んだ。あっという間に荷物が飛行機の外に運び出されてしまった。僕は観念して泣いて怒るシンタロウを連れて飛行機を降りた。目の前で扉が閉まり、飛行機は離陸の為の準備に入った。

10分後、空港の搭乗手続きをする場所に戻り、僕は堅物キャリアウーマンと闘っていた。ヤツが次の便は4日後だから、それまでホテルかどこかで過ごして戻ってきてくれと平然と言い放ったので、ふざけるなよと応戦する。決して交わらない平行線のことを思った。

結局、次の日の朝にケアンズからゴールドコーストに移動して、そこから大阪に行く便を手配したと別の係員の人が教えてくれた。最初からそう言えばいいのに、堅物キャリアウーマン、本当に嫌な女だった。

その後、タクシーに乗り込み、最寄のホテルで降ろしてもらいチェックインをした。そしてホテルから日本にいる妻に電話をした。最初に僕が話したあと、シンタロウが代わった。この旅で一度も帰りたいと言わなかったシンタロウだったが、本当なら今夜会えたはずのママと会えないことで寂しさが募ったのだろう、「ママ、今日帰りたかったけど..... 帰れなくなっちゃったあぁぁぁぁ」と泣き崩れてしまった。それを見て僕も泣いてしまった。当たり前のように一緒に暮らしている彼女のことが、とても恋しくなった。こういうときに世界で一番会いたいのは彼女だと気がついた。こんなに大切な人と、なんでしょっちゅうケンカしてしまっていたのだろうかと思った。帰国したら前より優しくしようと思った。


電話を切ったあと、土地勘もないので、その辺を散歩してイタリア料理屋のパスタをお持ち帰りしてホテルで食べた。ケアンズは夏だった。半そででも暑い。近くには何もなさそうなのでずっと部屋にこもって、シンタロウとポケモンカードで遊んだ。シンタロウは「帰れないのは悲しいけど、ダディと一日余分に遊べるからいいや」と気持ちを切り替えていた。前向きな息子に感謝している。




夜は、ホテルのレストランでチキン料理を食べて、早々に寝ることになった。結局、機内で吐いて以降一度も吐かなかった。絶対にあの飛行機で帰れたのに。


翌朝、5時過ぎにホテルを出て空港に移動した。胃はまだもたれているが体調は良い。今日はさすがにスムーズに搭乗手続きを終えることができた。パスポートを見せて搭乗ゲートに入るところのおじさんがシンタロウのパスポートを見て、「シンタロウか、この名前はオーストラリアの年寄りには一番有名な日本の名前だよ。昔流行った時代劇の主人公がシンタロウだった」と教えてくれた。あとで調べたら、大瀬康一主演の『隠密剣士』が1965年に"THE SAMURAI"というタイトルで放送されていたらしい。シンタロウは、死んだ僕の親父が付けてくれた名前だが、オーストラリアで有名な名前だったなんて、すごい偶然だ。




今回の食中毒騒動で、全部で5万円くらい余計な金を使ってしまい腹が立っていた僕だったが、大阪行きの飛行機に乗り込んだころには、シンタロウがオーストラリアと深い縁がある名前だとわかったこと、彼女のことが大切だと再認識できたので、まあ良いかと思うようになっていた。25年で初めての家族大集合の場面にいられたこと、高校の同級生たちと再会したこと、シンタロウが従兄弟たちと楽しい時間を過ごせたこと、本当に良い旅だった。2年に一度くらい行けるように仕事を頑張ろう。今度は家族4人で行こう。そのころにはユリアも英語がしゃべれるようになってるから楽しい旅になるだろうな。

横を見るとシンタロウはもう寝ていた。シンタロウ、男二人旅、楽しかったよ。(おわり)



※読者の方からの質問や応援メッセージ大歓迎です。コメントお待ちしております。

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コメント

以前のコメント

高橋正彦   (2011-05-02T23:33:44)
コメントありがとうございます。 アクセスは結構あるのにコメントをなかなかもらえないので、コメントをいただくと励みになります。 シンタロウのことを応援してくれてありがとうございます。これからも天真爛漫に育つよう、全力で楽しい生活をしていきたいです。
ysm   (2011-05-01T23:19:27)
最後の最後にバトル…お疲れ様です。それにしても怒涛のスケジュールでしたね。とても楽しく読ませていただきました。シンタロウ君の成長ぶりもスゴイですね。ひそかに人の子供さんとは思えなくなってきているほど、かわいくて仕方ないです。

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プロフィール

高橋正彦:1977年、静岡県浜松市生まれ。中学卒業後、単身メルボルンに渡りブライトングラマースクールに入学。同校では、3年がかりで学校側に打診をしサッカー部を創立、初代キャプテンを務める。1998年中古CDショップ「音吉プレミアム」を立ち上げ、世界中の人達との交流を始める。2007年9月、単行本『イタリア人は日本のアイドルが好きっ』を出版。2009年5月には世界中のオタクと交流するOTAKU SPECIALISTとして、NHKから英語でインタビューを受け、その映像が世界80カ国で放送された。

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