Logo for bgsgeek

小説版バイリンガル子育て 第10話 『ガムシャラに働かない事を選ぶ勇気』

 1歳6ヶ月を過ぎた頃から、少しずつ意味のある言葉を話し始めた新太郎は、その後も順調に言葉を覚えていった。日本語で「おいしい」と言うようになって、ご飯を食べる度に言うので、彼女もより一層料理に腕を振るっている。

 年末には実家のある浜松に5日間程帰ることができた。中学の同級生の家に泊まらせてもらって、そこに同級生3人が家族を連れて集まった。子供の頃から一緒に遊んできた仲間の子供と新太郎が遊んでいる姿は、とても感慨深いものがあった。「バカばっかやってた俺らが親なんてなんか笑っちゃうよな」と言いながら飲んだ酒は旨かった。

 僕の実家は僕が生まれた西山町から、三ケ日みかんで有名な、三ケ日という町に引っ越していた。新太郎は三ケ日みかんを毎日10個以上食べ続けて、太ってまん丸の顔になって、親父やばあちゃんを驚かせた。これまで、ママがいないとすぐに泣くことが多かったのだが、この旅で、ママがいなくても他の皆と遊べるようになった。こうして少しずつ自立していくのだろう。

 東京に戻ってくると、親父が新太郎が生まれて3ヶ月くらいの頃に、訪問販売の兄ちゃんの人情話にまんまと乗せられて買ったラジコンで遊べるようになった。「こんなのまだ当分遊べないよ。気が早いなあ。」と言っていたのだが、自分で電源を入れて、動かして喜んでいる。

 一度、動物園に連れて行ってから、動物への興味が出てきて、「ピーッグ(Pig = ブタ)」「ドーッグ(Dog = 犬)」「バード(Bird = 鳥)」など、動物の名前もたくさん言えるようになった。水のペンで何度も描けるキャンパスに丸を3つ描いて、「ダディー」、「ママ」、「ミー」と指を指して説明してくれた時には、彼女と二人で幸せな気分になった。



 1歳10ヶ月になると、「あっちいく」とか、「ダディいた」とか2つの言葉を繋いで話すようになった。そして何より、僕と遊ぶ事をいつも楽しみにしていて、家にいてインターホンが鳴ったり、物音がすると「ダディ?」と言って、僕を探しているらしい。新太郎が生まれる前までは、仕事大好きで平気で毎日3,4時間残業していた僕だったが、今では閉店が近くなると何度も時計をチェックして、20時ちょうどに店を閉め、早足で家路に着く完全なマイホームパパになっていた。新太郎が小学校に行くようになれば、友達と外で遊んで、夜は疲れて寝てしまうという生活になると思う。とすれば、生まれてからせいぜい6年間くらいが子供とずっと一緒にいられる時期だろう。今は仕事の量を減らしても、子供との時間を大切にしたいと思う。そして、子供が小学校に上がったら、またガムシャラに働けばいい。仕事量を減らせば当然収入にも影響が出る訳で、それを考えるととても不安になる。でも僕は勇気を持って子供といる事を選びたい。両親との時間がほとんど無かった僕の心の中にある闇。新太郎をそんな気持ちにはさせたくない。

 家の前に着いてインターホンを鳴らした。バタバタバタという足音に続いて「ダディ!」という声が聞こえた。(つづく)



※読者の方からの質問や応援メッセージ大歓迎です。コメントお待ちしております。

僕の会社です→メモリアルCDショップ音吉プレミアム
書籍化された僕のブログ→イタリア人は日本のアイドルが好きっ
英語で日本のサブカルチャーについて書いているブログ→ROAD TO OTAKU

コメント

関連記事

RMIT 大学

シティの中にあるRMIT Universityの知られざる歴史

最新記事

カレンダー

<  2026-10  >
日月火水木金土
        01 02 03
04 05 06 07 08 09 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

プロフィール

高橋正彦:1977年、静岡県浜松市生まれ。中学卒業後、単身メルボルンに渡りブライトングラマースクールに入学。同校では、3年がかりで学校側に打診をしサッカー部を創立、初代キャプテンを務める。1998年中古CDショップ「音吉プレミアム」を立ち上げ、世界中の人達との交流を始める。2007年9月、単行本『イタリア人は日本のアイドルが好きっ』を出版。2009年5月には世界中のオタクと交流するOTAKU SPECIALISTとして、NHKから英語でインタビューを受け、その映像が世界80カ国で放送された。

記事一覧

マイカテゴリー