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小説版バイリンガル子育て 第14話 『それは俺じゃない』

「すごいよ、シン君って!」
 彼女が電話越しで興奮している。どうしたのか尋ねると、じゃがりこを新太郎と一緒に食べていて、彼女が何個かまとめて取ったら"One each!(1個ずつだよ!)"と怒られたと言うのだ。僕はひとり東京のアパートで、卑しい嫁と息子のじゃがりこを賭けた骨肉の争いを想像して呆れてしまった。なんて、ケチな奴らだろうと。

 彼女は新太郎を連れて一週間ほど広島の実家に帰っている。毎日ひとり寂しくコンビニ弁当を食べ、発泡酒を飲んで一週間が過ぎるのを待っている僕にとっては、毎晩の電話は束の間のオアシスである。恋焦がれる嫁と息子の姿を想像しつつ電話を取った僕の耳に飛び込んだケチな二人のじゃがりこ騒動。「いいじゃん仲良く食べれば」僕が冷めた声でそう言うと、「そうじゃないの!」と彼女のトーンは一層高まった。
 
"One each!"と新太郎に怒られた彼女が、「シン君、どこでone eachなんて覚えたの?」と新太郎に尋ねると、新太郎が"Daddy Natto."と言ったらしい。そうだ、彼女たちが広島に行く日の朝、僕は3パックまとめ売りの納豆をひとつずつ僕と新太郎の前に置いて、"One each, OK(1個ずつだよ、いいね)."と言ったのだった。「そんなことを覚えていたのか!すごいなあシンは!」ほんの一瞬前までケチな嫁だと決め付けていたのをすっかり忘れ、僕は携帯電話を片手にひとりニヤニヤしていた。

 こんな感じで新太郎が何かをする度に、僕らは親バカ丸出しで喜んだ。今になって冷静に振り返ってみると、新太郎が生まれてから2年間、意味があるのかもわからない状態で始めたバイリンガル子育ての成果が出始めたことが、僕ら夫婦にとってはとても大きかったのだと思う。逆に言えばそれだけお互いに頑張ったのだ。

 そんな親バカに答えるように新太郎も色々なことをしてくれた。おもちゃのドラムを「これ何?」とママが聞けばドラムと答え、僕が英語で聞けば"Dram"と英語発音で答えたり、僕が食べていたお菓子を食べたくて、"Can I have?(ちょうだい)"と言ったり、ママが机の角に足の小指を思いっきりぶつけた時には、"Are you OK?(大丈夫?)"と心配して、"Don't cry.(泣かないで)"と声を掛けた。彼女は涙を浮かべて喜んでいた。

 極めつけはこれだ。テレビに映ったゾウガメを指差して、"Big turtle isn't it?(大きなカメだよね)"と言ったのだ。"isn't it?"という表現は付加疑問文という文法で、僕が中学3年生で習ったものだ。彼女は人生で一度もこの付加疑問文を使ったことはないし、今後も使うつもりもないと言った。そんな高度な言葉を、少し前まで赤ちゃんだった若干2歳2ヶ月の子が話したのである。赤ちゃんが「~だよね。」とフランクに話しているのである。「お前はEAST END×YURI(1994年に『DA.YO.NE』がミリオンセラーを達成した日本のヒップホップユニット)か!」と日本語でつっこめないのが残念だったのは、後にも先にもこの時だけだろう。

 そして新太郎は、別の意味でも成長を遂げていた。僕の友達がうちに来て飲み会をやったときのことだ。皆でテレビをつけながら酒を飲んで談笑していると、新太郎が突然テレビを指差して"Naked!(はだかんぼ)"と言ってニヤけたのだ。ブラウン管の中では土曜ワイド劇場のお姉さん達がお約束のポロリをしながら温泉を楽しんでいた。僕の悪友共は「シン君、お父さんに似て好きだなあ」「将来有望だぞ」などと言って喜びだした。そして新太郎はこともあろうに自らシャツをまくっておへそを出してヘラヘラしている。「それは俺じゃない、俺じゃない…」僕の叫びは悪友達の笑い声にかき消されていった。(つづく)



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プロフィール

高橋正彦:1977年、静岡県浜松市生まれ。中学卒業後、単身メルボルンに渡りブライトングラマースクールに入学。同校では、3年がかりで学校側に打診をしサッカー部を創立、初代キャプテンを務める。1998年中古CDショップ「音吉プレミアム」を立ち上げ、世界中の人達との交流を始める。2007年9月、単行本『イタリア人は日本のアイドルが好きっ』を出版。2009年5月には世界中のオタクと交流するOTAKU SPECIALISTとして、NHKから英語でインタビューを受け、その映像が世界80カ国で放送された。

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