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Melbourne Day: 30 August

8月30日(日)は、メルボルン・デー。エンタープライズ公園へ!!

2009年08月22日掲載
 

Melbourne Day

30 August, 2009 @ エンタープライズ公園

※写真は2008年度の模様です。



8月30日は、メルボルン・デー(Melbourne Day)だ。今年で、メルボルン発祥から174年目となる。メルボルンの発祥の日を祝って、毎年、クイーン橋のたもとエリザベスワーフで、メルボルン旗の掲揚などの式典が行われる。

10時からの式典では、コーヒーや、軽食なども無料で配られる。ドイル、メルボルン市長や、エンタープライズ号の船長、船員、子どもたちなども式典を盛り上げる。

メルボルンデー公式Web

シティではいくつかの施設の無料公開や、半額割引など特典満載のガイドブックを配布している。フェデレーション・スクエアのビジターセンターで入手しよう。



 メルボルンの発祥の地は、ヤラ川にかかるクイーン橋のシティ側のたもとエンタープライズワーフだ。正面は、フリンダース駅。

 1835年8月30日、メルボルンの最初の定住団を乗せた1隻の帆船がヤラ川を遡ってきた。8月4日にタスマニアのジョージタウンを出発した2本マストのスクーナー〝エンタープライズ号″。移民を企画したのは、ジョン・パスコ・フォークナー(John Pascow Fawkner)。ジョンは、乗船の直前になって借金のトラブルから乗船できず、この偉大な最初のメルボルンへの移民には参加していない。

 エンタープライズ号が停泊したこの場所は、現在、エンタープライズワーフとして記念公園になっている。当時、このあたりは一面の湿地帯。シティのエリザベス通りは、当時は川になっていて、エンタープライズワーフの隣、クイーン橋のところで滝となってヤラ川へ流れ込んでいた。ヤラ川は、海水が混じっていて、飲めないなかった。川が流れ込むこの場所で飲料水が入手できたのだ。

 エンタープライズワーフはメルボルンの発祥の地であり、また最初の港となった場所。

 

<エンタープライズ号の乗員>
船長のJohn Lancey, George Evans(フォークナーの代理人)、Peter Hunter、 William Jackson(船の製作者)、Rovert Marr、Evan Evans(大工)、 Charles Wyse(フォークナーの使用人)、Tomas Morgan(農夫)、James Gilbert(職人)、Mary Gilvert(その身重の妻)

 当時メルボルンやビクトリアの地は、NSW植民地ポートフィリップ区(Port Phillip)と呼ばれており、アボリジニ以外は住民は無く、まったく西欧人が入植していない未開の地であった。メルボルン湾を最初に発見したのは、レディ・ネルソン(Lady Nelson)号のジョン・マレー船長(John Murray)。1802年2月15日に湾に入ってきている。その10週間後にマシュー・フリンダース(Matthew Flinders)がInvestigator号で到達している。

 

真ん中は、昨年のメルボルン市長のジョン・ソー氏(John So 蘇震西)。

  メルボルン地区やヤラ川を発見したのは、チャールズ・グリム船長。1803年2月3日にヤラ川を発見して調査している。飲料水(真水)が入手でき定住可能とロンドンに報告している。 しかしその後、メルボルン、ビクトリアの地は手つかずのままに30年が経過する。これはバス海峡が常に荒れていたことと、1798年にマシュー・フリンダースがバス海峡を発見するまでは、タスマニアがオーストラリアの一部と考えられていたためだ。

 

 タスマニアは、1803年に英国人囚人の定住が始まり、1830年頃にはタスマニア全土に植民が行きわたり、新しい開発先を探す必要が出来てきた。ロンセストンの事業家ジョン・バットマンとジョン・フォークナーはそれぞれで帆船を購入し、競ってメルボルンの地に進出してきた。

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