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ムーンバの土曜日

ウォーターフェスティバルの歴史

2010年3月6日掲載

ムーンバフェスティバルは、メルボルンの代表的なお祭り。
オーストラリア最大とも云われている。

レーバーデーの祝日までの3日間、行われる。
今日は、ムーンバ初日の土曜日。 ムーンバの語源などから説明しよう。

毎年、Labour Dayの三連休で実施される。
1955年に始まり今年で50回以上になる。
1901年の豪州連邦成立を記念するものであるとも、1954年の英国エリザベス2世女王の来豪を記念するものとも言われてる。
Moombaの名前は、、アボリジニの言葉に由来するが、ほぼ意味は無い。

主催のメルボルン市によると、みんなで集まって楽しもうというもの。基本ポリシーが無いお祭りなので、年毎に、少しずつテーマが変わっている。現在は、Waterfestと言ってヤラ川とドックランズを主体として、水との親しむことがテーマ。ヤラ川では水上スキー。

現在のオーストラリアは、労働党政権(党首、首相Kevin Rudd)ですが、1800年代から労働者の国の性格をもっていた。
オーストラリアは、本国英国による囚人流刑の地としてスタート。
当時の英国では、経営者と労働者というよりは、主人と下僕という意味合であった。

関係を規定する法律も、1823年に英国で制定されたMaster and Servant Act(主人と下僕法)による。
オーストラリアの各植民地でも1845年に同法が適用。
労働者は、経営者の指示に従わない場合には、懲役刑が科せられた。
当時の豪州の受刑者の20%が主人と下僕法による囚人。
英国から豪州に送られたの多くの囚人は、こういう時代の犯罪者であった。

豪州では更にBushrangers Act(ならず者法)があり、経営者のもとから脱走した労働者は、ならず者と認定されて警察に追われることになった。経営者の許可を得ずに1時間、職場を離れた場合は、懲役刑。
豪州で多くのブッシュレンジャー(脱走者)が発生して、ネッドケリーに代表される銀行強盗が発生した背景には、このような過酷な英国の制度があった。1856年メルボルンの建設労働者は、8時間労働を求めて、初めての大規模な行進を行なった。
労働運動会館(トレードホール)の建設委員会を設置して、1859年に完成。

1890年代には、港湾、鉱山、牧畜で大規模な労働争議が発生し、バララットのユーレカの乱など軍隊の介入により多くの流血騒動が起きている。このような混乱の中で、1891年に豪州労働党が結成されている。

ムーンバ祭りとLabour Dayは、基本的には、何も関係ない。
ムーンバは、1951年から正式にスタートする豪州で一番古い祭りだが、そのスタート時点からレーバーデーとの結びつきはほとんどなく、単なるお祭り。
 

撮影データ
Canon EOS 5D 絞り優先 評価測光 絞りF5.6 1/3200秒 ISO感度 200 太陽光 画質圧縮率 JPEG
レンズ EF24-70mm f/2.8L USM
 

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