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メルボルンの創立を祝おう!!

メルボルンデーの全て

 アボリジニのパフォーマー。1835年当時には、ヤラ川の周辺にはアボリジニの部族ウルンジェリ(Wurundjeri)族が暮らしていた。

メルボルンの創設を祝って、ヤラ川で式典が行われた。
ロバート・ドイル、メルボルン市長など関係者が列席した。
アボリジニアートのパフォーマンスや、小学生の演技の披露、メルボルン旗の掲揚、号砲の発射などのパフォーマンスが行われた。

尚、飲み物、軽食なども無料でふるまわれた。

1835年8月30日、タスマニアからの最初の移民船エンタープライズ号がこの場所(エンタープライズワーフ)に停泊した。
メルボルン市は、これを記念してメルボルンデーとして祝っている。

 この場所にエンタープライズ号が停泊したのは理由がある。
ヤラ川は、汽水と云って塩分が混じっており、かなり上流まで行かないと真水にはならない。
現在のエリザベス通りは、当時は、川で真水がヤラ川に流れ込んでおり、その合流地がこの場所であった。
当時は、真水が流れ込み、草が生い茂る湿地帯にエンタープライズ号は停泊した。
ヤラ川との合流地には滝があり、The Fallと呼ばれた。
現在のクイン橋の北詰であり、まだ滝の痕跡が残っている。

エンタープライズ号のメンバーは、船長のPeter Hunter, John Lancey, George Evans, William Jackson, Rovert Marr, Evan Evans, Charles Wyse, Tomas Morgan, James Gilbert, Mary Gilvertがメルボルンの最初の定住者である。

 メルボルンの建国は、ジョン・バットマンとジョン・パスコ・フォークナーとされるが、実はどちらも移民、第一船には乗船していない。
またどちらもシドニーの植民地政府の許可を得ない不法移民であった。
エンタープライズ号のオーナーで、最初の定住者とされるジョン・パスコ・フォークナーは、移民資金をめぐる混乱で最初の移民船には乗船していない。
フォークナーは、1835年10月のエンタープライズ号の第二回目の航海でメルボルンに到着している。

ビクトリアの開拓は、タスマニアのロンセストンに始まる。
ジョンバットマンがビクトリア(当時は、NSW植民地ポートフィリップ)の開拓を1834年頃に計画を立てているが、同じころジョンフォークナーも同様の計画を立てていた。
当時のロンセストンではビクトリアの開拓の話題は、かなり活発に議論されていた。
ロンセストンには、ジョン・バットマンとジョン・フォークナーが共に通ったという酒場が残っている。(現バットマン・フォークナー・イン)

 ロバート・ドイル、メルボルン市長

1835年5月には、メルボルンの最初の植民者ジョンバットマンがのジローン西部から北部、またメルボルン郊外を探索。
ジョンバットマンは、ビクトリアの探索の後、移住の準備のためにいったん、ロンセストンへ戻っている。
ジョン・フォークナーの移民は、ジョン・バットマンがタスマニアへ戻った間に実行された。
ジョンフォークナーの移民を後で知ったジョンバットマンは、激怒している。

この地に移民を開始したフォークナー一行は、フリンダース通りからコリンズ通りの辺り、エリザベス通りからウィリアム通りのスクエアに小屋を建てて開拓を進めた。



トラムの歴史に非常に詳しいトラムOBのおじさん。
Conductor No. 1170 Mr Kevin Tierreyさん
メルボルンの歴史の証人であり、このようなお祭りには必ず見かける。
GO豪にも過去、数回、登場。

ウェリアム通りとコリンズ通りの交差点にメルボルンの初めての市場、ウェストマーケットが作られた。
現在は、公園となっており、ジョン・バットマンと、ジョン・フォークナーの銅像がある。

撮影データ Canon EOS 5D MarkⅡプログラムAE 評価測光 絞りF9.0 1/320秒 ISO感度 100 露出補正 AWB JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM
撮影:板屋雅博

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