メルボルン旅行記2011 その1
更新日: 2011-04-21
4月13日の午後、広島駅から新幹線に乗り込んだ。オーストラリアのメルボルンへ僕とシンタロウ、親子二人旅の始まりだ。18時前に関西国際空港に到着。搭乗手続きを済ませ、旅立つ前の最後の食事を取ることになった。しばらくは日本食は食べないだろうからと寿司を食べたのち、シンタロウが大阪だからお好み焼きかたこ焼が食べたいと言うので、お好み焼き屋に再び入った。お好み焼き屋では隣に座った初老の夫婦に話しかけられた。ブリスベンにいる国際結婚をした娘さんにチケットをプレゼントしてもらったのだが、今回の災害で成田発がキャンセルになり、急遽群馬から大阪までやってきたのだと言う。最初の大地震から1ヶ月以上経つがいまだに終ってはいないことを再確認した。


腹ごしらえをしたあとは、飛行機に乗り込み20時50分に出発し、乗り換え地点のゴールドコーストには翌朝の6時55分に到着した。朝食にハングリージャックスのハンバーガーを食べた。日本ではバーガーキングという名前でやっているが、僕はこれを食べるとオーストラリアだなあという気持ちになる。高校時代に慣れ親しんだこの味を、僕の舌はオーストラリアの思い出として記憶している。


9時10分再び飛行機に乗り込みメルボルンに向かい、11時30分にようやく目的地のメルボルンに到着した。すぐに公衆電話からホストマザーのロスに電話をかけた。「今着いたから」「待ってるわ。気をつけてね」と簡単な連絡をしてすぐにタクシーに乗り込んだ。そして40分後、ようやくセントキルダにあるロスの家に到着した。まずはロスが出迎えてくれて熱い抱擁を交わす。両親、両祖父母を既に亡くしている僕はロスにぎゅっと抱きしめられると、心の底からふるさとに帰った気持ちになる。

ロスの後ろから二人の女の子が顔を出した。ホストブラザーのサイモンとフランス人の奥さんナディアの娘、ミラとタラルー。写真ではずっと知っていたが会うのは初めてだ。シンタロウは初対面のかわいい従姉妹に少し緊張しながらも二人に促されてリビングに遊びに行ってしまった。僕はロスのあとについてキッチンへ。サイモンとナディアが昼食の準備をしている。献立はお寿司。お持ち帰りの寿司はメルボルンではポピュラーで毎月何回かは食べるほどだと言う。出国前に寿司を食べたのは失敗だったかと思いながらリビングにいるシンタロウに寿司を食べるかと聞くと、「二日連続で寿司でラッキー!」とスキップでやってきた。

デザートのアイスクリームを食べたあと、徒歩5分のところにあるルナパークという老舗遊園地に皆で行った。チキンボーイのシンタロウは南半球最古の木造ジェットコースターに乗るのをかなり躊躇したが、半ば無理やり乗せるととても楽しんでいた。ほかにもメリーゴーランド、全く怖くないお化け屋敷、1 分で出られる迷路など僕も童心に帰り満喫した。






夕食は日本にいるときからメールでリクエストしていたロスの手作りのラザニアだった。留学時代から僕はこのラザニアが大好きだった。僕にとってのお袋の味だ。ラザニアをつまみにあっという間に赤ワインを1本空けてしまった。夜はサイモン一家がロスの家にいるので、僕らの部屋がなく、ロスが3軒となりのモーテルを借りてくれていたのでそちらに移動して、シャワーを浴びてベッドに入った。

シンタロウはミラとタラルーのことばかり嬉しそうに話している。僕も第二の故郷に帰ってきた喜びで胸がいっぱいだった。二人で広島を出てからを振り返っているうちにどちらからともなく寝てしまったメルボルン一日目の夜であった。(つづく)

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