小説版バイリンガル子育て 第3話 『血の十字架』
更新日: 2010-02-06
新太郎が生まれて2ヵ月半が過ぎた。まだ首は座っていないけど元気に育っている。もちろん僕はずっと英語で話しかけている。とは言っても目もまだ見えていないみたいだし、音だって聞こえているのかわからないので、僕のしている事に意味があるかどうかはよくわからない。新太郎は、2,3時間に一度泣いておっぱいをせがんでいる。彼女は寝不足でやつれながらも、慣れない子育てを一生懸命にやっている。でも僕はまだ父親になりきれていなかった。彼女が新太郎を連れて病院から戻ってきて一週間くらいした頃だっただろうか、仕事から帰ると、彼女から突然一冊の書類を渡された。表紙には学資保険と書かれてある。
「何これ?」
「学資保険のパンフレット。この子の為にお金を貯めないと」彼女はそう言って学資保険の必要性を僕に説明した。彼女と出逢ってから6年間で初めてお金の話をした。僕は人生にはお金より大切な物がたくさんあると本気で思っているような男なので、子供が生まれた途端にお金の話を始めた彼女に戸惑いながらも、こう尋ねた。
「一般的に大学を出て一人前に育てるまでにいくらくらいかかるの?」
「知らない」彼女がそう即答した瞬間に、僕の中で何かが弾けた。
「お前さあ、いくら必要かも調べないでひたすら俺に金を貯めろって言ってるのかよ。ふざけんなよ。俺はお前らの生活費稼ぐ為だけに生きてるんじゃねえ」そう言って家を飛び出してしまった。
怒りに任せて家を出たもののする事がない。コンビニで酒を買って近所の公園で飲む事にした。ビールを飲みながら友達に電話をかけてさっきの事を愚痴ると、「親になったからとにかく一人前になるまで子供を育てないとって思って一生懸命なんだろ。早く仲直りしろよ」と諭された。親友にそう言われると、それもそうだと思ったが、向こうから電話してきて「ろくに調べもせずに、ただお金を貯めろなんて言ってごめんなさい。お願いだから帰ってきて」と謝るまでは帰ったら示しがつかない。
それから4時間後、僕はまだ公園にいた。時刻は深夜12時をまわり、公園には数名のホームレスが集まってきた。見かけない顔がベンチに座って酒を飲んでいるのが気に食わないのか、このベンチが彼のテリトリーなのか厳しい視線が僕に突き刺さる。僕は家に帰ることにした。
家に帰ると、彼女が新太郎におっぱいをあげていた。「帰ってきたのに驚かないのか」と聞くと、「まさ君の家なんだから帰ってくるのは当たり前でしょ」と言われ、なんだか知らないが泣けてきて、新太郎と一緒に泣いた。
そんな事があってから、僕は子供を一人前に育てる為にかかる費用を調べた。どう考えても僕の小遣いは四分の一か五分の一になりそうだ。だから世間の人達は発泡酒を飲んでいるんだと今更ながら理解した。そしてこれまでも払っていた家賃、電気ガス水道料金、食費に加えて、養育費も払うことを決めた。
俺は父親なんだ、家族の為に金を払わなきゃいけないんだ、そう自分に言い聞かせながら過ごす日々が続いた。平気で買っていた3000円クラスのワインに別れを告げて600円の安ワインを飲んだ。1600円の高級めんたいこから、280円の安いものへ。毎週買っていたマンガ雑誌も立ち読みで済ますようにした。そして知らず知らずのうちに溜まっていたストレスが、最悪の形で出てしまった。
友達と飲みに行った次の日。朝から彼女の様子が明らかにおかしい。どうかしたのかと尋ねると、夜中に新太郎が夜泣きをしてエンエン言っていると、僕が突然「うるせぇ。捨てて来い」と言ったらしいのだ。ショックだった。泥酔していたとは言え、自分の子供を捨てろと言ってしまったのだ。
僕は28年前、父親に同じ事をされていた。僕が生まれたばかりの頃、酒を飲んで泥酔して帰った親父が泣いている僕を掴んで二階から捨てようとしたと、中学生の頃、親戚が集まって食事をした時に笑い話として聞いた。その時僕も一緒に「最低だなあ」と言って笑ったけれど、心の中では絶対にこんな風にはならないと誓ったのだった。その最低の行為をしてしまった。僕の体にはそういう血が流れているのだと認めざるを得なかった。
頭の中では新太郎は僕の息子で、僕は父親だとわかっていた。そして、愛したいと強く思っていた。でも心の奥底ではまだ本当に愛してはいなかったのだろう。彼女はこの事は一生忘れないと言った。僕は一生この血の十字架を背負って生きていかなければならないのだ。どうすれば息子をもっと愛せるのだろうか?悩みに悩んでたどり着いた答えは「覚悟が足りない」という事だった。子供の未来の為に、英語で話しかけると言っても、結局そぶりだけだったのだ。頑張って父親をしているという姿を自分にも周りにも見せたかっただけなのだ。
僕は彼女に相談して、家では彼女に対しても英語を使うと決めた。彼女は英語はわかならいので彼女は日本語を話す。彼女ももちろん苦労するだろう。それでも彼女は「うん」と言ってくれた。英語圏の人間では無い僕達が英語だけで生活するのはかなりのストレスだと思う。だけど新太郎がある程度大きくなって、なぜ自分が英語を自然に話せるか考えた時に、両親に愛されていたからだと感じてくれたら良いと思った。
一番最初につまづいちゃったけど、これからたくさん愛するから許して欲しい。ベビーベッドの中にいる新太郎を覗き込んだ。新太郎が初めて笑ってくれた。(つづく)

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