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小説版バイリンガル子育て 第19話 『英会話教室の限界』

 親父がこの世を去って6日後、年が明けて2009年になった。この正月は広島の彼女の実家で迎えた。正月休みが終れば、家族四人で東京に帰ることができる。このタイミングで家族がまた一緒に住めるのはありがたい。覚悟していたこととは言え、親父の死は僕の心に大きな穴を開けていた。

 新太郎には、じいじが死んで星になったと伝えた。彼にとって身近な人の死は初めてのことなので、どこまでわかっているかわからないが、"Ji-Ji died and became a twinkle star"と何度も言った。

 二ヵ月半の間、広島で僕がいない環境で過ごした新太郎だったが、週1回の英会話教室に加えて、毎日英語のDVDを自主的に観たり、英語をしゃべりながら一人遊びをしたりしていたので、英語力はまったく落ちなかった。それどころかアルファベットの大文字と数字の1から10を全部覚えていて驚いた。アルファベットは、ウレタンでできたアルファベットのパズルを、おばあちゃんに何度も「これ何?」と聞いて覚えたらしい。更に日本語でしゃべる時に語尾に「けん」と付けていた。広島弁も習得しそうな勢いである。

 ゆっくりと正月を過ごした僕らは1月3日に東京へ戻った。中野のアパートに帰って荷物を置き、休みたいところを我慢してすぐにスーパーマーケットへと向かった。今夜はお客さんが来ることになっている。広島で新太郎が通った英会話教室の先生のキミコとその友達のステーシーだ。年末に広島に行った時に、お礼の挨拶をしに教室に行ってキミコに会った。キミコは、どうすれば日本にいながらにしてこんなに喋れるようになるのか教えて欲しいと、新太郎の英語を褒めてくれた。そして新太郎がとても人懐っこいので別れるのが寂しいと言った。それを聞いた僕が、「もし東京に来る時は是非遊びに来てください」と言ったら、「本当!お正月は東京に友達と行くことになってるの」と言うので、「じゃあうちで手巻き寿司パーティーでもしよう」となったのだ。こういう僕のフットワークの軽さは、子どもたちにも受け継いで欲しい。ハードなスケジュールで疲れるときもあるけど、それ以上に大切なモノが得られると思う。

 キミコは日系アメリカ人だが、日本語は本当に簡単な言葉しかわからない。しかもほとんどが日本に来てから覚えたという。日本に来た理由は自分のルーツである国を見てみたかったから。日本で2年間子ども英会話の先生をしているが、新太郎は衝撃的だったと話してくれた。こんなに生き生きと英語を話す子には会ったことがなかったそうだ。ステーシーも他の教室で英語を子どもに教えているのだが、同じように新太郎の言葉に気持ちがこもっていることにとても驚いて、その要因を知りたがった。僕はこれまでにそんなことは考えたことが無かったので、即答できずにしばらく考えた。そして一つの仮説が出てきた。

"When you think you're teaching, children will stop learning.(あなたが教えていると意識したら、子どもは学ばなくなる)

 僕にとって子どもを育てるのは初めてのことで、更にそれを英語でやっているので、毎回教えるというよりは、一緒に成長していこうという気持ちが強い。それが新太郎にとっては、僕が一緒に遊んでいるように感じて、英語を楽しく自然に吸収しているのではないかと思う、と僕は言った。キミコ達は「それはそうかも知れない。私達はどうしてもプラン通りに授業を終らせるのが最優先になってしまい、時として強引に進めざるおえないときがある」と言った。誤解の無いように言っておくが、キミコもステーシーも生徒たちが英語を話せるようになるように日々努力している熱心な先生だ。その二人にとっても限られた時間と決められた授業の流れの中では難しいということは、その辺りが英語教室の限界であるように思う。日本の子どもたちが生き生きと英語を話せるようになる為には、家庭で何かしらしないと難しいと考えるようになったのはこの頃のことだ。

 僕がそんなことを考えている間、新太郎はキミコとステーシーと、彼女が構えるカメラの前で楽しそうにおどけている。その表情を見て、これまでしてきた子育ては間違ってなかったと確信した。(つづく)




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プロフィール

高橋正彦:1977年、静岡県浜松市生まれ。中学卒業後、単身メルボルンに渡りブライトングラマースクールに入学。同校では、3年がかりで学校側に打診をしサッカー部を創立、初代キャプテンを務める。1998年中古CDショップ「音吉プレミアム」を立ち上げ、世界中の人達との交流を始める。2007年9月、単行本『イタリア人は日本のアイドルが好きっ』を出版。2009年5月には世界中のオタクと交流するOTAKU SPECIALISTとして、NHKから英語でインタビューを受け、その映像が世界80カ国で放送された。

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