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小説版バイリンガル子育て 第22話 『近づく別れ、崩れ行くビジョン、そして苦悩する僕』

 4月になった。満開の桜が人生の新しいステージへと旅立つ新入生や社会人一年生を祝うように咲いているこの頃、社会人13年目を迎えた僕は苦しんでいた。

 両親共働きだった僕にはあまり一家団欒の記憶がなかった。酒を飲んで周囲に当り散らす親父と家族の関係が良好だったはずもなく、家の中には常に変な緊張感が漂っていた。僕はそんな家が大嫌いだった。だから自分が親になったら、子どもたちにとって自慢の父親になりたかったし、僕の親父や婆ちゃんも含めた4世代で仲の良い家族になりたかった。

 色々悩んだ末、近い将来、地元である浜松に生活の拠点を移そうと考えていた。そうすれば子どもたちは、お爺ちゃんやひいお婆ちゃんといつでも会えるし、それは親父や婆ちゃんにとっても嬉しいことだと信じていた。よく「仕事を取るか、家庭を取るか」ということが言われるが、僕はどちらも捨てるつもりはなかった。東京を離れたからと言って仕事を諦める訳ではない。その場所その場所でやりがいのある仕事ができる自信があった。そして離れることになるであろう東京の友達との関係は何も心配はしていなかった。会う回数は減るけど、友達はどこにいようとどれだけ会っていなかろうと友達だと言うことは、小学校・中学校の友達、オーストラリアの友達から教えてもらったから。

 だけどそんな矢先に親父が死んだ。そして2月からは突然婆ちゃんも倒れて病院に入院している。80を過ぎているとは言え、それまで全く健康で元気にしていたのでショックだった。親父が死んだ時、誰よりも落ち込んでいたように見えた婆ちゃん。娘である僕の母を死ぬまで苦労させた大酒飲みの親父を恨みつつも、親父とは気が合うようで母さんが死んだ後も、一緒に暮らしていた。

 婆ちゃんはオーストラリアに住んでいる伯母が浜松に来て付きっ切りで看病してくれている。その事実が、考えたくないけれど婆ちゃんの死が近づいていることを予感させた。そして、十代の頃から浜松を離れて東京に行き、更にオーストラリアにまで行ってしまった伯母は、今婆ちゃんに最後の親孝行をしているんだと思った。

 婆ちゃんが倒れてから、僕は毎月一度は家族で浜松に見舞いに行った。そして行く度にやつれていく婆ちゃんの姿が悲しかった。「ねえ、婆ちゃん。僕はどうすればいいの?浜松に引っ越すつもりだったけど、引っ越しても誰もいなくなっちゃうの?」 僕はこれからどうやって生きていけばいいのかわからなくなっていた。

 楽しかろうが辛かろうが時間は全ての人に平等に一日24時間ずつ与えられている。新太郎と由莉杏はすくすくと成長していった。新太郎は毎日新しい英語を話し続けている。"Looks like a dragon though.(これドラゴンみたいだけどね)"と"THOUGH"を使うようになったし、バットを手で支えて"After Shintaro help this baseball bat, it can stand up but after losing hands, it's gonna be fell off.(新太郎がこのバットを助けてあげれば、バットは立つけど、手を離せば倒れちゃうんだよ)"というような長文も話し出した。

 4月半ばには、アイルランド人の高校生ウイリアムとお父さんのティムが日本にやってきた。ウイリアムとは彼が14歳の頃、僕の店で日本のアーティストのCDを買ってくれて以来の付き合いで、もう何度も会っている。ティムとは今回が初めてだった。新太郎は最初は人見知りをしたけど、すぐに慣れて楽しく食事をした。普通のアイルランド人の子どもみたいだとティムは驚いていた。




 そして毎月恒例になってしまった婆ちゃんのお見舞いで浜松にも行った。由莉杏はまだ何もわからないけど、新太郎は婆ちゃんに何が起こっているかある程度はわかっているので、とても悲しそうにしている。「早く元気になってね。ばあば大好き」新太郎がそういうと婆ちゃんは嬉しそうに微笑んでいた。

 せっかく浜松に来たので、子どもたちが楽しめることもしようと思って、航空自衛隊 浜松広報館(エアーパーク)に行った。僕と新太郎はフライトジャケットに身を包み戦闘機に乗り込んだ。"Shintaro, if this airplane can really fly, where do you wanna go?(新太郎、もしこの飛行機がホントに飛んだらどこに行きたい?)"僕が聞くと、"Anywhere.(どこでも)"と答えた。僕がどこかに移り住むと言ったら新太郎がこんな風にどこでもいいよと言うかはわからないけど、新太郎と由莉杏が大きくなるまでは、僕が住む場所が子どもたちの住む場所になる。浜松へ移住することの目的がなくなりかけている今、僕はどうしたら良いのだろうか?




 4月28日、僕は32歳になった。朝起きてきた僕に新太郎は"Happy Birthday!"と言ってくれた。そして、"Look! I can fly like an airplane!(見てよ!飛行機みたいに飛べるよ!)"と言ってミッフィーの椅子に乗って飛んでいるポーズをとった。この天真爛漫な笑顔を守りたい。その為なら先の見えない真っ暗な未来でも手探りで進んでいくさ。(つづく)



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プロフィール

高橋正彦:1977年、静岡県浜松市生まれ。中学卒業後、単身メルボルンに渡りブライトングラマースクールに入学。同校では、3年がかりで学校側に打診をしサッカー部を創立、初代キャプテンを務める。1998年中古CDショップ「音吉プレミアム」を立ち上げ、世界中の人達との交流を始める。2007年9月、単行本『イタリア人は日本のアイドルが好きっ』を出版。2009年5月には世界中のオタクと交流するOTAKU SPECIALISTとして、NHKから英語でインタビューを受け、その映像が世界80カ国で放送された。

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