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小説版バイリンガル子育て 最終話 『運命に導かれて…』

 婆ちゃんがこの世を去ってから9日後、新太郎は3歳になった。

 僕たちは、家族4人でささやかな誕生会をした。彼女が作ったケーキに、新太郎が大好きな桃の缶詰とチョコレートチューブを使ってアンパンマンの絵を描いた。こんなこともできるようになったんだなあ、と感動しながらケーキを食べていると、ピンポーンと呼び鈴が鳴った。浜松に住む叔母からバースデープレゼントが届いたのだ。おもちゃと一緒に「しんたろうくん おたんじょうびおめでとう じいじ、ばあば、おばちゃんより」と書かれたバースデーカードが入っていた。

 新太郎には、天国のじいじとばあばが死ぬ前に新太郎の誕生日プレゼントを買うお金を残していったから、アンティがそのお金でプレゼントを買って送ってくれたのだと伝えた。新太郎は窓を開けて上を向き、"Ji-Ji, Ba-Ba thank you
for present!"と夜空に向かって叫んだ。




 婆ちゃんが死んでから、僕は毎日これからのどうしようかと考えていた。ずっと思い描いていた家族の絆を大切にした生活。僕と彼女と子どもたちがいて、親父や婆ちゃんも近くにいていつでも会える生活。そのために浜松に行こうと考えていた矢先の相次ぐ訃報。浜松には友達もたくさんいるけど、それだけでは長く住んでいる東京を離れる理由にはならない。それに友達なら東京にもたくさんいる。このまま東京にいて中古CD屋をやっていればいいのだろうか?それが僕にとって一番幸せな選択なのだろうか?中古CD屋のテナントの契約が9月末で切れる。更新しない場合は2ヶ月前に言わないといけない。

 ある夜、親父が夢に出てきた。夢の中で親父は「もう俺たちのことはいいよ。自分と自分の家族のことだけ考えろよ」と言っていた。目が覚めると僕は自分が何をすべきか知っていた。広島に行こうと決めた。

 広島には彼女の両親とお婆ちゃんが住んでいる。彼女の妹二人も結婚して広島を離れているので、僕らが広島に行ったら喜んでくれると思った。僕が思い描いていた仲の良い家族、誰もいなくなってしまったと思ったが、彼女の家族がいたじゃないか。そう気がついた時、頭の中でなにかが弾けた。サッカーの試合中、ごく稀に今からやる自分のプレーが頭に浮かんでその通りに決まることがある。その数年に1回くらいしかない感覚で、頭の中に自分が英語子育ての本を書いている映像が浮かんだ。その日から原稿を書き始めた。

 その後、2010年6月に僕は『子どもがバイリンガルになる英語子育てマニュアル』という本を出版した。あの時、一心不乱に書き始めた原稿を、英語関係の本を専門的に出版しているベレ出版に持ち込んだ。出版業界もかなりの不景気で今時持ち込みで本になることはほとんどないと言われたが、ちょっと読んでつまらなければ捨ててくれればいいと言って原稿を読んでもらった。それから1週間後、とても斬新で面白いので出版を検討させて欲しいと言われた。とは言え、面白いので出版を検討したい作品・企画というのは、各編集者がいくつも持っていて、それを出版社の会議で絞っていって、最終的に1,2冊だけ出版が決まる。なのでこの時点では、何も決まっていないに等しかった。それから数ヶ月後、何度か企画をふるいにかける会議を勝ち抜き、僕の原稿が出版を勝ち取った。あの次に何を書くかがわかっていて勝手に手が文章を書いている感覚は本当に不思議だった。今でも運命か何かの力で僕はあの本を書かせられたと思っている。

 2010年11月、広島にやってきてもう1年以上が過ぎた。引っ越してすぐに、3週間オーストラリア旅行に行った。僕は13年ぶりに高校時代にお世話になったホストファミリーと再会して家族を紹介した。やっていなかった結婚式も挙げた。帰国後は、実店舗を持たず自分の家に在庫を置いてインターネット販売だけで音吉プレミアム広島店をスタートした。当然店舗がない分売上げも減ったが、その分経費もかからないのでなんとか生活できていた。自宅で仕事をしているので、子どもたちとの時間が増えたのはとてもよかった。




 新太郎は4歳5ヶ月になった。相変わらず日本語と同じレベルで英語を話している。英語圏の幼稚園に入れてもまったく問題がないだろう。日本語も、相撲好きが高じて、力士の四股名からたくさんの漢字を覚え、今では一般的な小学校2年生くらいは漢字を知っている。サッカーも大好きで、毎朝僕と公園でボールを蹴っている。



 由莉杏は来週2歳になる。新太郎より言葉が出るのが遅く、この頃やっと"I want"や"more please"などと言うようになったのだが、こちらの言うことは理解しているので問題はないだろう。むしろ問題があるとすれば、気性の荒さだ。新太郎とケンカすると、凄まじい速さで新太郎の顔を引っかき泣かしてしまう。この気の強さはまるで彼女の…いや、なんでもない。



 僕は今、誰もいない英会話スクールの中でこの文章を書いている。中古CD屋の仕事は海外のお客様とのやり取りとブログの更新だけにさせてもらって、本業として子ども英会話スクールを開校することに決めた。50年後の日本人のほとんどが英語を問題なく話せるようにするのが今の僕の夢だ。学校の名前は『MMSJ英会話スクール』。M(正彦)、M(麻衣子)、S(新太郎)、J(由莉杏)、僕たち家族4人のイニシャルが入ったこの学校で、僕たちがやってきたように、英語を遊び道具にしながら楽しく学んでもらうつもりだ。(終わり)



※『小説版バイリンガル子育て』は今回で終わりです。ご愛読ありがとうございました。近いうちにまた新しい連載を始める予定です。

※読者の方からの質問や応援メッセージ大歓迎です。コメントお待ちしております。

新しいスタイルの子ども英会話スクール→MMSJ英会話スクール
日本初の本格英語子育てマニュアル→子どもがバイリンガルになる英語子育てマニュアル
僕の会社です→メモリアルCDショップ音吉プレミアム
書籍化された僕のブログ→イタリア人は日本のアイドルが好きっ
英語で日本のサブカルチャーについて書いているブログ→ROAD TO OTAKU


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プロフィール

高橋正彦:1977年、静岡県浜松市生まれ。中学卒業後、単身メルボルンに渡りブライトングラマースクールに入学。同校では、3年がかりで学校側に打診をしサッカー部を創立、初代キャプテンを務める。1998年中古CDショップ「音吉プレミアム」を立ち上げ、世界中の人達との交流を始める。2007年9月、単行本『イタリア人は日本のアイドルが好きっ』を出版。2009年5月には世界中のオタクと交流するOTAKU SPECIALISTとして、NHKから英語でインタビューを受け、その映像が世界80カ国で放送された。

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