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食物思考~Thought for Food~(10) 餃子編

 ポケットにはお財布もハンカチーフも、家の鍵もチャリの鍵も、携帯電話もエコバッグも、なんでもかんでも詰め込みたい。私はこの欲望を満たすがために、当然、ポケットだらけの服を探し求めます。なので私は、ファッショナブルなメルボルンにいながら、ファッションセンスを語るなんて術は知りません。詰まるところ、服ならポケットがいっぱい付いていればなんでもよいわけで。

 あまりにもポケットいっぱいに物を運ぶ私に、人は切言します。「あのね、そのポケットは、物を入れるためにあるんじゃないのよ。」と。それではいったいポケットの存在価値とは。「それはね、お洒落のためなの。」なんということでしょう、ポケットの存在が実用的価値を伴わないなんて!パンツのポケットは、モデルさんがポーズを取るためだけにあると言うのでしょうか。見た目はポケットなのに、その入口が縫い付けられていて「しつけ糸の取り忘れ?」と思いきや、しっかりとミシン糸で塞がれているポケットもどきなど、もはやポケットと呼ぶことさえ躊躇われるのでありますが。せめて、「夢を詰めるためにあるの。」とでも言ってくれるなら、ちょいとイキだね、って夢見がちな私は切り返すのですがね。



 ファッションセンスのなさを棚に上げての発言と言われようと、このポケット趣味は、私の食物嗜好にも影響しております。それは、なんでもかんでも詰めることのできる、餃子という一品。

 日本は餃子と言えば焼餃子です。そして餃子とご飯、という華々しいスタイルもすっかり定着しておりますが、これはチャイニーズの方々から見れば、関東人から見た関西人の「お好み焼きとご飯」のようなものだとか。ええ、我ら関西人にとってお好み焼きはサイドディッシュでございます。

 何を入れようかと創造力をかきたてる餃子作り。白菜と豚肉、ニラを詰めて焼くというのが一般的な日本の餃子スタイルでしょうが、私はツナとマヨネーズ、ゆで卵なんか入れちゃったりします。入ればいいんです、入れば。

 餃子作りのプロセスを踏む中で最も好きなのは、ひたすら黙々と具を包んでいる時です。餃子の場合は「お洒落ポケット」なんかではなく、食を提供するという実務がありますので、丁寧に「美味しい餃子になるのだよ。」と想いを込めて包まなければなりませぬ。けれど、あれもこれもで好きなものを詰め込み過ぎて、爆発させることも多々あります。衣服のポケットも、そんな次第でよく破っておりまする。欲望はある程度、抑制することを覚えましょう。それはともかく、常々、この具を包む時間を心から楽しんでくれる人でないと、一緒にはいられないだろうと真剣に思っている私です。黙々とだけれど、一人じゃつまらないんですよね。



 過去に、チャイニーズの方々が、寄れば楽しそうに餃子を作ってご馳走してくれたことがよくありました。そのころ、知ったdumpling(餃子)という英単語。また、オーストラリアの駐車場なんかでよく見かける、bump(車のスピード抑制のための隆起物)という単語も同時期に出会いました。この二つのイメージがいまだに私の頭の中で一緒になって、dumplingをbumplingと言ってしまったりするのです。ニューワード・バンプリンの意味は、Dumpy bumpy dumpling(ずんぐりむっくりのデコボコ餃子)。私の作る餃子でございます。

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私は、一日に一度は市場に行かなければ落ち着かないマーケットホリック。これは、そんな私と食物たちとの四方山話です。

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