1993年4月17日にメルボルンにやってきた僕らはそれから18年の間、節目節目で会ってきた
更新日: 2011-09-03
先日、オーストラリアで一番最初に友達になった親友アランが日本にやってきたので食事をした。アランとはブライトングラマースクールで出会った。僕は日本から、アランはパースからメルボルンにやって来てブライトングラマーに入学したのだった。最初の日、地理の授業でいきなりチンプンカンプンで留学したことを後悔していた僕の隣にいたのがアランだった。「ニホンジンデスカ?」と聞かれたのを覚えている。それから卒業までずっと一緒に多くのときを過ごした親友だ。アランは今香港に住んでいる。その前は日本に4年間住んでいた。夏休みを利用して韓国人の友達と日本にバカンスにやってきたのだ。
アランが大学生のころ、毎年夏休みに日本に来ては僕のアパートに転がり込んでいたので、トータルで半年くらいは一緒に住んでいると思う。あまり女性に対して自信がなかったアランに、お前は日本人にモテる顔だと教えてあげて一気に人気者になっていく様も見てきた。
やがて社会人になったアランは日本に転勤でやってきた。息子のシンタロウが生まれたとき、一人で自宅で祝杯をあげていた僕のところに来てくれて、朝まで一緒に飲んでそのままシンタロウを見に行ってくれた。シンタロウにとって初めて会った僕の友達で外国人だ。
僕の4年前に出版した本の表紙をめくるとアランと僕がほかのオーストラリア人の友達と写っている写真が載っている。まあとにかく、お互いの長所も短所もカッコいいところも悪いところも、恥ずかしい思い出も全て知っている仲だ。
3年ぶりに会ったけど相変わらず愉快なヤツで、お互いがそう思っていることが感じられて、友達は友達だなと思った。
アランは、シンタロウとは物心ついてから会うのは初めてだったので、シンタロウの成長と英語力に驚いていた。シンタロウは全く物怖じせずに普通に会話していて、アランは僕が全く英語を話せないときから知っているので、今はその息子がペラペラと英語を話しているのが感慨深いと喜んでくれた。
頻繁に会わなくても、するべきことをして生きていればまた会ったときも変わらずに笑いあえる。アラン、また次のステージで会おう!
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