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アイヌ文化アドバイザー星野 工さん、先住民族サポーター寺地 五一さん インタビュー

アイヌ民族の「心」を守りながら、その過去と現在を伝えて生きる。

2009年6月3日掲載

【プロフィール】
星野 工 Takumi Hoshino
1955年、北海道浦河生まれ。貧窮の幼少期は学校に通いながらも様ざまな肉体労働をする。中学校卒業後に上京するがその後、北海道に戻りアイヌ手工芸品・土産物屋で働きながら、名のあるアイヌの長老より木彫りを学ぶ。また、アイヌの伝統的な刺繍技術を学び、彫刻・刺繍アーティスト、そしてアイヌ活動家となる。
1998年、樺太訪問。樺太のアイヌとの文化交流を行う。オーストラリア・タスマニア初訪問。アボリジニとの文化交流を始める。
1999年、ノルウェー訪問。スカンジナビア半島北部の先住民族、サーミとの文化交流を行う。オーストラリア・クイーンズランド州のアボリジニ居住区(Doomadgee Aboriginal Settlement)を初訪問。
2001年、アイヌ文化の啓発とアイヌ学校建設の支援を得るために、米国・ハーバード大学とマサチューセッツ工科大学を訪問。
2003年、7名のアイヌとともにタスマニアを訪問し、タスマニア大学、メルボルン博物館でパフォーマンスを行う。

寺地 五一 Goichi Terachi
先住民族サポーター。元東京経済大学教員。首都圏アイヌをテーマにしたドキュメンタリー映画「TOKYO アイヌ」映像製作委員会の一員。

  
インタビュアー:綿田 知有紀

 

--星野さんと寺地さんが出会ったきっかけを教えてください。

星野さん:アボリジニに興味を持って交流をしていた五一さんが、東京にあるアイヌ文化交流センターにタスマニアのアボリジニの人たちを連れてきたのです。その時にたまたま私がいて、話をするうちに「オーストラリアに遊びに来てください。」っておっしゃられて。それで私が「連れて行ってくれるなら、アイヌの着物、イクパスイ(棒酒箸)、トゥキ(酒杯)を作るよ。」って言ったその約半年後、忘れていたころに五一さんから「ぜひ一緒に来てください。」と電話が掛かってきました。それで、急いで作るものを作って用意しました。

寺地さん:最初、私は工さんに「怪しい人」と思われていたようです(笑)。けれども、話して行くうち、お互いに深い話もできるようになって、自然にお付き合いすることになりました。


--それから、オーストラリアでもアイヌ文化交流を始めようと決心なされたのですね。

星野さん:それがきっかけですね。私は最初、外国に行くのは乗り気ではなかったのですが、タスマニアに着いたら風景が北海道にとてもよく似ていると感じました。羊や馬や牛がいて…とても和みました。そこでキャンプをしたのですが、一緒に行った学生さんたち(当時、大学の先生だった寺地さんの学生)が笑わせてくれたりして、本当に心地良い時間でした。そうして現地に来て、アボリジニの状況を聞くうちに、本当に残酷で悲惨だと分かりました。同じ民族として助け合わなければいけない、アイヌ、アボリジニだけでなく他の民族も、そしてそれを支援してくれる人々とも手を取り合って行かなければならないと思ったのです。


--寺地さんは元々、アボリジニの研究をなさっていたのですか?

寺地さん:いえ、研究ではなく、先住民族の方々と交流をするという形で、彼らを支援したいと思い、小さな活動を続けてきました。十数年前、タスマニアの森林伐採問題についてビデオを作った知人から、原因が大いに日本にあると知って、タスマニアのターカイン地域(Tarkine)(※1)の原生林を訪れたのです。それがオーストラリアと私の付き合いの始まりです。
また、その時に偶然、メルボルンでアボリジニを含む様ざまな先住民族が集まる会議が開かれていたのです。私はアメリカ先住民に興味があって、以前、1年間アメリカで過ごしたこともあり、参加してみようとそこに足を運びました。そこで、タスマニアのアボリジニとクイーンズランド州にあるアボリジニ居住区ドゥーマジー(Doomadgee)出身のアボリジニの女性活動家に出会い、翌年ドゥーマジーに行ってみました。こうして、タスマニアとクイーンズランドの2か所でアボリジニの人々と知り合うこととなった私は、「何か一緒にできることはないか?」と考えた末、日本からのエコツアーを始めました。星野さんをオーストラリアに招待した時、そのエコツアーに参加してもらったのです。


--実際にアボリジニの状況を見てどうですか?

星野さん:こちらで見たアボリジニで、政府からお金をもらって朝からお酒を飲んでいる人がいました。それは、なんと言うか、違うと思うのです。最初から与えられると、人間は働く気が失せるじゃないですか。また、オーストラリアではケビン・ラッド首相がアボリジニに対して過去の行為を謝罪しました。それは大きな違いだけど、「実際何かが改善されているのだろうか」と思うと、これからですよね。まだまだアイヌ民族もアボリジニの置かれている状況も、改善しなければいけない点は多い。


--今回、オーストラリアで文化交流会を行ったお二人ですが、参加者の反応はいかがですか?

星野さん:今までパフォーマンスをすることはありましたが、今回のように、参加者も交えてお話をするという形は初めてでした。日本人を含め、たくさんの人と深く話をする機会を持てました。その中には、現地の学校で日本のことを教えているオーストラリアの先生もいらっしゃって、日本人以上に日本のことに興味を持っていることに驚きました。


--日本で交流会を行った時と何か違いはありましたか?

星野さん:カムイノミ(アイヌの儀式)を行う際、前の方の席には男性が座るのがアイヌの伝統なので、参加者にそれを説明するとオーストラリアの女性は「差別だわ。」と怒られたりしました。こちらの女性は活発ですね。それだけ興味を持っているということです。
また、日本の小学校を訪問した時には、「何か質問はありますか?」と聞いても誰も何も応えない、先生たちさえもね。でも今回、オーストラリアの小学校では、次から次へと手が挙がって、質問が止まらなかったほどです。とても活きいきとした教育が行われている印象を受けました。


--今回は2週間でタスマニアとメルボルンだけでなく、シドニーも訪問するとお聞きしましたが?

寺地さん:シドニーにはアボリジニの居住区レッドファーン(Redfern)があり、60年代・70年代にそこに住むアボリジニの人たちの間から、ラディカル(急進的)なアボリジニ権利回復運動が起こっています。「シドニーのアボリジニ」と「東京のアイヌ」。大都市の先住民という共通点があると思うので、訪ねようと思ったのです。また、ニューサウスウェールズのアボリジニの長老にも会う予定です。

星野さん:人々とのふれあいのおかげもあるだろうし、神様が見守ってくれているのかな、厳しいスケジュールですけど、全然疲れません。

寺地さん:カムイノミの準備は大変です。木を削ってイナウ(儀式の中でカムイ(神)が降りてくる祭具)を作ったりしなければならないので。忙しい中、朝早く起きて、黙々とイナウを削っている工さん、真剣にカムイノミをしている工さんを見ると、「工さんは本当にアイヌなんだな」と実感します。工さんはこの2週間で7回もそれをされる予定で、この旅はカムイノミの旅ですね。


--オーストリア以外での活動を教えてください。

星野さん:私たちは「アイヌの学校」を建てたいと活動を続けています。その声が日本で聞き入れてもらえないため、世界に知ってもらおうと、2001年に米国のハーバード大学、マサチューセッツ工科大学でアイヌ文化について講演を行いました。当時は地元の新聞も大きく取り扱ってくれたので、多くの人々にアイヌ民族について知ってもらえたのではないかと思います。


--「アイヌの学校」とはどのようなものですか?

星野さん:私は現在54歳ですが、私より上の世代には、義務教育も満足に受けられなかった人々がたくさんいます。そういう人たちが来て、学べる場所を創りたいのです。また、ウタリ(アイヌ語で「同胞・仲間」という意味)が自分たちのことを学べる場所、一般の人もアイヌ民族のことを学べる場所です。


--アイヌであり続けるというのは、どういうことでしょうか?

星野さん:「心」を持ち続けることです。ひとことで言うのは難しいけれど、はっきりしているのは、先祖が行ってきたことを残して行くということ。先祖がいるから、私たちがこうして存在するのは明白です。最低限、今の状況を未来に残したい、だから頑張りたい。
そういう意味で伝統も守り、そして同時に、現代に生きるアイヌとして、「今」を生きるためのこともして行かなければならないと思っています。自分がアイヌ民族であると声を大にして言えないウタリはたくさんいます。現代には、もはや自分がアイヌの血を引くと気づいていない者もいるでしょう。無理に「アイヌをやれ。」とは言えませんが、若い世代のウタリが伸び伸びと生きつつあるので、それに引っ張られて上の世代のウタリも、もっと出て来てくれれば嬉しいです。


--2008年6月に「アイヌ民族を先住民とすることを求める決議」が衆参両院本会議で全会一致で採択されたことについてはどのように考えられていますか?

星野さん:やっとここまで来た、政府が動いたという感はありますが、まだどうなるか先はわからないですね。1997年に「アイヌ文化振興法」(※2)が施行されて、1899年制定の「北海道旧土人保護法」が廃止され、アイヌを取り巻く環境に変化はありました。それでも納得のいかない点はあります。

寺地さん:「アイヌ文化振興法」のもとでは、工さんのようにアイヌ文化や歴史を伝える人が、アイヌ文化振興・研究推進機構よりアイヌ文化活動アドバイザーに任命されます。多くはないけれど、給金も出ます。その一方、任命されずに、無報酬で活動をしている人が多く存在するのも事実です。そしてアイヌじゃなく、日本人もアドバイザーになれる、そういう矛盾もあります。それよりも、この法律の一番の問題はアイヌを先住民族として認めていないことですね。


--なるほど。少しずつ進展はあるものの、アイヌがアイヌとして普通に生活できるまでには、まだ時間が掛かるようですね。
それでは最後に、メルボルンに生きる若者たちにメッセージをお願いします。

星野さん:人種とか関係なく、人間も動物も魚も虫も、同じ地球に生きている仲間として、お互いに愛し合って助け合って歩んで行ってください。それから、現代人は人間が作った機械に使われているような気がするので、機械には負けないでください、と言いたいですね。自分で物事を考えて動ける人であってください。

寺地さん:メルボルン最高っ(笑)。

お二人ともタスマニア、メルボルン、シドニーと多忙な2週間のスケジュールだった今回の来豪ですが、人々との出会いで有意義な時間を過ごされたようです。インタビュー後訪れたシドニーでは、アボリジニの長老たちと共に、アボリジニの儀式スモーク・セレモニーとアイヌの儀式カムイノミを行い感動的であったと、後日、寺地さんよりお便りをいただきました。

※1 ターカイン
タスマニア北西部に広がる、広大な原生林が残る地域。ゴンドワナ大陸時代から続く古い温帯雨林で世界遺産級の貴重な自然が残っているが、古い巨木が伐採されて、ウッドチップ(紙の原料)として日本に輸出されている。

※2 アイヌ文化振興法
正式名称は、「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律(平成9年法律第52号)」。アイヌ新法とも言う。

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