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ANE E-News March 2011-004,005,006

ANE E-News March 2011-004 13 March 2011 No 2

いろいろな皆さんから 情報をいただきました。

新聞じゃおそいよ ということで :

この、アドレスで 日本のTBSがリアルタイムで見れます。いくつかのグループからこの情報が流れてきていますので、みなさん、見ていると思いますが。
http://www.ustream.tv/channel/tbstv

みどり(ANE 事務局)

死者不明者 2700名  南三陸町では 1万人のかたの安否がわからないそうです。 マグニチュードも 8.8ではなく 9.0だったとの修正がありました。

きっとオーストリアにいる方はご不安かと思いますのでなんとか正しい情報がとれるといいのですが。関東での様子、自分の知りうるかぎりの現状を報告します。
これらは私個人の得た見解や経験であり、必ず政府や他の情報機関を正確に伝えるものではありません。

私自身も家族も無事に過ごしております。
私が地震を経験したのは東京都内で訪問看護をしているご家庭でした。
宮城沖の地震速報がラジオから流れて数十秒後のことでした。
小さな横揺れが大きな揺れになりそのお宅の花瓶や仏壇の中のものが大きく崩れてきました。
車いすだったその患者さまをお守りしながらその揺れをやりすごしたのですがこれまで経験のしたことのない恐ろしい体験でした。
東京都内では火災や一部でホールの建物が崩壊、火災も何件かあったようです。
湾岸地域では液状化現象、またお台場のビルの火災、千葉県では石油コンビナートで火災があったようです。
また津波も東京湾内から三浦半島まで観測され神奈川の一部も被害があったと聞いています。
このため交通機関はマヒ、都内のJRを含め私鉄もすべてストップ。
街は夜になっても東京近郊圏へも帰宅できない帰宅困難者であふれました。私もその一人で運よく都内で主人と合流して宿も確保できました。
羽田空港も航空機がストップ、1万人近くの人が空港で滞在したそうです。
私自身は昨日、交通機関の復旧でようやく横浜の自宅に帰りました。こちらの被害はほとんどなくライフラインも問題ありません。
しかし、余震が続いています。
宮城沖から福島~茨城、そして甲信越でも地震が起きています。
福島の原発も時間とともに避難地域の拡大や被爆者の増加についてニュースでありました。
電力不足から輪番停電として国内で協力して節電やエネルギーの確保に努めるとの情報もあり娯楽施設などの自制しています。
携帯電話はメールも通話も地震後、首都圏では一日、混戦しており連絡は難しく、固定電話がなんとか可能なようです。
特に被災地では固定電話おろか街自体が壊滅的なため安否確認は困難なようです。
TwitterやMixi、FacebookなどのSNSやGoogle、Yahooなどインターネットの情報サイトで発信や検索ができるようです。

このように日本国内でも情報や情勢はいまだ混乱しています。
ご心配されて日本への帰国も考えられている方も多いと思いますがどうかこれら交通機関の情報、滞在先を含めたライフラインの確保などを十分に考慮されたうえで日本にいらっしゃることをおせっかいながらお伝えしたいと思います。

また在日の外国人の方も政府から中国語、韓国語での情報提供ができるようだと放送があります。
言語の違う、さらに海外での被災ということでどうぞ混乱されず安心して過ごしていただくよう、もしMariさんのコミュニティーで困っている方がいればお伝えください。

一刻も早い、被災された方の平穏とそして復旧が始まるようまずは祈ること、そして自身も安全にこういった時期を乗り切ることを考えて行動したいと思います。
今回の大きな天災に世界各国から温かい支援や激励をいただいていることを心から感謝します。


亮子(日本 横浜在住)


今回の地震は、阪神淡路地震を超えるとても大きな災害です。時間経過とともに、被害が大きくなります。
私の出身が宮城県ですが、電話も不通な為どんな状況かはTVニュースでの情報しか有りませんとても悲しい出来ごとです。
又福島原子力発電所から放射能漏れが有り21万人が避難する事になりとても不安です。
私は、25年前にここの(原子力圧電所)の冷却水設計チームで図面を描いていました。TV情報よりも、現場の状況は深刻な状態だと思います。何故ならば、設計段階でこの様な地震(津波)を想定した設計になっていないと思いました。津波被害+放射汚染被害のとても深刻な状態です。水産産業は壊滅状態で電力発電も日本全体の3割位が発電ストップ状態です。

もし、メルボルン方で日本の情報がほしい方がいましたら、わかる範囲で情報の提供させていただきます。

井原(日本 横浜在住)

日本の地震・津波情報、基金などMIXI(ソーシャルネットワーク)が早くていいです。個人が情報を提供してるので更新が秒刻みです。Akino        (質問 : どうやってみるのでしょう?Twitter Facebook いろいろあるようです。) 

Japanese for Peace の Aiさんから 静岡県 吉田町に浜岡原発ができるときに 町民のみなさんが用意した 原発から身を守る”私のマニュアル” という資料をいただきました。 全ページだと14ページ ここには 抜粋ですが 福島にお住まいの方がいたら 知らせてほしいとおっしゃっています。0013には 日本での参考資料の出典団体などの連絡先などが出ています。

 
ANEで 募金活動を との声も上がっています。 どのように集め どのように使うのか? みなさんのご提案をお待ちしています。



ANE E-News 2011-005 14 March 2011 


1) あさって 月例役員会で 緊急動議 東日本大震災 への 救援 寄付の話し合いをします。みなさまのお知恵をお借りしたいので 役員以外の皆様も 参加してください。会員 非会員を問いません。みんなで 良い提案を話し合いましょう。

3月16日  午後3時  JIC 事務所 Paramount Building Centre 1階 Shop 8 108 Bourke Street Melbourne
               電話 9654-5121

ANEは Charitable Association で $2 以上は Tax Deductibleです。将来高齢化施設を建てるために登録したものですが今回のように 寄付金を募金するときに この登録を使いましょう。レシートを発行しますので Tax Returnのときに 募金学を申請してください。

募金を集めて何に使うか?  ご提案があれば 事務局まで お知らせください。会議の中で検討してよりよい使用法を考えて見ましょう。

たとえば 

被災地に ご実家 ご家族がいらして 一時帰国を考えている方
帰国したいのだけれど こちらでお世話をしている方がいるので 留守の心配(Respite Care)
日本のご家族の安否を知りたい 今日 日本の新老人の会本部の事務局に連絡しました。東北 関東 支部など もし近くにいる方に 連絡をして調べてほしいとご希望の方は 新老人の会日本各支部で 調べていただきます。 まだ 仙台 をふくめ 一般の人の立ち入りが禁止されている場所は 難しいのですが ご相談ください。

神戸地震のあとこのような 救援の手が差し伸べられました。

神戸地震のあと ニュージーランドの小さい町の先生が 神戸の学校で教えていて 地震で被害にあった子供たちを急遽その町全体で 受け入れ 4-5ヶ月 Home Stayさせたという 例を見ましたので もし 学校や公共団体で そのような要求があったら 対処できるように こちらのメンバーに 話しています。

親御様たちは 子供たちが 安全に暮らしているとわかったので 復旧作業に専念できたとおっしゃられていました。子供たちのストレス トラウマも 和らげることができたそうです。長期戦になりますので いつ どのように など 精神科のお医者様なども関係なされましたが 万が一 原発が爆発 被爆の恐れがあるときなど 必要かもしれません。

本当は新老人の会のメンバーのみなさまを お引き受けしたいのですが 高齢者には緊急の移動が精神的ストレスになりかえって 負担になるかもしれません。子供様 お孫様 ご家族の皆さん など こちらの日系Communityで短期間お世話することは できますのでご相談ください。 

オーストラリア政府も援助を約束していますし 医療器具 食品なども 緊急輸出する用意があります。こちらでも 東北 関東出身者で 今回被害のあった地区出身者もおり 連絡が取れない家族のことを心配なさっています。

日本にいるオーストラリア人の数は 2551人 そのうち 1675人は確認が取れているけれど 残りの876人は まだ安否がわからないそうです。 津波にあった地区には 約223人 英語の教師などで オーストラリアの先生が言っていたそうです。25歳のPoint Cookの家族が連絡が取れないと心配していたのが今日無事でいたのがわかったそうです。携帯電話が使えなくて 連絡が取れなかったそうですが お母様は一安心。ご本人は 救助活動で 活躍していたとか。一喜一憂の ニュースが続きます。 

2) 昨日知らなくて 質問したら  

Mixiは日本版facebookです。mixi.jp/から登録できます。facebook のlikeに相当するのがコミュニティーと呼ばれるもので、すでに地震関係のコミュニティーが40以上立ち上げられています。

「東北関東大震災地震コミュ案内板」というのが現在一番大きく、255,166人が参加しています。
(コミュニティーには参加しなくとも、ミクシィ登録さえしていれば読めます。なにか意見を書き込みしたい場合は参加する必要があります)ここから、いろいろな提案、ボランティアの募集情報などが得られます。
前記の基金は日本の携帯からしかできないのですが、わたしは友人に頼んで寄付しました。募金・支援物資に関する注意点も書いてあって、小口だと現地での仕分け作業がかえって増えるので、なるべく大きく集めて送るかたちが勧められています。そんなわけで既にある基金に募金しました。
メルボルンのコミュニティーやオーストラリアのコミュニティなど数え切れないほどあるので もしANEが募金を集めたいのであれば、そこで募れば早いと思います。とりあえず登録してみてください。すごい量の情報があります!あきの
と親切に教えていただいたのですが 登録の最後に 日本の携帯番号を 入れなくてはならなくて 登録完了できませんでした。
残念。  
3) 朝日新聞のWebから  荻原博子の がんばれ家計 いざというときのお金はどうなる? これは 日本のなのでオーストラリアとは違うかもしれませんが。 万が一 のため 私たちもこちらの情報をつかんでおいたほうがいいと思います。
抜粋 
■通帳、キャッシュカードを紛失

 被災して、通帳やキャッシュカードなどを紛失しても、罹(り)災証明書があり、口座番号、本人確認などできれば、預金を払い戻してもらえます。今回は、緊急的な対処として、罹災証明書が無くても、運転免許証など本人確認ができれば10万円まで払い戻しに対応してくれる銀行が多いようです。

■現金が焼けてしまった

 火事で、現金が焼けても、金融機関の窓口で現金だと確認できれば、きれいなお札と交換してくれます。損傷がかなりひどくても、全国各地の日本銀行の支店で、鑑定で残存割合に応じて支払ってくれるケースもあるので、あきらめないで!

■株券を焼失してしまった

 株券を喪失してしまっても、今は、基本的には株券が電子化されているので、株主名簿上に載っていれば大丈夫です。発行会社または株主名簿管理人に問い合わせを。

 投資信託も、2007年1月から投資信託振替制度が開始され、コンピューターシステム上に登録されています。個人向け国債なども、金融機関でコンピューター管理されています。

■手形や小切手を紛失した

 震災で、手形、小切手など喪失、紛失した場合でも、簡易裁判所で法的手続きを取れば、時間はかかりますが再発行が可能です。あまりにも時間がかかりすぎる場合、“つなぎ融資”などを受けられるケースも出てくる可能性があるので、詳しくは金融機関に問い合わせてください。

■生命保険の保険証券を紛失した

 生命保険の保険証券を紛失しても、データは保険会社に登録されているので、紛失届を出せば保険金は受け取れます。死亡した時の生命保険の支払いは、地震や噴火など大規模な災害で命を失った場合には免責となっていますが、今回は、かなりの生命保険会社が、保険金を支払う方針を表明しています。

■家が焼けてしまった

 地震、津波などが原因で、家が焼失したり破壊されても、火災保険では補償されません。こうした被害に対応できるのは、地震保険。自動車も同様で、地震保険特約がないと、自動車保険では対応できないケースがほとんど(地震保険については、次回に記載します)。

■震災で多額の被害が出た

 災害に遭った損失が出たら、確定申告で損失を取り戻しましょう。

 災害で被害を受けた人に対しては、所得税の雑損控除と災害減免法という二つの税金の優遇があります。

 雑損控除は、地震、火災、風水害など、災害で住宅や家財などに損害を受けた時に税金を戻してもらえる控除ですが、それだけでなく盗難や横領での損失も控除対象になります。

 災害減免法は、雑損控除と違って、適用が災害のみに限られます。また、住宅や家財が対象で、損害が、これらの価値の2分の1以上に及ばないと使えません。

 両方を使うことはできず、どちらが有利なほうを選ぶことになります。年収などでも違ってくるので、税務署で試算してもらうといいでしょう。

■被災地に寄付をした

 寄付をした人は、寄付金控除の対象となり、来年、確定申告をすると税金が戻ってきます。所得税は、2000円を超える額が対象。個人住民税でも、都道府県民税、市町村民税が寄付金控除で安くなります。

 ただし、寄付する団体は、日本赤十字や社会福祉法人など、あらかじめ決められた団体へのもので、個人へのお見舞金などは対象となりません。

■救援物資は、行政機関や支援団体を通して

 困難に直面している現地の人たちに、少しでも物資を送りたいという善意の方は多いようです。ただ、交通機関が部分的に麻痺状態の現状で個人的に物資を送っても、被災地までのルートが確保されていないだけでなく、受付窓口も整備されていません。特に、食料などは腐って粗大ゴミになり、混乱した現場をさらに混乱させる可能性があるので、行政や支援団体から具体的な要請があるまでは待ちましょう。

歯がゆい気もしますが 毎日状況が変わっていますので 冷静に 「何ができるか?」いっしょに考えて行動しましょう。


ANE E-News 2011-006 16 March 2011

1) 本日 月例役員会で 緊急動議 東日本大震災 への 救援 寄付の話し合いをします。みなさまのお知恵をお借りしたいので 役員以外の皆様も 参加してください。会員 非会員を問いません。みんなで 良い提案を話し合いましょう。

3月16日  午後3時  JIC 事務所 Paramount Building Centre 1階 Shop 8 108 Bourke Street Melbourne
               電話 9654-5121

ANEは Charitable Association で $2 以上は Tax Deductibleです。将来高齢化施設を建てるために登録したものですが今回のように 寄付金を募金するときに この登録を使いましょう。レシートを発行しますので Tax Returnのときに 募金額を申請してください。

募金を集めて何に使うか?  ご提案があれば 事務局まで お知らせください。会議の中で検討してよりよい使用法を考えて見ましょう。

2) 朝日新聞の中の医療記事です。 

被災に当たる 医療関係者 ボランテイア 高齢者への配慮など (日にちが違います。はじめの記事は 3月12日 2番目のが 3月15日の記事です。)過去から 学び これから起こることを予測して 災害救助に当たらなければなりません。2番目の記事には これから起こるかもしれない 状態が出ています。 新潟地震のときの経験談は貴重だと思います。被災地のみなさんの安全を祈りながら もし 私たちが 同様な立場にあったら どうすることが必要なら の参考にしてください。テレビで放送される内容にはないことなどを 考えさせられます。

2011年3月12日
高山義浩(感染症医)

昨日午後2時46分頃に発生した地震「東北地方太平洋沖地震」では、相当の被害が出ているようですが、これを書いている時点ではまだ具体的な人々の状況までは伝わってきません。全貌が分かってくるのは、自治体機能が復旧しはじめる3日後ぐらいからなのでしょう。

しかし、いまもライフラインが断絶した暗闇のなかで、身を寄せ合い、生き延びようと頑張っておられる方々がたくさんおられるはずです。ここでは、過去の例に学ぶ形で、いま何が起きているかを考えてみたいと思います。

平成16年10月23日、新潟県中越地方を震源とする地震があったのを覚えておられますか? 高齢者や子供を中心に68名が死亡し、4,805名が負傷、避難した住民は最大で約10万3000人(10月26日)を数えた新潟県中越地震です。

このとき私は、医療支援チームの一員として現地に入りました。現地での活動に加え、色々な方々に話をお聞きする機会もありました。

そのなかでも、被災地の町内会長であるAさんのお話は大変印象深かったです。混乱がようやく収まりつつある発生1ヶ月後のインタビューでしたが、震災直後の混乱を優れたリーダーシップで乗り越えられたことを語ってくれました。

まさにいま、こうしたことが東北ではじまっているのではないかと思います。必要な支援とは何かを思い起こす参考となるかと思い、ここに紹介させていただきます。

■ A町内会長(小千谷市B町)

 この地区は、市内で最初にライフラインが回復したんです。電気、ガス、水道の順に回復して、10月31日には自宅で暖かな風呂に入ることができました。私たちのB町に障害者の通所施設や老健、特養など福祉施設が集中していることが、復旧を優先していただいた理由だと思います。その意味では、この地区は恵まれていましたね。

 11月3日に避難所としての多目的センターを大掃除しまして、そして解散しました。皆が元の生活を取り戻しつつあります。もちろん、多少は切ない気持ちの人もいるかとは思います。たとえば、2世帯がここを出てから、総合体育館の方へ行っています。必ずしも帰れない方々ではないのですが、食事の配給などのサービスを考えれば、家にいるより安心だと考えたのでしょう。若夫婦の方は自宅に戻って生活しながら片づけをしているようです。そのうち1世帯はもうすぐ帰宅できる見込み。もう1世帯は仮設住宅に入るとのことです。

 他に、S病院(町内の療養型病院)の職員寮が空いているとのことで、9世帯36人を引き取ってもらっていましたが、5世帯が帰宅し、現在は4世帯が入居させてもらっている状態です。この4世帯は、このまま冬を越すようですね。

 町内の状況は、このような感じです。そういう一部の御苦労されている方々を除けば、もう日常を取り戻しつつあるという段階ですね。ここまでの道程は、いろいろ苦労もありましたが、総じて上手くいったと思っています。これは、町内会長としての私の働きではなく、町の方々がいろいろと意見を出してくれたので、それを検討し整理していくことができたからなんです。もともと、地域の結びつきが強いことが幸いしました。

 23日、震災があった午後6時には、都合の悪いことに私は町内にいなかったんです。別の場所から町に帰ろうとしている最中でした。トンネルの手前で道が途切れ、私はそこで車を乗り捨てて、歩いて町まで帰ってきたんですよ。町に着いたのは、日付の変わった0時30分のことでした。

 それまでの指揮は副会長がとってくれていました。有能な男で、初動は彼の手腕によるものでした。私は後で聞いたのですが、最初の地震の直後、住民たちは家を飛び出して、自然に町の多目的ホールに集まってきていたそうですね。これが怪我人をほとんど出さずにすんだ理由だと思います。つまり、その後の強い余震で家が潰れたりしましたから。

 余震が強いことで、多目的ホールに集まった人々は恐れて中に入ることができませんでした。老人たちは着のみ着のままで震えていたので、何人かの若者が家に戻って毛布を取ってきまして、とにかく老人にかぶせました。それでも、しんしんと冷え込んでゆきました。強い余震がなくなってきたころ、副会長の判断で、多目的ホールに入ることになりました。ただし、いつでも逃げられるように靴を履いたままで中に入ったのです。電気がすべて止まっています。真っ暗闇でした。

 ただし、このまま夜を越えることは、老人たちにとっては危険なことと思われました。トイレの問題もあります。そこで、多目的ホールから800メートルほど離れたところにある特養と交渉して、選別した85人の老人を車でピストン輸送することになりました。でも結果論ですが、これは正しい選択ではなかったんですよ。それは、特養も停電のため空調が止まっており、そのうえ火災を恐れたスタッフたちがストーブの使用を禁止してしまったからです。そのため、町の老人たちが収容された特養のホールは、多目的ホールよりもよほど冷え込んでしまったんですね。「ストーブを使わせろ」 という町の老人たちと 「使わせない」とする特養のスタッフとの間には、やや険悪なムードが漂っていました。

 翌朝、まだ支援物資は届きません。山水を汲み、薪を集めて炊き出しをして、おにぎりを作りました。一方で、トイレの片づけが急務になっていました。この避難生活は一朝一夕のことではすまないと、皆が気がつきはじめたのです。水の流れなくなった水洗トイレには糞便の山ができつつありました。 私たちは、手でそれをすくって袋につめて処理して、何とか清潔を保ちました。ところが、町民のなかで、仮設トイレのレンタルをしている親戚がいることがわかったんです。 早速電話してみると、すぐに持ってきてくれるとのこと。発電機付きの空調トイレでした。これには助かりましたねぇ。

 一方、特養の老人たちの問題は、かなりこじれ始めていました。実は、この特養、C町の運営なんですが、C町の老人たちを受け入れたいらしく、暗に「出て行ってほしい」という言動が、スタッフたちに見られはじめたのですね。町内会長としては難しい判断でしたが、結局、引き上げることにしました。多目的ホールに入っている若者たちには、自宅に帰るか、もしくは車の中で寝泊りしてもらうことにしたんです。こうしてスペースを確保し、85人の老人たちを収容することができました。

 最初の3日間はこんな感じで、まさに私たち町民は生き抜いたんです。支援が来はじめたのは26日から。それまでは、自力でやりくりしなければなりませんでした。災害時は最初の3日間をしのぐことが大切なのだと、本当に思い知らされました。まず食うこと、そして排泄の問題です。寒さは個々の工夫で何とかできますが、食事と排泄には団結が不可欠でした。

 では、この時期の医療支援には何が必要か? という質問はよくされました。しかし、健康問題にまではとても目が行きませんでしたね。正直なところ、食うことで手一杯のところで「さて、内臓はどうですか」って言われましても、ピンと来ませんよ。ただ、うちの町内でも透析患者が搬送中に亡くなったケースもありましたし、病院へのアクセスを確保してほしいとは思いました。病人は病院が受け入れるべきです。避難所に医師が巡回してくれるのはありがたいですが、病人がいるのに引き取り手がないのは閉口しました。避難所を病院化されては困りますよ。

 さて、26日になって、市内に設置されたというボランティアセンターを訪問してみました。「ニーズは何か」と聞かれたので、「食事が困っている」と言いました。「何人いるのか」と聞かれ、「800人」と申し上げました。すると、「わかりました。炊き出しを始めましょう」と言うのですね。ちょっと驚きましたね。本当に可能なのかと、びっくりしたんです。

 そして、逆に心配になってきたんですよ。800人分作ってもらったとして、それを配るだけのマンパワーがあるのか、そして、どこに誰が避難しているのか把握できているのか、そういうことが不安だったんです。なにしろ、老人たちを入れるため、多くの町民を多目的ホールから私は出しています。ですから、多目的ホールに近い人だけが優遇されるような支援は、何としても避けなければならなかったのです。

 結局、私たちは集団で取り組むべき事項を整理し、輪番制をとって対応することを取り決めました。輪番制で対応するのは次の8項目で、1項目ごとに毎日1人の担当者を決めたのです。

   1.屋外トイレの水補給、発電機の燃料補給、
     ガソリン・軽油の発注
   2.老人の水洗トイレの指導
   3.徘徊老人の監視
   4.援助物資の受け取り分配
   5.ゴミ管理と指導
   6.消防との連携
   7.避難民の健康監視
   8.行政との連絡と対応
 このシステムが非常によく機能しました。こういうことができた地区とできなかった地区との差は大きいと思いますよ。私たちの町は農業が主体で、こういう輪番制に慣れていたことが幸いしました。たとえば、田植えの時期には、日割りをしいて共同作業で一気に農作業を進めてゆきます。もう何十年もこうしてきたんですよ。こういう歴史的背景のおかげで、輪番制を町内会が決めても不満が出ることはなかったんだと思います。

 ただ、援助物資が充実してくるにつれ、残念なことに町内会への不満がではじめてきました。「ボランティアセンターの隣の総合体育館のほうがサービスがいい。あっちに行ったら、温かい汁物があった、毛布や食料をこんなに貰えた」ということで、町内会長は怠慢なのではないか、という突き上げが出はじめたのです。

 私は「支援はくまなく均等に」をモットーとして、それを一番心がけていました。町内だけで支援が完結していたときは、それが上手く機能していたのです。けれども、総合体育館における支援が「来れば差し上げます」という方針をとりはじめたため、そこまで行く足と余裕がある者が得をする構造が生まれてきたのですね。

 実際、支援物資があれほどあるとは、当初、私たちは知らなかったんです。「ストーブ7個を配給します」のような文書が送られて来たりもしましたが、忙しくて取りにいけませんでしたよ。 私たちは、本当に必要な物品やシステムを揃えるのが手一杯だったんですね。「タダなら貰うべきだ」という町民の突き上げもありましたし、どんどん貰いに行って、自宅の倉庫に蓄えはじめた人もいました。しかし、その手助けをするのは町内会の仕事ではないと、私は考えていたんです。

 そういう空騒ぎも、いまは落ち着きはじめています。もう、自分たちで何とかしなければならない段階なのでしょう。震災後1ヶ月が過ぎましたから、マスコミも私たちのことを忘れはじめることでしょうしね。そうそう、初雪を待っているようで、ときどき電話がかかってきます。「雪はまだですかねぇ」と。雪が降れば一段落なのでしょう。ただ、私たちにとっては、第2段階のはじまりともいえるんですよ。融雪装置や除雪車が動かないかもしれない。震災後の雪害を生き抜くため、ふたたび団結することが求められているはずです。

新潟県中越地震の医療支援に入り、被災地で多くの方々の話をうかがってみて、根底で共通しているのが「団結」という言葉であると実感しました。 そして、 リーダーとして 「公平」 を大切にする姿勢が 「団結」を支えていると…。

今日の東北は氷点下の冷え込みと聞いています。心配で仕方がありません。しかし、いまこそ、多くの手と手が重なりあい、地域の力で危機を乗り越えてゆくに違いないと信じています。

2011年3月15日

高山義浩(感染症医)

■ はじめに

報道では、津波が直撃した高度被災地の映像が繰り返し流されています。しかし、壊滅的な被害を受けた地域のみならず、その周辺では、多くの医療機関が通常の診療体制を維持できずに苦しんでいると思います。

専門性の高い支援チームによる緊急援助だけが、いま被災地で求められている活動ではありません。医師や看護師のみならず、薬剤師、栄養士、一般のボランティアなどが必要とされているはずです。

ここでは、災害後の時系列にしながら、どのような被災地の医療支援が求められているか、求められることになるか、私の個人的な経験に基づき考えてみたいと思います。

なお、憶測で支援活動を開始するのは厳に慎みましょう! かならず現地の医療機関、ボランティアセンター、地域医師会、行政機関に問い合わせ、ニーズがあるかの確認をしてください。そして、支援者は交通手段、および衣食住について自己完結できる装備で現地入りすることが原則です。決して、現地のリソースを浪費しないこと。かつ、ヒットアンドアウェー方式、つまり支援を終了したら速やかに被災地を離れることが基本です。


■ 発生直後から5日後まで

災害直後の超急性期においては、現地病院、診療所の機能を破綻させないための物理的支援が求められます。最低限の医療機器を動かす発電機、夜間での診療を可能とする小型投光機があれば、日が暮れた後でも、負傷者が殺到する救急外来を維持することができます。おそらく5日目までは外科系の患者がメインだと思います。つまり、ひたすら縫合できる医者が必要です。

また、入院患者を抱える医療機関では、病院食を持続的に提供できるかどうかが存続のカギとなります。ライフラインが断絶している場合には、飲料水、そしてプロパンガスとコンロにより基本的な調理ができるような支援が必要です。

こうした状況では栄養士の知識が必要です。ありあわせの支援食材で、入院患者ごとの病院食(たとえば低カリウム食、潰瘍食など)を工夫しなければならないからです。多くの支援食材には、保存性を優先した塩分が高めのものが多いようです。肝障害、心不全、腎不全などの患者むけ特殊食材については、ピストン輸送で支援することも考えてください。

透析患者や糖尿病、心不全などの重症患者については、被災地では管理できないかもしれません。こうした診療が可能な医療機関への転送も検討すべきだと思います。


■ 6日後から14日後まで

6日を経過すると、続々と医療支援チームが到着しはじめ、各自治体行政の災害対策本部ですら、医療支援の全体像がつかめなくなります。発生当初とは異なる意味での混乱がはじまります。

日本赤十字社(以下、日赤)らを中心とした大手の医療支援チームが集合し、地元の医師らと活動状況を交換して、受診者数の動向や症例提示を行うようになるでしょう。このころになると遊軍型の支援活動は、ときに混乱を助長する可能性があるので注意してください。ある程度、あなたが継続的かつ組織的に活動することができているのなら、独自の立場で支援者会議に参加することも可能ですが、地元の医療機関や大手の支援団体の一部になるよう心がけるべきです。あなたの活動を行政やボランティアセンターが把握していることを常に確認してください。

各地で、日赤が被災地医療において指導的な役割を果たしていることに違和感を持たれる方もいるかもしれません。日赤は「日本赤十字社法」という法的根拠があって行動しており、同法33条に「国の救護に関する業務の委託」というものがあり、非常災害時における国の行う救護に関する業務が日赤に委託できることになっています。あるいは「災害救助法」では、「政府は日本赤十字社に、政府の指揮監督の下に、救助に関し地方公共団体以外の団体又は個人がする協力の連絡調整を行わせることができる」(第32条の2第2項)とされています。つまり、行政システムの空白期間には、日赤が業務を代行したり、施設の整備をすすめることが認められているのですね。もちろん、日赤が支弁した費用を国が補償することにもなっています。

この他、日赤は「災害対策基本法」で指定公共機関とされており、国の災害救護事業の一部となっています。日赤が指揮を始めたら、活躍の場を「奪われた」と感じて反発するのではなく(そういう陣取り合戦を好む団体が少なくありません)、日赤を核とした緊急医療支援体制として、地元医師会等も参加したチームワークを形成するよう心がけてください。

さて、この頃より被災地の医療機関には、定期薬を内服できずにいた慢性疾患の患者が増悪して運ばれるようになります。つまり、内科系の医師にニーズがシフトします。主な疾患は、高齢者の脱水や肺炎、小児や成人の喘息発作、糖尿病や心不全の急性増悪などが予測されます。この傾向は、地域の医療機関が復興し、主治医による定期外来診療が再開されるまで継続します。

さらに、外傷患者の創部感染による全身状態の悪化も多発しはじめます。人手も資材も不十分な被災地の医療機関では管理できないので、診療が可能な医療機関への転送が必要です。事前に、医療機関ごとに後方支援病院を決定しておいた方がよいかもしれません。

車中泊を続けている被災者(ときにボランティア)が、長時間同じ姿勢で寝続けることによるエコノミークラス症候群(深部静脈血栓症)を発症しはじめます。姿勢のほかにエコノミークラス症候群を引き起こしやすい環境として、乾燥と寒冷があります。つまり、いまの被災地は発症の好条件と言わざるをえません。

エコノミークラス症候群により静脈内に形成された血栓が飛んで肺塞栓を引き起こすと、呼吸困難と胸痛などの症状が出ます。さらに進行すると、血圧低下、意識消失などを生じ、重症な場合には、そのまま心肺停止します。非常に怖ろしい疾患であり、大切なことは予防です。乾燥を防止し、水分を補給し、休息時にも適度な運動を行うこと。そして、下肢の静脈内に血栓がないかを早めに診断してもらうこと。つまり、この時期には、ポータブルエコー機器を使える技師による被災地の巡回検診が求められます。

また、混雑したトイレに行かずにすむよう水分制限をしている避難者が多いことにより、尿路感染症の患者も多発しはじめます。これを予防するため、とくに女性向けのトイレゾーンの設置と衛生状態の確保が急務です。

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