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ANE E-News April 2011 - 002



 ANE E-news 3 April 2011



ANE Japan Quake Donation Report from the Treasure James Khare.

31 March $ 50 from Police Assoc Coop

$ 628.25 As of 31 March 2011 Thank you for your support.


1) ANE & La Trobe 大学 Wildlife Sanctuary  ”Children of the Bush”   プログラム 2011年

3月4月 2ヶ月にわたり 10回のセッションで 幼稚園と保育園の子供たちの 種教育 を 行いました。連邦政府の助成金をいただいたプロジェクトです。4月5日 Reservoirの 某幼稚園での報告をします。4歳と5歳児のクラスです。13人の子供たちと先生2人が参加します。写真を記録のために写すため 事前にConsentを受領しました。(こどもの写真を写すときには保護者からの許可が必要ですし 写真はこのニュースレター以外では発表しない と約束をしました。)

午前10時から11時半 のセッションで 幼稚園の保母さんをしていた Julieさんと Wildlife Sanctuary のスタッフの2人組み。教材と 子供たちにあげる Red Gum Treeの絵本の準備と印刷 2人のスタッフの時間給を 助成金でカバーしました。

教材は Computerのスクリーンで 見られます。 オーストラリアのユーカリの木 草 種 Bushに住んでいる昆虫 鳥 動物など Julieさんは 子供たちへの話しかけ 答えを聞いては また質問する という 対話方式で授業を進めていきます。木と 自分の体を照らし合わせて 葉っぱ 根っこ 枝 幹 と木の構造の勉強をします。4歳児 5歳児は 15分間郭の 集中力。次は葉や木の皮や 種を使ってはり絵を仕上げます。 その後で庭に出て 草の苗を植木鉢に植え 水をやって 「大きくなってね」と成長を待ちます。その後が 大変。 Sanctuaryから 持って来た大きな袋を ビニールのシートの上にあけて 葉っぱの中に住んでいる 虫を探します。Natural Geographyで売っている$2の容器は そのためのもので 上にふたと虫めがねがついているので ちっちゃな虫が大きく見えます。虫がつかめない子 せっかく見つけて容器に入れたのに Up Side Downにして逃がして泣いてしまう子など!にぎやかでした。 お話の時間には The River Red Gum Storyを Julie先生に読んでもらいました。これは 記念に各園児にプレゼントされました。

2) キャンベラジャパンクラブ から Nara Parkでもたれた 地震 津波のMemorial Serviceの写真をいただきました。写真家の辻本恵美さんが アルバムになさいました。

Dear All,
Ms. Emi Tsujimoto who was one of the camera persons for the gathering
created beautiful photo albums in colour and black and white. We can
sense the atmosphere of the gathering from the photos. They can be
downloaded from the album.

Please click the following link.

http://web.me.com/emitomtomo/Site/EmiTsujita_Photographer_2011/EmiTsujita_Photographer_2011.html

Thank you so much for your effort, Emi-san.
Keiko Tamura
The Canberra Japan Club


3) 在VIC州主要邦人団体の皆様へ ←2011年4月8日 在メルボルン日本総領事館より 前回のお知らせの補足です。

平素よりお世話になっております。

先般,下記の旨ご連絡させて頂きましたところ,弔問記帳の実施日時に関し,以下判明致しましたため,ご
参考までにご案内申し上げます。

1.St Paul’s Anglican教会は,日本の東北地方太平洋沖地震被災者の方々を応援するため,以下のプロ
ジェクトを計画しています。
(1)「Book of 10 000 Cranes」という弔問記帳のメッセージ・ブックを作成

○弔問記帳の期間
日程:4月6日~30日 火~土曜(日・月曜は除く)
時間:10時~17時30分

(2)上記(1)へ記帳した方々を招待し,折り鶴を作成する礼拝を実施。礼拝日時等の詳細は未定ですが5
月を予定。
(3)St Paul’s 教会担当者が,メッセージ・ブックを日本へ届ける(7月を予定)。

以上,ご参考まで。
_________________________________________
在メルボルン日本国総領事館
政治経済班  小路 規与 Noriyo SHOJI
Consulate-General of Japan in Melbourne
Political and Economic Section
Tel:+61-3-9679-4510(ext:805)
  +61-3-9667-7805(direct)
FAX:+61-3-9600-1541
e-mail  noriyo.shoji@mofa.go.jp


4)  2011年 Volunteer Week   Western Health Volunteer Team

ウイリアムスタウン ホスピタル のボランテイア活動にご参加の皆さん  お礼の意味もかねて Afternoon Teaを楽しんでください。 RSVP 5月2日まで ANE 事務局にご連絡ください。まとめて Bookingします。現地集合です。

Venue Club Italia
128 - 152 Furlong Road
North Sunshine
(located next to Sunshine Hospital)
Time 2pm - 4pm Thursday, 12 May 2011
Ample car parking is available at the venue.
Join us in celebrating and acknowledging the Western
Health Volunteer Team.


5)   日刊現代
2011年4月4日 掲載   義捐金が まだ被災者に一銭も渡っていない
「着の身着のままで家を飛び出した人がほとんどなので、少しでも手元にお金が欲しいという声が届いている」――宮城県の村井嘉浩知事は3日、NHKの討論番組でこう訴えた。3月11日の地震発生以来、日本赤十字と中央共同募金会に義援金が集まりながら、いまだに一円も配られていないことに対する不満である。
 これまでの集計で赤十字に980億円、募金会に174億円と計1154億円の募金が寄せられている。未曽有の広域災害だけに募金の集まりは早く、赤十字の場合は12日間で401億円に達した。15日間で164億円を集めた阪神大震災に比べて1日あたり3倍のペースだ。
 だが被災地にカネは渡っていない。その背景にあるのが「義援金配分委員会」だ。これは各自治体の被災地代表や有識者が集まってどこにいくら配るかを話し合う組織。ところが青森から千葉までと被災地が広いため、委員会の設置にこぎつけていないのだ。片山善博総務相は3日になって、「(死亡者や避難民の数などの)客観的な基準で早めに配分できるよう政府として考えをお示ししたい」と語ったが、遅すぎる。災害危機管理アドバイザーで防災士の和田隆昌氏が言う。
「阪神大震災のときは2週間後に被災地に義援金(1世帯10万円)が届いたのに、いまだにお金を寝かせたままとは呆れた話です。避難所の中には食料や衣服は十分でも、下着やオムツ、薬品、包帯が足りなくて困っているところがたくさんあります。そうした場所では被災者がスーパーやコンビニで調達するのですが、サイフを持って逃げなかった人は買い物もできません」
 菅首相は避難民の困窮を考える余裕もないのか。あるいは、まとまった金額が集まったところで会見を開き、「義援金を届けました」と人気取りパフォーマンスをやるつもりなのか。
「のんびりかまえているうちに、現地では高齢者が持病を悪化させています。菅首相は配分委員会など無視して一刻も早く現地の人たちにお金を届けるよう指示すべきです。さもないとさらに死者が出てしまいます」(和田隆昌氏=前出)
 善意の募金者だって、「飲まず食わずのかわいそうな被災者のもとに一日でも早く」と思って協力しているのに、これじゃあ、まったく意味がない。義援金配りもまともにやれない政府って一体何なんだ。

 6)朝日新聞 医のかたち から  減災  万が一の災害が起こったら ー 準備はできていますか?災害弱者 災害をせっかく生き延びたのに 避難所などでお亡くなりになるのは 高齢者が多いようです。
■身を守る日頃の準備

 東日本大震災の避難所に身を寄せた人たちの間で、持病の悪化をどう食い止めるかという問題が出ています。いざというときのために、何をどう備えておけばいいのでしょうか。「医のかたち」最終回は、患者に必要な「減災」の方法を考えます。(錦光山雅子)

■手元に薬リスト

 日本赤十字広島看護大学(広島県廿日市市)の渡邊智恵准教授は21日までの6日間、東日本大震災による津波で多数の行方不明者が出た宮城県の4市町を訪れた。

 災害看護が専門の看護師で、阪神大震災や新潟県中越沖地震を始め、国内外の災害現場にかかわってきた。今回も実際に救援活動をしながら、避難所のケアについて現地の看護師らに助言した。

 利府町の避難所で、精神疾患を持つ女性に会った。取るものも取りあえず避難所に身を寄せたので、薬も自宅に置いてきたという。

 だが女性は、普段飲んでいる薬の名前が書かれた紙を小さくたたみ、ロケットペンダントに入れて首から下げていた。リストをもとに、女性にはほどなく薬が届けられた。

 別の避難所では、高齢の糖尿病患者の女性が、「低血糖の状態で冷や汗がでる」と訴えていた。薬は持って逃げたという。

 糖尿病の薬は、病気のせいで異常に高くなる血糖値を下げる効果がある。だが、血糖値が上がっていない状態で飲むと血糖値が下がりすぎて、意識を失うことがある。

 女性は地震が起きてから1週間近く、ビスケット1枚、コッペパン3分の1など、摂取カロリー量が極端に低い食事が続いた。一方、薬は、地震前と同じ量を欠かさず飲んでいた。それが、災いした。あめをなめたら楽になった。

 人工呼吸器や胃ろうなど高度な医療ケアが必要な患者が自宅で被災し、避難所で暮らす姿も目立った。国がここ数年、在宅医療をすすめてきた影響とみられる。世話する家族が買い出しなどに追われ、トイレをあきらめて紙おむつにしたお年寄りの床ずれやおむつかぶれが悪化していた。

 「地震の時は薬を持って逃げろ」。その教訓を守ろうとしたために、逃げ遅れた人がいたのではないか――。渡邊さんは、備え方を見直す必要があると考えている。

 「地震は3日あれば支援の手が入る。しかし、今回は津波で物流が途絶え、3日を過ぎても人や物の支援が入れない地域が多くあった。長期間助けがこないと想定した備えをどうするか、練り直さなければいけない」

■「自助7」心得て

 「災害でいつも出てくるのは、慢性の病気を持つ被災者の手当てをどうするかという問題。地震による重傷者の治療が優先されるため、どうしても後回しになる」。兵庫県立大学地域ケア開発研究所の神崎初美教授は指摘する。

 23日まで6日間、宮城県内の避難所を回った。薬を家に置いてきた患者に、飲んでいる薬の名前を聞いても「分からない」と言われることが多かった。「薬局でもらえる薬の説明書や薬名を書いたメモを、財布に入れて持ち歩くだけで、いざという時に備えられる」

 同大は阪神大震災を教訓に、看護研究者が中心となり、「命を守る知識と技術の情報館」というサイトをつくった。慢性の病気やがん、妊婦、高齢者などを想定した災害への対策を説明している。

 2006年には「『いざ』という時のために」(減災手帳)という小冊子も作った。薬の名前や飲み方、保管方法、アレルギーの出た場合などを書き込める。

 日頃から必要な手だてを勉強しておくことも必要だ。

 インスリン注射が欠かせない1型糖尿病の患者らで作るNPO法人「日本IDDMネットワーク」(事務局・佐賀市)は07年、冊子「お役立ちマニュアルパート3 災害対応編」をまとめた。災害時を乗り切るには「自助7 共助2 公助1」と呼びかけ、血糖値の管理も「いつ食事できるか分からない時は、低血糖を避けるため、血糖値は高めを保つつもりで」などと指南している。

 東京都立広尾病院(渋谷区)では「減災塾」を開き、外来患者向けに災害への備えや応急処置を教えている。災害担当の菊地睦看護長は「患者が我が身をどう守るか、日頃から考えてもらうため」と話す。

7) ドキュメンタリー映画『光彩の奇跡』 英語字幕あり     http://www.yonbunnoichi.net/hikari/


日時:4月16日 土曜日

場所:カルチャーサークル『お稽古』 1109/9 Yarra Street, SouthYarra

上映会:14時~  チケット代:15ドル(お茶菓子付) ※事前予約制(定員30名)


寺田のり子さんはさまざまな苦難を努力で乗り越え、カラーセラピストとして大成功を収めます。 しかしその彼女を癌が襲い、それ以後「人を癒すこと」をテーマに、画家の天使河原紫翠さんと共にヒーリングアートを製作する道を選び、どうすればもっと人 を深く癒せるかをとことん追求しながら、癌を克服し、生きてきました。 そんなとき、再びのり子さんを糖尿病という病魔が襲います。片目を失明し、宣告された余命はあと5年……。苦悩の中、年月は過ぎていき、残された命は1年 半。体調も悪化し、生きる希望も気力も失いかけたとき、山元加津子さんの講演会に参加、その中で、重い障害で亡くなった少女・雪絵ちゃんの詩「ありがと う」に出会います。努力して切り開いてきた人生。人を癒すために、身体に鞭を打ち、頑張り続けてきた自分。でも、私は自分に感謝したことがなかった……。 この詩に出会い、自分に感謝の気持ちを持ったときから、のり子さんの中に大きな変化が訪れます。残された命で、「美しい光りの絵を描きたい」という思いが 湧き上がってきたのです。 色がほとんどわからなくなった中で、夫の紫翠さんに支えられながら、夢中で絵を描き続けるのり子さん。無我夢中で描く絵は、3ヶ月で52点にも及びまし た。 ありのままの自分を受け入れたつもりでも、時に自分の体にジレンマを持つこともある。しかし絵を通して、生かされている命の尊さに気付かされます。「お迎 えが来たら、それも寿命。今はただ描き続けたい」見えなくなった目で美しい色をつかみ、「光りの絵」を描く……。


「自分をまるごと愛すということとは?」「全て大丈夫を生きるということとは?」感謝からはじまる奇跡と感動のドキュメンタリー。



『ありがとう』 笹田雪絵


私決めていることがあるの。この目が物をうつさなくなったら目に、そしてこの足が動かなくなったら、足に「ありがとう」って言おうって決めているの。

今までみえにくい目が一生懸命見よう、見ようとしてくれて、私を喜ばせてくれたんだもん。
いっぱいいろんな物素敵な物見せてくれた。
夜の道も暗いのにがんばってくれた。
足もそう。私のために信じられないほど歩いてくれた。
一緒にいっぱいいろんなところへ行った。
私を一日でも長く、喜ばせようとして目も足もがんばってくれた。

なのに、見えなくなったり、歩けなくなったとき 「なんでよー」なんて言ってはあんまりだと思う。
今まで弱い弱い目、足がどれだけ私を強く強くしてくれたか。

だからちゃんと「ありがとう」って言うの。

大好きな目、足だからこんなに弱いけど大好きだから
「ありがとう。もういいよ。休もうね」って言ってあげるの。

多分誰よりもうーんと疲れていると思うので・・・。
でもちょっと意地悪な雪絵はまだまだ元気な目と足に「もういいよ」とは絶対に言ってあげないの。
だってみたい物、行きたいところいっぱいあるんだもん。

今までのは遠い遠い未来のお話でした

◎上映会を盛り立ててくれるボランティアさん募集中です!&お店・個人の方のスポンサーさん!お待ちしております!◎

Koto Holland

☆**‥…★…‥**☆◆☆**‥…
主催 よんぶんのいち☆メル会
http://ameblo.jp/yonbunnoichimel/
☆**‥…★…‥**☆◆☆**‥…

8) 朝日新聞から    東日本大震災で被害にあった子どもたちをどう支えればいいのか。被災地を訪れた3人が語るのは、子どもの心のケアや学校の情報発信、行政と民間の連携の大切さだ。

◆学校情報 届けて 教育学者 小松郁夫氏

 東日本大震災で被害にあった子どもたちをどう支えればいいのか。被災地を訪れた3人が語るのは、子どもの心のケアや学校の情報発信、行政と民間の連携の大切さだ。

 福島県南相馬市、いわき市などから遠く新潟市、新潟県長岡市の避難所に来た人々の聞き取り調査に、3月20~21日、参加した。

 仕事や住宅と並び、子どもの教育への不安を口にする人が多かった。学校の情報が届いていないことが一因だ。地域ごとに避難していないので、学校や同級生がいまどうなっているのか、学校がいつ再開されるのかがわからない。

 大人の人間関係は地域単位だが、子どもは学校や学級単位。学校情報は欠かせない。自らも被災した学校や教員、教育委員会にとっては大変な作業だが、なるべく早く児童生徒の居場所リストを作り、学校と子ども、子ども同士の連絡がつくようにしてほしい。

 心のケアも急がねばならない。避難所では表情のない子が目立った。親のつらさを気遣い、震災の話を封印している。親や友達を失った子、避難先の学校に当座通う子、新しい土地に移り住む子と、状況はさまざまだ。きめ細かく対応するために、被災地だけでなく全国各地の受け入れ先で数年単位で教員を増やすべきだ。

 中長期的な課題も多い。

 学校の建物を再建するだけでなく、保護者や地域の思いをくんだ学校づくりを進めたい。

 かつての街を復元するか、新しい街づくりに踏み出すのか。その議論には中高生も加えてほしい。これからの街づくりを担う世代だからだ。授業内容も柔軟に見直し、どんな社会をつくるのかを自分の頭で考えられる人間を育てることに力を入れてほしい。

 ◆調査結果はNPO災害・医療・町づくりのホームページ(http://triage.web.fc2.com/index2.htm)で読める。

◆官民 つながろう 教育行政担当 上月(こうづき)正博氏

 文部科学省は、学校再開に向けての情報や支援策を、生涯学習政策局の政策課でまとめている。課長として状況をつかみたいと、3月21日、福島市の高校や県庁、避難所を回った。

 実感したのは、今回の被害が前例のないレベルであることだ。地震、津波、原発事故の三つが重なっただけではない。原発の被害は次々広がり、避難者の流れが止まらない。福島県教委は県庁自体が被災したため小学校の教室に間借りし、教育長を筆頭に子ども用の小さないすで仕事をしている。復興策の前提となる各地の子どもの数をつかむことさえ難航している。

 教員の加配や校舎の復旧、子どもの心のケア、学費や学用品の援助など、課題は山積みだ。しかも被災地、学校、子どもによって全く違う。自治体のニーズを受けとめ、従来の制度にとらわれずに柔軟に考えていく必要があると感じた。

 カギはNPOやボランティア、企業など民との連携だ。「ボランティア元年」といわれた阪神大震災の時は、行政の手が回らないところを民がカバーする構図だったが、今回はパートナーとして復興を進めようとしている。

 例えば、学習支援や学用品の配布を大学生に頼み、子どもの話し相手になってもらうことが考えられる。民間の力を生かすために国がサイトを設け、被災地の人に、求めるサービスを書き込んでもらい、支援者と出会えるようにする仕組みも始めた。

 避難所では、中学生や高校生が率先して物を配る手伝いをする姿を見た。悲惨な被害がもたらされたにもかかわらず、人々のつながりは強まっている。これを新しい教育をつくりだす起点にしなければならない。

◆「仲間と一緒」大切 NGO医師 ウニ・クリシュナン氏

 3月19日から3日間、宮城県多賀城市に入った。学校が再開された際、被災した子どもたちにどのように接したらいいかを小中学校の先生に助言した。

 子どもたちは複雑なショックを受けていた。予想を超える大津波の恐怖。余震による津波の心配。さらに放射能への不安が大きい。先々どんな影響が身に及ぶかわからない怖さがあり、どうしていいかわからず困惑しているようだった。

 被災した子どものケアでは、医者より普段から接している先生やボランティアの役割が重要だ。まずは子どもとじっくり話をし、自分は何ができるのかを考えさせることを勧めたい。次に、歌でも何でもいい、仲間と一緒に何かに取り組ませることだ。そうすることで何か起きてもだれかが助けてくれるという安心感を持たせられる。そして、子どもたちが主体的に復興に取り組めるように誘導すること。仲間と力を合わせて祭りを開くといった経験を通じ、地震で失いかけた自尊心を取り戻せるはずだ。

 学校再開後も被災した子どもを定期的に観察することが必要だ。特別な治療が必要な子が見つかったときに医師の助言を仰げる態勢を行政は整えておきたい。(編集委員・氏岡真弓、増谷文生)

9) 朝日新聞の記事から

岩手県釜石市の市街地から北に二つの岬を越えた旧鵜住居(うのすまい)村。隣の栗橋地区と合わせて約8千人が暮らすムラの医療は、3人の医師が担っていた。内科・小児科病院を営む医師の夫婦と、9年前にやってきた神経内科医院の医師。津波で医師の夫婦は行方が分からなくなり、二つの医院は跡形もなくなった。
 渥美進さん(81)と妻の久子さん(71)が診察する渥美医院はムラでただひとつの小児科で、夫婦は学校の担当医も務めていた。  進さんが父の後を継いだのは約50年前。昨年にようやく救急車が配備されたムラで、医院は多くの患者を受け入れてきた。夜に熱を出した子ども、早朝にけがをした漁師。進さんは内科が専門だったが、傷の縫合が得意だった。 1年前に体調を崩した進さんは、3月いっぱいで引退しようと考えていた。地元の医師会は、久子さんには残ってもらうよう説得をしていたという。

 古川典さん(82)は、津波が襲った3月11日の朝、医院に行った。採血した検査の数値が平常になり、久子さんから「この調子でがんばって」と声をかけられたという。「カルテに細かく字を書いて、それを丁寧に説明してくれた。進さんも久子さんも、聴診器のあて方がすごく優しい。ほかの病院には行けなかった」と古川さんは話す。

 夫婦と40年間一緒に暮らした准看護師の佐々光代さん(59)は、「患者とも家族ぐるみの付き合い。明るい病院だった」と振り返る。

 ■過疎地の医者を志して

 渥美医院のすぐ近くには、「はまと神経内科クリニック」があった。院長の浜登文寿さん(46)が9年前に開いた。  同じ沿岸部の山田町出身の浜登さんは、電器店を営んでいた父から「過疎地を救う医者になれ」と何度も聞かされた。県内の県立病院に勤めた後、「無医村にしてはならない」と鵜住居に来た。

病院は流されたが、家族と14人のスタッフは全員が無事だった。約10キロ離れた釜石市の市街地で、3年前に閉院した病院を借りて診療を再開した。 過疎地の町医者に導いてくれた父は、母とともに行方が分からない。浜登さんは「住民が1人でもいるなら、いつか鵜住居に戻る。それが父の教え」と声を詰まらせた。
 ■離れがたい鵜住居

 森田ヒロさん(69)は、浜登さんの病院のすぐ近くで、車いすの夫征紀さん(72)と2人で暮らしていた。自動車はなく、車いすを押して行ける浜登さんの病院がありがたかった。  震災から3週間がすぎた今月3日、避難所にある臨時の診療所に行った。血圧を測ると、地震前に140だった数値が220を超えていた。津波の後からは左耳が聞こえづらい。疲労やストレスから来ている可能性があると診断された。

 この日、仙台市に住む娘たちが森田さん夫妻を迎えに来た。しかし、征紀さんは鵜住居を離れるつもりはない。「みんながいるし、いつでも診てくれる病院がここにはあるから」とヒロさんは言った。 ヒロさんが診察を受けた臨時診療所は、避難生活を送る栗林小学校の児童会室にある。大阪市から派遣された医師2人と看護師らのチームが外来と巡回の診療を受け持っている。

 地震直後、1日あたりの患者は100人を超えた。今は院外処方を勧め、4月に入ると20人ほどに減った。巡回場所も19カ所から3カ所程度になった。それでも、看護師の犬童さおりさん(36)は、患者のお年寄りから「いつまでいるの?」「帰られたら困ってしまう」と言われるという。

 臨時診療所は10日までは開設されるが、それ以降は未定だ。(木原貴之)



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