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「豪大陸を徒歩で縦断」吉田正仁さん、ダーウィン到着!

4,800キロ・時速5キロの旅で、吉田さんが見たオーストラリア

2012年6月26日掲載

 

 


6月21日に到着した、ダーウィン北のLee Pointで。

 

 

徒歩で世界一周を目指し2009年1月に上海を出発、ユーラシア大陸そして北米大陸をリヤカーを引き徒歩で踏破した吉田正仁さん。
今度はオーストラリアを歩くため昨年メルボルン入り、その際のインタビューを記憶している読者も多いことだろう。
 

この吉田さんが6月21日、オーストラリア北岸のダーウィンに到着。
大陸縦断の旅を終えた。


4月1日にアデレードを出発、大陸の真ん中を南北に貫くスチュワート・ハイウェイを歩いた。
3カ月に及ぶ約4,800キロ、時速5キロの旅で、彼が何を見、この国をどう感じたのか。
 

次なる旅への準備のためダーウィンに滞在中の彼に、メールで旅の感想を聞いた。

 

 

ダーウィンに到着して、最初に頭に浮かんだことは? 

まずは無事に到着したことに安堵。
総歩行距離4,800キロとそう長いものではなかったですが、大陸縦断を果たした喜び、もうこれ以上豪州を歩かなくて良いのだという喜びがありました。

 

4月1日にアデレードを発ってダーウィンまで約3カ月。今回の旅の感想をひと言で表現すると?

「忍耐」ですね。

 

ブログの中で、単調な景色の中を歩き続けることが非常なストレスであること、2009年の上海出発以来、こんな精神状態に陥るのは初めてのことだったと書いていらっしゃいましたね。

変化のない景色の中を毎日12時間の歩行、ひたすらそれの繰り返しが、とにかくつまらなかった。
単調な毎日へのストレスが大きかったです。


舗装路を歩くのは楽でしたが、そういった環境から得られるものは余りなかった。
最大の無補給区間は250キロでこれまでの旅の中でも最も長いですが、車は普通に走っていて遭難の心配はないですし。
砂漠のような悪路で、車輪が壊れたり一晩助けを待ったり、現地人に助けられながら苦労して進んだカザフスタンと比べられるレベルではなかったですね。

ハードと言うならアリス・スプリングス到着前、無補給区間が長かったころは多少厳しい環境だったと思います。
アリス以後はロードハウスや町との距離もそう長くはなく、楽なものでした。
そして自分がストレスを特に感じたのがアリス後です。

アリス前はロードハウスまで苦労して辿り着き、到着した喜びなど得られていましたけど、それ以降は楽だったので到着した喜びもなく素通りすることもあったくらいですから。
どちらかといえば楽すぎたことがストレスだったと思います。
 


「変化のない景色」というのは、豪州を縦断するスチュワート・ハイウェイというルートを決定された時点で、予想はしていませんでしたか?

延々と変化のない環境下での歩行は初めてではないですけど、ここまで変化がないというのは初めてだったかもしれません。
そういう意味では予想以上でした。


 

「得られるものがなかった」とおっしゃっていますが、豪州だけでなく歩いて世界一周をされる上で、こんなことを得たいと思っている「何か」はありますか?

ユーラシアを歩き終えた時も北米も豪州も、正直達成感と呼べるものは得られてないです。
最終地点の上海に着いて、あるいはもう少し時間が過ぎて、じわじわと沸いてくるものかもしれませんが。
唯一達成感を感じた瞬間はカザフスタンを歩き終え、ロシアとの国境に着いた時。
あの時は自然と涙が流れました。

上海に着いたからといって達成感を感じるかは分かりませんけど、今は歩き抜くことだけを考えています。やり遂げることだけを。
そういう意味では豪州では投げ出さず、歩き抜いたということを経験しましたし、得ることができました。
 

 

精神面では思いがけずハードな旅になったようですが、今回の旅で物理的・体力的に予想を超えて大変だったことは何でしょう? 

ウルルに行った後で歩いた未舗装路です。

100キロほどなのでただ歩くなら問題ないですが、考えていた以上に砂が深かったためリヤカーを引くのが難しく、その時携帯していた水の量も多くなかったので引き返しました。

これまで3,000メートルの山、吹雪の山、無人地帯、あるいはブルガリアで凍傷を負った時など、止めたいと思っても、一歩いっぽ歩いて前へ進もうと自ら言い聞かせ、諦めるのは最後の手段と考え歩き続けてきました。

カザフスタンでの車輪トラブルで引き返したのを除けば初めての後退でした。

この後退するという経験は個人的にはとても大きな経験だったと思います。
良くも悪くもですが、豪州縦断中で1番の経験です。
やはり試練は色々と気付かせ、考えさせ、与えてくれるなと思います。
 

写真:ウルル近くの未舗装路。砂の深さが見て取れる (写真:吉田さん提供)



どんなことに気づき、考えさせられたのでしょうか?

引き返した当初は敗北感に打ちのめされました。
半分負け惜しみですけど、あれから1カ月以上経った今となっては、前へ進むだけが前進ではないと思っています。


これまで前へ前へと進んできて初めて経験した後退。
今後また判断が難しい状況に身を置いた時、今回の後退という経験を思い返し、より冷静な判断を下すことができるのではないかと考えています。

 


今回の旅で一番心に残っている景色は?

ダーウィンの北のLee Pointに着いて目にした青い海ですね。

それから延々と続く単調な景色の中、変化をもたらしてくれた白い雲。
雲が出ている日は心が躍ったというか。嬉しかったです。

豪州縦断はつまらなかったとさんざん文句を言っておいて何ですが、星空と、朝夕の空の色は本当にすばらしかったです。


 

 

道中で出会ったオーストラリアの人々の印象は、どうでしたか? また一番印象に残っている人は?

基本的にみな親切でした。車ですれ違う時に指を立てたり、手を振るドライバーがとても多いです。
これは明らかに他の国よりも。
ウルルとアリスとを走るツアーバスと挨拶を交わす日々も悪くなかったです。

ただ大型車のドライバーは個人的にこれまでの国の中でワーストですね。
これは以前会ったダーウィンからタスマニアまで歩いたカナダ人も憤慨してましたけど。

印象的な出会いは特になかったですね。
一度クーパーペディ近郊でビールをくれて、そのあと2,000キロぶりにお会いしたご夫婦くらいです。

縦断中ではないですが、唯一深く接したのはカンガルー島で数日お世話になった方でした。彼からは色々と学ばせていただきました。
どういう経緯で豪州へやって来て、どうやって生活の糧を得て、どういう生活を送っているかということから、たくさんのことを学びました。


写真:アリス・スプリング近くでパンとヤクルトをくれたドライバーたち


 

アボリジニの人々を多く目にされ、言葉を交わされたこともあったようですね。
彼らについてどんな印象を持ちましたか?

アボリジニに関してはオーストラリア政府からの支援についてなど自分の中で分からないことも多く、発言に責任を持てないので回答を控えたいのですが、1つだけ。

アル中を目にすることがちょくちょくあり、それまであまり良い印象はなかった。
でも水を分け、彼らに少し近付いた後は、彼らに対する壁が低くなったのは確かです。

こちらをじっと眺めているアボリジニにも手を振れば振り返してくれるし、水の補給場所など彼らに聞くことも何度かありました。
壁を作るのも打ち破るのも自分次第というか、そんなことを思いました。


 


徒歩での大陸縦断を通して吉田さんが経験したオーストラリアは、どちらかと言えばネガティブな印象かと思います。
オーストラリアに「いいところ」があるとしたら、何だと思いますか?


メルボルンが好きかと問われたら好きと答えますし、カンガルー島は大好きと答えます。これは本当に。

カンガルー島は個人的に1番の思い出ですね。縦断と関係ないのですが。
カンガルー、コアラなど野生動物の多さが魅力でした。住民の方もよく声をかけてくれました。


ただ、オーストラリアが好きか、と問われたら、好きだとは言えないのが正直なところです。
自分にとってのオーストラリアはこの縦断に費やした部分が多いので。
東海岸も西海岸も見ていないし、見た部分、経験したことがわずかで嫌いとも言いませんが。

いいところは、人かなと思います。

前述したとおり、ドライバーたちと交わす挨拶はとても好きでした。
250キロの無補給区間を歩いていた時、ロードハウスから離れていくにつれ少し不安もありましたけど、ドライバーとのコミュニケーションが外部とのつながりを唯一示してくれました。
 

写真:Barrow Creek近くで、水と食べ物をあげたアボリジニの若者たち
 

 


徒歩に限らず、オーストラリア国内でいつか行ってみたいと思う場所はありますか?

オフロードはとても魅力的に感じました。
リヤカーを引いての旅は難しいので、また機会があるならラクダなどしっかりと運搬手段を考え、挑みたいと思っています。

スチュアート・ハイウェイは素直に車で旅行した方がいいですね。

それから、WA州のギブ・リバー・ロードと、タスマニアへは行ってみたいです。

 

 

ご自身のブログで、写真家の星野道夫さんの言葉を引用されたり、登山家の植村直己さんについて言及していますね。
吉田さんの旅は、彼らに影響を受けたのでしょうか?
ほかに尊敬する、もしくはお好きな冒険家はいますか?


植村さんも星野さんも好きですけど、自分の旅は、両氏を含め誰の影響も受けていないです。
彼らの本を初めて読んだのは、モチベーションを高めるための出発1年前とかでしたし。

リヤカーマンの永瀬忠志さんは自分が生まれる78, 9年ごろに豪州横断をされています。
今から30年以上も前、海外旅行が簡単ではなかった時代、得られる情報なども限られ今とは比べ物にならないほど難しい時代だったと思います。
本当に尊敬します。


 

今後の予定について、教えてください。またこれからの行程ではどんなことを期待していますか?

ここから東ティモールへと渡り、その後インドネシア、シンガポール、マレーシア、タイ、カンボジア、ベトナム、ラオス、中国というルートを予定しています。
2013年6月ごろに最終目的地の上海へ到着予定です。
 

この先の旅は、楽しむだけと考えています。
ユーラシア、北米、豪州と海から海へ、大陸縦横断を目的に歩いてきましたけど、今後は特にこだわるつもりはなく、気ままに歩きます。


シンガポールから上海へは全行程徒歩にこだわるつもりですが、嫌になったら距離短縮しても別に問題ないというくらいに思っています。
これまでの大陸横断を挑戦とか試練と呼ぶなら、今後のアジアはただの旅行というか、そういう位置づけです。


期待とかはあまりないのですが、おいしいものを食べたい、現地の方の生活を垣間見たい、ということでしょうか。
ユーラシアを横断した時はアジア圏は中国、キルギス、カザフの3カ国で終わったので、久々のアジア圏、ユーラシア大陸が楽しみです。


上海後のことは現時点では未定です。2009年にスタートした地球一周を終わらせて、一区切りつけます。

 

写真:250キロの無人地帯で

 

聞き手・文:田部井紀子 

クレジットのない写真は、吉田さんのブログ「ALKINISTーあるきにすとー」より転載させていただきました

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