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ANE E-News March 2011 - 010

 ANE E-news March 2011

東日本大震災に関連して 介護や生活面に即した記事を少しづつ用意してきました。だんだん落ち着いてきましたのでまた 週一回(週末発行予定)に戻します。必要に応じて 臨時で 募金のお知らせや イベントなどのお知らせを 送ります。


1) 高齢者施設ですでにお仕事をなさっている 看護師さん 介護士さんへ 

Aged Care Nursing Scholarshipの申請 提出期限 2011年4月27日です。
Australian Citizens OR Permanent Residents 

Continuing Professional Development Scholarship

Postgraduate Scholarships

詳しくは Free Call : 1800 116 696   scholarships@rcna.org.au www.rcna.org.au

応援しています。 がんばって 勉強を続けられる機会を 勝ち取ってください。


2) 3月19日のANE Newsで 

英雄 フクシマ 50 - 福島第一原発で作業にあたる人々が、欧米メディアやネット上で「フクシマ50」と呼ばれている。

という記事をご紹介しました。シドニーにお住まいの 良子さんのご親戚が その お一人であるそうです。 キャンベラの オーストラリア国立大学の 経済学者 Peter Drysdaleは 東電のマネジャー約12名を 教育指導した人です。日本とオーストラリア いろいろな形で 経済 文化 かかわっているのですね。 

The Weekend Australian March 19-20,2011  Greg Sheridanの記事のなかから:

The reactor personnel who have gone back to try to bring the Fukushima plants under control have been writing farewell letters to their families. They are facing enormous dangers, as are the fire fighters, air force personnel and soldiers also involved around the plant. They are heroes on a scale equal at least to those who responded to the 9/11 attacks in New York. If they are honored properly, and especially if their efforts at Fukushima are successful, they will provide Japan with moral capital for generations to come.

放射線医学総合研究所(千葉市)は22日、福島第一原発で注水作業や復旧作業にあたった184人、周辺住民193人を対象にした21日までの検査の結果、全員、放射線被曝(ひばく)の程度は軽く、治療が必要な人はいなかったと発表した。184人は12~20日に作業した人たちで、東京電力社員ら166人、自衛隊員5人、警視庁機動隊員13人。

安全をお祈りしています。

たぶん日本のニュースには出ないと思いますが 昨日は オーストラリアの空軍 RAAF の飛行機が 救援物資を運んで 仙台空港に着陸できました。 水 毛布 食料を運びました。仙台空港は 津波で滑走路は全部水浸し ターミナルで人々が救済を待っていましたね。US空軍が 応援に入り 無事航空機の離着陸ができるようになりました。 

3) チャリティイベント いろいろな グループが いろいろな 募金活動をなさっていますね。 ANE 事務局にお知らせがある分は このNews Letterで お知らせします。 


下記の サイトでは ほかのグループのご案内も あるようです。 協力し合いましょう。 


GO豪メルボルン 震災発生後貴重な情報をご提供いただき誠にありがとうございます。

私どもにできることとして、
弊社サイト上でも震災復興支援チャリティイベント一覧ページを設置致しております。

◆チャリティ一覧ページ
http://www.gogomelbourne.com.au/society/report/2934.html
◆チャリティレポートページ
http://www.gogomelbourne.com.au/society/report/2942.html

4)VIC州、日本の被災者救済に200万ドル    From 日豪プレス Web  www.25today.com

州議会の追悼動議で発表
 3月22日、VIC州議会でテッド・ベイリュー州首相が追悼の動議を出し、その際に、日本の被災者救済に義捐金を贈ることを発表した。
 ベイリュー首相は、「この度の災害はすべての日本国民にとって非常に辛いできごとであるばかりでなく、VIC州民にも家族や親戚が被災した人がいることと思う。私たちの気持ちは、友人、親戚、家族から無事の知らせを今も待ち続けている人達と共にあり、深い同情の気持ちを寄せる」と述べた。
 日本はVIC州にとっては貿易相手国として3位の規模がある。
 ベイリュー首相は、「マグニチュード9.0の地震と津波で、公式の死者と行方不明者数は2万人を超えており、まだまだ増え続けると予測されている。オーストラリアでは230人の職員が救済活動を助けており、VIC州の捜索救助チームとパラメディックスも必要があればいつでも出動できるよう待機状態にある」と述べた。
 野党のダニエル・アンドリューズ労働党党首も、地震・津波犠牲者への哀悼の気持ちを述べるとともに、VIC州が日本と貿易や教育の面で固い絆を維持していることにも思いを馳せることが大切だと語っている。(AAP)


5) Web 朝日新聞記事から。

【台北=村上太輝夫】東日本大震災で家を失った子供たちに、台湾でホームステイしてもらおうという支援の動きが出ている。日本留学経験者で日台交流を進める李鴻鈞・立法委員(国会議員)らが呼びかけたもので、旅費を台湾側で負担し、2週間から1カ月をめどに、小学生から大学生まで希望者を募りたいとしている。すでに100世帯が受け入れ可能だという。

 李委員は「生活を立て直すには、一時的にお子さんを外へ預ける方がいい場合もあるでしょう。日本はちょうど春休みだから、台湾の文化を学びに来てほしい」と話す。

 受け入れの中心を担うのは中部の彰化県。張瑞浜・副県長は「外国人に滞在してもらった経験のある家庭が多くあるから任せてほしい」と歓迎している。地元には日本語を話せるお年寄りや日本語を学ぶ若者が多く、言葉の心配も要らないという。

6)《東日本大震災》 被災地に対する医療支援の考え方(2) [11/03/16]


子供たちの心のケア Loss & Greifの 注意が出ています。
高山義浩(感染症医)

■ 15日後から1カ月後まで

多くの地域でライフラインは復旧し、医療体制は平時に近づきつつあります。しかし、それまで高度の緊張状態で仕事をつづけていた現地スタッフが疲労で倒れはじめます。限界状況での判断を続けてきた幹部クラスから、子供を含む多くの被災者の死を目撃してきた医師、看護師、薬剤師、放射線技師、理学療法士、栄養士、ケースワーカー、事務や清掃の担当者にいたるまで、傷ついた心と体を休めることが必要です。

おそらく自宅は散乱したままで、使命感に従って仕事を続けてきたはずです。彼らに休息をとらせるために、様々な医療の専門性を有する職種や一般のボランティアが、日常業務の代行支援を必要としているはずです。

緊張状態がはずれ、疲労に気がつく頃、風邪をひく人が増えてきます。また、場合によってはインフルエンザの流行をみるかもしれません。避難所の感染対策については、また別に書いてみたいと思いますが、今から考えておくべきことはワクチンの接種です。とくに基礎疾患のある方々を守るためにも、避難所での生活が長引きそうな方々については、老いも若きもワクチン接種にご協力いただいた方がよいかもしれません。

あと、当たり前のことなのですが、発熱したボランティアは即刻被災地退場です。とくに、熱を出したまま避難所などにゼッタイ入らないこと。避難所で流行する多くの感染症は「最初はボランティアが持ち込むもの」であることを自戒しましょう。

また、避難所で生活している高齢者は、寒冷下で毛布にくるまって、ほとんど動かずにいるため筋力が衰え、関節が拘縮(可動域制限を起こす状態)してきます。できれば早い段階からリハビリを開始しておくべきですが、その後、こうした高齢者が寝たきり状態になるかどうかの重要な時期にさしかかります。理学療法士、整体師、ヨガなどの専門家が多数必要になってきます。

新潟県中越地震のとき、小千谷市の保健師らが震災後3週間の時点で実施した被災者約1万7千人の健康状態調査では、234人が健康相談など何らかの支援が必要と判断されています。そのトップは「心のケア」で41%で最も多く、健康相談(27%)、医療機関の受診(25%)、食事・トイレなどの介助(18%)と続いています。自覚症状では不眠や憂うつ、意欲低下など精神的な症状が目立つという結果でした。

つまり、この時期には、孤立した被災者がうつ状態にないかを確認することが必要です。周囲が復興し、家族と再会し、新たな生活の目途が立ち始めるなか、一部の方は焦燥と絶望を行き来しているかもしれません。こうした被災者の自殺を予防することも含め、避難所などでの声かけ、話し相手が求められるようになります。

ただし、災害の記憶を引き出させるような話題は避けるべきです。災害のたびに重ねられている失敗だと私は思っていますが、「小児の被災者に災害の絵を描かせるのは禁忌」です。記憶を固着化し、PTSDへと誘導すると言われています。こうした治療法(ポスト・トラウマティック・プレイセラピー)が臨床心理士によって行われることはありますが、あくまでトラウマ化している小児に対する専門的なアプローチであることをご理解ください。

小児については、忌まわしい記憶を忘却することが可能なので、ボランティアレベルでの支援介入では「思い出させないことが重要」なのです。メディアも含めて、災害の体験を子供に語らせたり、描かせたりしないようにしてください。

高血圧などの慢性疾患をもつ中高年の方々は、明らかな症状を認めていなくとも、「血圧が高いのではないか」、「血糖値が不安定なのではないか」、「不整脈が出ているのではないか」といった、漠然とした健康不安を抱えながら家の片付けなどに追われていることが多いものです。避難所などを医師や看護師が定期的に訪れて「体調を見守ってさしあげる」ことは、震災後の様々な不安のなかで「ひとつの安心」を提供する活動となると思います。

ただし、巡回診療で血圧などを測定して「ちょっと高いですね」と事実だけを伝えて、そのまま何もしないのであれば、単に「不安を助長する活動」にすぎませんね。私は、症状のない被災者の血圧や血糖を測定するのは反対です。基本的には健康不安への傾聴とアドバイスを行ない、とくに希望があれば血圧を測って差し上げればよいでしょう。

避難所を対象とする巡回診療の重要な役割は、かかりつけの診療所や病院の再開を告げることだと思います。ですから、地元保健師らと連携しながら各医療機関の復興状況について情報収集をこまめに行い、医療が復興しつつあることの広報が必要な時期と言えるでしょう。地域の保健医療資源を把握し、今後の地域医療の担い手となるのは、やはり地元の医療機関です。被災地医療支援の最終的なゴールとは、患者さん一人一人を安心した気持ちのまま、かかりつけ医へと誘導することですから…。

■ 1カ月後以降

震災から1ヶ月が経過すると、避難所も救護所も縮小されはじめるでしょう。そして、被災地の医療は緊急支援より地域主体へと引き継がれる段階となります。

ただし、復興の足取りは弱者の歩幅というよりは、むしろ強者の論理でことが進められがちです。また、問題にフタをすることで、災害の現実から逃避しようとするメンタリティが働くことも多いと思います。実際、平時の介護現場ですら、家族が「うちは大丈夫」と言っていながら、奥の部屋で高齢者が厳しい状態に置かれていることが珍しくはないわけで…。

過去の災害事例を振り返ると、行政は避難所の閉鎖を思いのほか早く進めるという印象が私にはあります。復興を急ぐ空気と追いつけないでいる被災者、とくに高齢者の方々を長期で関わるボランティアは代弁することができます。ただし、彼らを抱え込むのではなく、行政と連携して地域の医療や福祉のなかに居場所を探してさしあげるようにするべきです。少なくとも、地域医療の担い手となりえない外来ボランティアの手に委ねられるものではないですね。

そして、とても大切なことですが、疎かになり後味を悪くしてしまう問題があります。それは、引き際の問題です。あらゆる支援活動は、開始する段階で支援終了の目安を設定しておく必要があります。それは、被災地の医療機関の復旧状況や避難所の人数などが指標となるかもしれませんね。

ただ、被災地の状況は刻々と変化するため、ボランティアは自らの活動に耽溺せず、地域全体の状況について把握しておく必要があります。そのためにも、自治体や医師会などと連携をとりながら、地域の復旧状況を逐次確認し、また他の支援団体の動向にも目を配っておきたいものです。どのような援助も、長期化すると現地のシステムに組み込まれ、依存関係を生み出す恐れがあります。漫然と支援活動が継続しないように配慮すべきですね。

■ おわりに

テレビ報道をみていると、専門的な災害医療を背景としたチームばかりが活躍しているように見えるかもしれません。瓦礫の下の医療であるとか、多数の負傷者を前にしたトリアージ技術といったイメージが先行しがちですね。でも、こうした専門性の高い災害医療とは被災直後(およそ72時間以内)の特殊な状況において求められるものです。国内外の被災地支援に関わった経験から申し上げますが、時間的にも空間的にも圧倒的に求められていたのは、被災地の病院・診療所において平時と変わらぬプライマリケア・サービスを安定して提供できるよう支援する活動でした。

支援を躊躇する理由はありません。あなたにもできることがあるはずです。ただ、大切なことは現地のニーズをきっちりつかみ、「支援したい」という自らのニーズに溺れないことですね。ここで私が書いたことも、イメージの一助に過ぎないことをご理解ください(あらゆる被災地は刻々と変化しながら助けを求めています)。おおよその震災医療支援の流れをつかんでいただいたら、まずは友人のつてなどを利用して、あるいは支援活動団体などに申し込んで、あなたならではの支援をはじめていただけることを期待しています。

7) 自閉症の子、わかって 周囲に遠慮 車中泊1週間で限界  [11/03/22]


 バシャン、バシャン--。
 被災者でいっぱいの避難所に、水の入ったペットボトルをたたきつける音が響き渡る。
 この場所で生活を始めたばかりの大田敦也君(10)が、兄の貴之君(12)に遊んでもらっていた。しばらくすると敦也君は毛布の上に寝転がり、母明子さん(38)の携帯電話を手に取った。
 「テレビ見たいのに、もう電池がないよー」。不安げな声が次第に大きくなっていく。「大丈夫よ、大丈夫」。周りの目を気にしながら明子さんがなだめた。
 約300人が避難生活を送る岩手県大船渡市の市立大船渡北小学校の体育館。自閉症の敦也君は、この学校の特別支援学級の4年生。行動が落ち着かないため、明子さんはつきっきりで世話をする。
 今は、疲れているのか夜はよく眠っている。でも、ちょっと目を離した隙に行方が分からなくなったこともあり、気の休まるときはない。
 「それでも体育館では手足を伸ばして寝られるだけでも、いい」。明子さんはしみじみとそう言った。
 敦也君は余震などが起きると大騒ぎしてしまう。パニックで避難者に迷惑をかけることを恐れ、一家は地震後の1週間、避難所に入るのを避け、車中泊を続けていたからだ。

   □   □    

 寝泊まりしていたのはワゴン車。敦也君は1日の大半を車内で過ごしていた。テレビアニメ「ちびまる子ちゃん」のせりふを繰り返し、鼻歌交じりに車の壁をリズムよくたたき続けた。多くの自閉症児と同じく、敦也君も環境変化や強い刺激が大の苦手。見知らぬ人に囲まれたり、サイレンや雷の音を聞いたりすると、耳を塞いで「どうしよう」と大声で泣き続ける。
 事情を知る小学校の先生や友達が、敦也君の車におにぎりを届けてくれ、食事に不自由はなかった。しかし、避難所には学校以外の人も身を寄せ合う。明子さんは「誰もが敦也の障害を理解してくれるとは限らない。いつ大騒ぎしてしまうかと思うと、避難所には入れなかった」と振り返る。
 敦也君の祖父、勝介さん(70)らも同じ車で過ごした。「敦也を安心させるため、できるだけ一緒にいよう」と校庭に車3台を並べ、親戚を含め計8人で車中泊を続けた。敦也君の家も勝介さんの家も、明子さんの実家も津波で流された。「車以外に泊まるところがない」のが実情だった。
 市内には毎晩のように乾いた雪が舞う。勝介さんが夜中に寒さで目が覚めると、エンジンを5~10分かけ、暖房を動かした。しかし、残るガソリンはわずか。
 風呂も入れず、下着を買いに行くこともできないまま地震発生から1週間を車内で過ごした。明子さんは「いつまでこの生活が続くのか」と不安で目が覚め、朝4時から眠れないこともあった。狭い車で過ごすのは限界だった。
 今の避難所暮らしは、その時よりは快適であることは間違いない。ただ、敦也君が「車でご飯を食べようよ」と言うこともある。この先の生活の見通しは立っていない。「周りに大目に見てもらいながらここで過ごしたい」と一家は願っているが、不安が消えることはない。(安倍龍太郎)

避難所で自閉症の子を受け入れるには

 日本自閉症協会(東京都)によると、普段と違う場所や騒音に弱い自閉症の人には、避難所での生活は相当なストレスがかかるという。
 同協会は「寝ている人がいるから静かにする、といった共同生活の『暗黙の了解』も苦手」と説明する。パニック状態になって大騒ぎする可能性もあるため、「家族も『迷惑をかける』と悩んで、避難所に入れないことがある」という。
 アスペルガー症候群など自閉症と似た特性を持つ人たちにも、同様のことが当てはまる。また、一見障害があるようには見えなくても、程度の差はあれ自閉症に近い特性を持つ人は多い。
 避難所に入れず車や傷んだ家で生活する例は、2004年の新潟県中越地震の時にもみられた。避難所に入れないことで、周囲に問題が認識されづらい、配給が受けられない--といった弊害を生むことも指摘されている。
 同協会は、そうした人たちや受け入れ側に対応策を示すため、「自閉症の人たちのための防災ハンドブック」を作成。自閉症の特性の説明や、コミュニケーションの取り方などをまとめた。その中で、「わがままではなく障害の特性であることを知って」と周囲の理解を求めている。
 特に重要なのはパニック状態になった際の対応だ。しかったり押さえつけたりせず、「『大丈夫だよ』と声をかける」「離れた場所に移して落ち着かせる」「興味を切り替えられるもの(飲み物・食べ物・ゲームなど)を勧める」といった方法が有効という。
 指示する際には、本人に個別に説明することが重要だ。順番を守るということを理解しにくい人には、配給なども個別にする必要がある。
 同協会は避難所に専門の知識を持ったスタッフを置くことが必要と訴えているが、そうした態勢を十分に整えるのは容易ではない。そのため、同協会は、周囲の視線や音を気にする場合は、避難所に仕切りで区切った場所を用意する、耳栓やヘッドホンをつけてもらって騒音を遮る、といった応急策も示している。(赤井陽介)

8) 朝日新聞 荻原博子のがんばれ家計 地震保険の こと。(こちらの保険にも Natural Disasterは 免責事項になっていますので この機会に 細かい字でも読んでみてはいかがでしょう? 下記の内容は 日本の場合です。)

今回の震災で、家を失われた方に対しては国が無償で新しい家を建ててあげるべきですが、ただ、破損度合いによっては、自前でなんとかしなくてはいけないという方も多いでしょう。

 通常なら、家が焼けたり浸水したら、火災保険で損害が補償されます。ただし、火災保険には免責事項があって、地震や津波での破損に対しては、補償の義務がありません。地震、噴火または津波を原因とする火災、損壊、埋没、流失などの被害は、地震保険に加入していないと補償されません。

 今回のような大災害が起きると、地震保険の加入する人が増えるのですが、実は、何年も災害がこないと、なんだか無駄に保険料を支払っているような気がして、やめるという人もいます。ただ、やめてから災害に遭う可能性もあるので、入ったらずっと続ける。入らないなら保険料ぶんのお金はしっかり貯金しておくと決めたほうがいいでしょう。

 地震保険に加入するためには、前提として火災保険に加入していなくてはなりません。補償上限額は火災保険の半分を超えない範囲で、建物が5000万円、家財が1000万円までです。ただし、家が古いと、火災保険にも高額には入れませんから、地震保険もそれほど付けられないケースがあります。

 たとえば、火災保険で800万円付けていると、地震保険の補償上限は400万円まで。この400万円も、地震が来たら全額支払われるというわけではありません。今回の津波のように家が流されてしまった場合は、全損といって全額補償されますが、全損でない場合は、半分補償される半損か、5%補償される一部損の扱いになります。半損なら200万円、一部損なら20万円ということになります。

 地震保険の保険料は建物の構造や都道府県ごとに決まっている支払い額を掛け捨てで払います。契約期間は基本的に1年ですが短期や長期の契約もあって、5年分をまとめ払いすると4.45年分の保険料で済みます。どうせずっと入り続けるなら、まとめ払いにしましょう。

 また、建物による割引制度もあります。詳しくは、財務省のホームページにある「地震保険制度の概要」で見てください。



以上。





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