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山本邦子さん インタビュー

4カ国で活躍 グランドスラムのコーディネーターという仕事

2010年03月22日掲載
 

山本邦子さん インタビュー



テニスのグランドスラム(全豪オープン、全仏オープン、ウィンブルドン、全米オープン)で日本のTV局のコーディネーターとして活躍されている、メルボルン在住の山本邦子さんにお話を伺いました。スキーヤー、指圧師、通訳、とさまざまな顔を持つ邦子さんが “オーストラリアと日本を繋ぐ” 仕事について語って下さいました。

(インタビュアー 中山絵満)


--オーストラリアはいつ頃から?
1987年ですね。
最初はワーキングホリデーでシドニーに入って、それで友達の友達がいるメルボルンに来て。ウエイトレスとかもしたりしました。その時はとにかくオーストラリアという世界を見ようと思ったので、あとはダーウィンだったりパースだったり、いろいろ行きましたね。 
定住してみるとほとんど出かけなくなりましたけど(笑)

--日本では何をされていたんですか?
野沢温泉のスキー場で、インストラクターをしていました。当時は “フリーター” って言葉が出始めた頃で。
「君はもしかしてフリーアルバイターって人?」ってフリーターの走りみたいにいわれました。

そこで何年か働きながら、“スキーに乗った王子様” を探してたんですよ。でもなかなか現れなくってヤバイな、と(笑)。それは冗談ですが、ここでスキーやってるだけじゃ未来がないな、と思ったんです。その頃たまたま本屋さんでワーキングホリデーのことを知って。
南半球だと半分半分でスキーができるんじゃないかと思ったんですね。その後ワーキングホリデーでオーストラリア、ニュージーランドにいました。 
1年で帰るつもりだったんですけど、結婚や仕事でいつのまにか20年以上もいることになりました。

--スキーの先生から日本語の先生に転職を?
スキーをするとしたら、日本で3カ月、ニュージーランドで3カ月で、あとの6カ月はどうしようもないなあと考えて、スキーの仕事は諦め、メルボルンに来ました。
その時ちょうど日本の景気がよくて、オーストラリア内でも日本語ブームが起こっていて。ただ、なかなか実用的な日本語を教えられる先生がいなかったんですね。日本語学校のコーディネーターとたまたま友達で、「スキーを教えていたなら実用的な日本語を教えられるだろう」と言われ、テストを受けてみたら合格。すっと仕事をもらえたんですよ。

ところが日本語のブームの勢いが下り始めると、教員たちが “教えること” よりもみんな “自分の仕事や立場をキープする” ことに必死になって、そんな空気についていけない感じがしてやめました。「度胸あるね」と言われましたね。その頃から翻訳とか通訳を始めていたので、その仕事でやってみようかな、と思ったんです。

--それがコーディネーターという仕事に繋がっているんですね。
そうですね。通訳をしていた先輩に「体力もありそうだし、こういう話が来てるんだけどどう?」って言われて。
ただコーディネーターっていうのはいわゆる普通の通訳とは違って、冷蔵庫にドリンクを入れたり、お弁当が来たら配ったり、情報を集めに走ったりするんです。「私は通訳よ」って思っている人にはできない仕事だと思います。私は別に走るのは構わないし、むしろ楽しいと思って「なんでもやります」みたいな感じでやっていました。その時にちょうど指圧も始めていたので「肩こってませんか?」なんて調子の良さで(笑)どんどんチームに馴染んでいって。

--最初は全豪だけの担当だったのですか?
そうなんです。3年ほど前に「全仏は可能ですかね?」とプロデューサーの方から言われて。フレンチ・オープンていうのはフランス語じゃないですか。「私全然フランス語できないですよ」ってびっくりしたんですけど、結局テニス協会とか大会の運営自体は英語ベースだったんですね。実は、現地のコーディネーターは日本語とフランス語の通訳はできるけど英語はそれほどできない、と。それで私を誘ってくださったみたいです。タダでヨーロッパ行けるならこんないい話はない、と思って「いいですよー」って。

--土地が変わると仕事は難しくなりましたか?
問題はなかったですね。結局、現地とのやりとりというよりはテニス協会とのやりとりとか、選手のインタビューをとるとか、全豪とほぼ同じ仕事の流れだったので。それにだんだん知り合いが増えて、私の顔見ただけで「今日○○だから」なんて、いちいち長い説明をしなくても済むので、向こうとしてもやりやすかったみたいです。テレビ局からも「頼んでおけばなんとかしてくれる」みたいに思われて。窓口になっていましたね。

全米では現地のコーディネーターも優秀なので別にいりません、という話だったんです。ところが、専属で通訳もやって、記者会見の質問もやって、という人がいると役に立つ、ということでTV局の製作の方が推してくれて、全米にも行くことになりました。当時はウィンブルドンはまだやっていなかったんですが、一昨年からグランドスラム全部に行くようになりました。そんな感じでいつのまにかチームに入ってましたね。

--4つの大会で違いを感じることはありますか?
面白いなと思ったのは、基本的には2週間のほぼ同じ形態の大会なのに、すごく国民性が出ること。フランスはフランス、アメリカはアメリカといったようにその国ならではの気質を感じますね。

フランス人は譲れないところはケンカしてでも譲らない、かと思えば「あっ忘れてたわ」みたいな。気分屋なイメージですね。イギリスではスタッフはすごく愛想が良くて、上品で、「すてきなお天気ね」とか言うんですけど、あまり親身になって助けてくれないとか。全米は、ライブパフォーマンスやショータイムも派手でビッグなんだけど自分の仕事以外はやらない、という雰囲気がありますね。

--オーストラリアの評判はどうですか?
全豪オープンは、一番評判いいんですよ。私も一番やりやすいです。私たちの質問や依頼に対して、大会の関係者はすっごく努力してくれます。日本人ってやっぱり他の国の人よりも細かくて、ほかの大会ではイヤな顔される質問でも、オーストラリアの人は違う。結果的にだめでも、頑張ってやってくれる。努力してくれている姿勢が感じられるんです。
そういう意味ではオーストラリアってすごいなぁ、と。TV局のスタッフから「全豪は良かったよなぁ…」みたいな話が出ると、自分が誉められたみたいに「いやあ、みなさんありがとうございます!」って嬉しくなりますね(笑)。

--選手にとっても評判はよいのでしょうか?
すごくいいみたいですよ。年の初めでのんびりしてるし、ホスピタリティがいいし、観客もテニスが好きだし……。選手のなかには「どうしてもウィンブルドン獲りたい」とか「全米獲りたい」いう気持ちがあったりして、その点でグランドスラムの中では全豪はランクが低く見られがちなんですけど、だからこそすごくリラックスできて楽しめる、というイメージを持ってくれてますね。「獲れたらいいかな」という気安さがあるから、新人が意外にいい成績を収めたりするんです。これも面白いところですね。

--今後はどんなふうに仕事をされたいですか?
今得ている経験、人脈を生かしていきたいです。基本的にすごく人に会うのが好きなので、そういう仕事がしていけたらいいなと思います。
 
全豪オープンって何が面白いかっていうと、日本人であることも生かせるし、オーストラリアに住んでいることも生かせるんですね。
「みんなで頑張ってるよね」っていう共通の一体感を国を超えて繋げられるというのがすごく嬉しくて。
日本人ってすごく細かいところまで気がつくんだけど、ちょっと大事なところを見逃してるんじゃないのと思うことがあって、
それを自分がオーストラリアのゆったりしてあったかいところと繋いであげられるといいなと思うんですね。
今けっこうそれがうまくいっていて、日本の人が「オーストラリアいいよね」っていってくれると、うまくパイプができてるな、と思うんですよ。
そういうことが本当に楽しいです。




--ありがとうございました。



【インタビューを終えて】
初めてお会いした時に、邦子さんのエネルギーをひしひしと感じました。明るく、とても丁寧にインタビューに応じてくださった邦子さん。“人と人とを繋ぐ”仕事がまさにぴったりな、人間愛にあふれた素敵な方でした。邦子さんの指圧についても、ぜひまたお伺いしたいと思います! 
 

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