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3月11日-「忘れちゃいけない、それを確認するために」(前半)

ジャパニーズ・フォー・ピース(JfP)メンバー、山木健太郎さん

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2012年3月1日掲載

 

 

2011年3月11日。
メルボルンの日本人誰もがテレビに釘付けになり、その衝撃に目を疑った。
 

涙を流し、がっくりと肩を落とし、日本の家族や友人と連絡を取り合った3月が過ぎ、
多くの人が「何かしなければ」と奮起して数多くのチャリティー活動が行われたその後数ヶ月。


そして、もうすぐ1年が経つ。

 

あの衝撃を忘れたわけではないけれど、日本から遠く離れ、異国での日々の忙しさに流されて、
被災地へ、被災者の人たちへ、そして未だに収束しない原発事故へ、思いを馳せる時間は少なくなっていはしないか?

 

「この震災と原発事故は、人類史的出来事。

広島・長崎への原爆投下と同じように、日本人として忘れてはいけないことだと思う。

そのことを確認するために、3月11日の集会に、ぜひ来てほしい」


と話すのは、メルボルンの平和グループジャパニーズ・フォー・ピース(JfP)のメンバー、山木健太郎さん。

GO豪メルボルンの人気コーナー『豪児』にも登場したことのある彼のことを、覚えている読者もいるかもしれない。


震災・原発事故から1周年を迎える3月11日(日)、JfPでは地元の各NGOと協力して、『11 March: Day of Action to End Uranium Mining, Fukushima One Year One』を開催する。
 

 

実は、福島の原発事故はオーストラリアとまったく無関係ではないことを、読者のみなさんはご存知だろうか?
 

昨年10月末、豪州連邦政府は、福島第一原発で使われていた核燃料にオーストラリア産のウランが含まれていたことを公式に認めた。


しかもそのウランは、オーストラリアの先住民であるアボリジニの人たちが、何世代にも渡って住みつづけてきた土地で掘り起こされ、それによって環境が破壊され、地下水が、土壌が汚染され続けているのだ。

 

NT州カカドゥで長年ウラン採掘反対運動を続けてきた、
同地域の伝統的な土地権利者であるアボリジニ・ミラー族のイボンヌ・マルガルラさん。
震災から3週間後の4月、国連のギムン事務総長に宛てた手紙の中で、こう書いている。

「福島の放射能汚染の少なくとも一部は、私たちの伝統の地から採られたウランによって、もたらされたものだろう。
そのことを私たちは、大変悲しく思う」。

 

核の悪循環(サイクル)。
原発事故は、そんなふうに悲しい「日豪」のつながりだ。


3月11日。

震災・津波でなくなった人々への追悼するとともに、
福島第一原発事故の被害を受け続ける人々への支援の気持ちをこめ、
原発事故と「核の悪循環」で繋がっている豪州のウラン採掘へも反対の声を上げるべく、
地元の非核・反戦、環境系のNGOとともにJfPが企画しているのが、この日の集会だ。

 


 

 

「今、日本では、普通の若い人たちや、お母さんたち、ミュージシャンやアーティストなんかが脱原発運動にどんどん関わっている。

生まれて初めて『自分の命の危機』『身に迫る危険』を経験した結果として、すごく自然であたりまえのことだと思う。

3月11日から学んで生まれ変わって果たす役割を、日本は世界から期待されてる。

この事故をきっかけに、
原発はもう古い時代のエネルギーで、これからは太陽や風力、地熱なんかの代替エネルギーの時代になっていく、
そういう筋書きになっていると僕は思う。

その筋書きを推し進めるために、僕も貢献したい」

と健太郎さんは話す。



昔から原発を反対する活動に関わってきたの? と聞くと、ちょっと意外な答えが返ってきた。

 

「以前僕は、放射能への嫌悪感がとか拒否感がすごくあって。

『放射能、原発』イコール『悪魔』みたいなイメージがものすごく根強かったんですよ。

だから、以前日本のNGO『ピースボート』で働いていたときに活発だった
『STOP! Rokkasho』や『浜岡原発停止』キャンペーンも、

『いや、僕はちょっと…』

と敬遠してたんですよ。今はもちろん違うけど(笑)」。
 


この健太郎さんの


「放射能=汚いもの」


という異様なほどの生理的嫌悪感は、彼が2歳から9歳まで住んでいたドイツのお国柄に深く影響を受けている。


ドイツは、今回の事故後、いち早く脱原発政策を打ち出した国の一つだ。


「ドイツ人って、すごく自然が好きな国民なんです。

それで数年前には『緑の党(豪州ではGreensと呼ばれる政党)』が政権を握った。
そのときに脱原発の方針が決まったんだけど、その後CDUっていう別の政党が与党になったときに、ひっくりかえされそうになった。

そんなときに福島が起こった。

東京にあった大使館を大阪にいち早く移したのもドイツでしたね。それくらい、嫌悪感がほかのどの国よりも強い。

それでさすがにCDUも
『あ、これはやっぱり脱原発にしないと、国民の支持を得られない』と
ということで、すぐに原発廃止を決めたんですよ」



そんなドイツ。
特に6歳から9歳までの3年間を過ごした東ベルリンは「僕の原形」という健太郎さん。


彼が東ベルリンでどんな子供時代を過ごしたのか。
そして彼が20代のころに出会い彼に深い影響を与えた世界の活動家たち、
3月11日の集会について、彼はどんな思いで参加するのか。


来週水曜日7日に掲載する後半で、紹介したい。

 

聞き手・文:田部井紀子

 

>>3月11日-「忘れちゃいけない、それを確認するために」(後半)

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