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日本人学校で三味線教室

三木晶江さん「三味線と戯れてほしい」

2012年11月26日掲載

先月(10月)5日に、メルボルン日本人学校で三味線の授業が行われました。この授業の講師を務めたのは三木晶江さん(64歳)です。三木さんは徳島県三好市で長年、歯科医師とし働いてきましたが長男で同じく歯科医師の友哉さんら家族と共にことしの4月からメルボルンに移り住みました。そして18歳から親しんできた三味線をオーストラリアの人たちに知ってもらおうと、日本人学校で子供たちに三味線教室を行いました。

   
授業では、小学生から中学生の48人が参加して三木さんにやさしく教えてもらいながら初めての三味線の演奏を楽しみました。
またこの後、三木さんの師事する長唄「杵屋」の家元・八代目杵屋勝三郎さんからメルボルン校に三味線10丁が寄付され、これをきっかけに学校では三木さんを講師に招いて小学生の高学年や中学生の音楽の授業に三味線を取り入れることにしています。
今回、講師を務めた三木さんにお話をうかがいました。

 

<メルボルン日本人校の美谷添校長と寄付された三味線>

メルボルンで子供たちに三味線を教えることになったきっかけは?
ここメルボルンに来たときに自分が誰かの役に立つような何かを持っていたら、私は海外に来ることができるだろうと思いました。それで師範を取って教えられるようになればメルボルンに来る決心ができるだろうと。それで挑戦したんです。

住み慣れた日本を離れての海外生活は?
絶対、嫌でした。でも三味線の家元さんとお話したときに「日本人学校の子供たちに三味線のなんたるかを見せたり教えたり楽しませてあげてほしい。そして日本に帰って来たときに『ちょっと三味線習ってみようかな』って子が1人でもいてくれたらうれしい」と言ってくれたんです。それで師範も取ったし、私は英語ができないから日本人学校にお願いしてみようかなと思ったんです。

三味線を始めたきっかけは?
徳島っていうのは独特の土地、阿波踊りがあります。毎年、お盆には三味線の音が聞こえて「私も引けるのになぁ」っていう思いがいつもありました。それから長唄の先生にもついて楽しく習っていました。
18歳で大阪に出て、叔母の家に下宿をしながら大学に通っていました。ある日、大学から帰って来たら叔母が譜面台の前に座って私の帰りを待ってるんですよ。昔の家で格子戸があってそこから見えるんです。で「ただいま」って言って家の中に入ったら「ここに座りなさい」と叔母に言われて初めて三味線を持ったんです。それから2時間、3時間正座して足が痛くなるまで練習しました。次の日も家に帰ると叔母が待ってるんです。その姿は今でも目に焼き付いています。

三味線を通して子供たちに何を感じてほしいですか?
和楽器っていうのは、すごく難しく考えられるんですよ。だから馴染みやすいように私が子供の頃に遊んだように馴染んでいって欲しいと思います。いま日本では和楽器は廃れて行くばかりなので。できるだけ多くの人にやってほしい。日本人学校に通う子供たちはゆくゆく日本に帰る子が多いでしょ。そういう子供たちが「三味線やったことあるよ」っていうそれだけでもいいんです。

夢はありますか?
長生きして1人でも多くの子供たちに三味線を教えられたら、三味線と戯れてくれたらと思います。
それとね。1つは子供たちといっしょに阿波踊りを弾いてお三味線にあたらなかった子には踊りを教えてみんなで学校で阿波踊りを踊りたいんです。
笛も太鼓も欲しいですけどね。

 

メルボルン日本人学校では、来年2月にも小学生高学年と中学生で三木さんの三味線の授業を行うことにしています。
 

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