インタビューinterview

キャリア・学ぶcareer

ERNST & YOUNG 公認会計士、MBA 寺岡 洋一氏 インタビュー

メルボルンで会計士として活躍中!これからの活躍も見逃せません!

2009年09月21日掲載
 

【プロフィール】
寺岡 洋一 Yoichi Teraoka
兵庫県尼崎市出身。学生時代にアメリカに留学し、マーケティングを勉強。大学卒業後アパレル商社に就職し、東京勤務後、香港に約1年半駐在。退職後、夢だったMBAを習得のためメルボルンへ。MBA取得後、ERNST & YOUNGに勤務しながら公認会計士の資格を取得。現在も同社の監査部門で活躍中。

 

アパレル商社から会計士へ

--オーストラリアで公認会計士、MBAとして働くようになったきっかけは何ですか?

 日本でアパレル関係の商社に就職後、日本で数年、香港駐在時代には中国とベトナムの生産工場の生産管理をしていました。仕事は充実していて、やりがいも感じていましたが、仕事内容と時間帯がハードな為、この仕事を一生続けるのは厳しいと感じていました。

 もともと仕事を2、3年してからMBAをやりたい夢もあったので、大学卒業後は下積みから始めて何年もかけて昇進していく大企業に就職するのではなく、若くても責任のある立場に就くことができる中堅企業を選びました。当時は、長い間勤めるつもりで就職先を探していたわけではなく、最初に面接した会社が海外にも拠点があり、若いうちから何でもさせてくれるということだったので、そこに決めました。1日15~17時間を3年間続けたので、痩せましたね。

 アメリカでの留学経験があったので、アメリカでMBAを取得することも考えましたが、約2年間のカリキュラム、高額な学費であった上に、MBAを取得したからと言って日本で高収入の仕事に就職できる補償もないため、やりすぎかなと思いました。そこでもう少し短期で、学費も少し安めで、英語圏で外国の経営方針を学べるところを探し、メルボルンの学校へ来ることになりました。自分のやりたい事をするのには十分な選択肢でした。

 MBAを取得後は日本へ帰国することを考えていたのですが、メルボルンの魅力にひかれていたのもあり、永住権を取得することを考えました。しかしポイントが足りず永住権が取れなかったのと、弁護士に会計士(Accounting)のコースをすすめられたのですが、経済的な理由から一時帰国をしました。東京で就職活動をしていたのですが、やはりメルボルンへ帰ってきて公認会計士のコースへ行くことを決めました。

 メルボルンへ来てからは本当にお金がなかったので、早朝からのアルバイトをしながら学費を稼いで学校へ通いました。また過去の経験や仕事内容が活かせる会社であれば就職したいと考えていましたが、なかなかオーストラリアでの就職活動も難しいため、3ヶ月間まともな仕事が見つからなければ日本へ帰ろうと決めていました。人材派遣会社に登録後、現在の会計事務所を紹介してもらい、今に至ります。

 先方が探していていた条件も特殊でしたね。日本人で英語が話せて、MBAを持っていて、日本で仕事経験が3、4年ある人ということでしたが、そんな人ってメルボルンになかなかいないですよね。ですからその会社に面接にきたのは私を含めて2人だけで、現在もそのときのもう一人の方と一緒に仕事をしています。本当に運ですよね。もし1年違えば日本に帰っていたかもしれません。

 

--実際に公認会計士、MBAとして働かれてどうですか?

 正直に言うと、ファッション関係の仕事をしているときは、経理や会計士には根暗なイメージはありましたね。無口で、数字ばかりを扱っている人という。実際に自分が会計士として働き出してからは、思っていたより自分に向いていると思いました。数字は特に嫌いなわけではないですし。

 監査という仕事は日本では特殊な仕事です。公認会計士の試験を幾つかパスしてからしか就職ができません。オーストラリアでは会計事務所に勤めてから資格を取るのが通常のプロセスです。会社に勤め出してから会計士の勉強を始めましたが、会社側からの金銭的、時間的なサポートが充実していました。ようやく去年、公認会計士の資格試験が終了しました。
香港時代から英語を仕事で日常的に使っていましたが、お互いが第二外国語としての英語を話しているのと、マネージャーという立場から指示を出す方が多かったので、なんとかなっていました。しかしこちらで働くようになって、ネイティブの英語で指示をされることが初めてだったので、最初の3ヶ月くらいは、英語を聞きすぎて頭痛が治りませんでしたね。会計の専門用語が全くわからないので、何を言っているのかがはっきり解らず、毎日冷や汗をかきながら仕事をしていました。数カ月経って、ようやく仕事の流れが見えてきて、半年くらい経った頃に「これならやっていける」と確信しました。この会社で仕事を始めて、3年が経ちましたね。

 

--資格を取得後はどう感じられていますか?

 ここ3年で英語も飛躍的に伸びたと感じていますし、MBAと会計士の資格を取得することにより自分の経験と知識の幅が広がって、違ったスキルも身に付けることができたので、今まで行き当たりばったりもありましたが、最終的には良かったと思っています。商品としての自分の価値は3年で大きく上がったと思います。

 

しんどいときは、何かを学んでいる、体が何かを吸収している

--お話をうかがっていると、さっぱりされているようで、ものすごく粘り強く、我慢をしながらも頑張られていますね。

 そうですね…、気が長いので(笑)、あまり物事に対して近道をしようと思いませんね。あまり後悔しないですし、“とりあえずやってみる”ことが多いです。物事を長い目で見て考えますし、性格と言えば性格ですかね? 気が短かったらもう日本に帰っていると思いますね。昔から、何かをやり始めると最後までやり通します。

 しんどいときは何かを学んでいる気がします。何か新しいことを始めると、最初の3、4ヶ月は心身ともに疲れます。でも、そういう時は「今辞めたらもったいない」と感じますね。「心身ともに何かを吸収しているからしんどい」んだと思います。

 日本で最初に就職した当初は上司と折り合いがつかず、会社が嫌で、出勤中に吐きそうになることもありました。でも、何も手に職が付いていない3-6ヶ月で、仕事を辞めても何にもなりませんから。その後、香港駐在を終えるまで本当に沢山学びましたね。あの時、辞めなくて本当に良かったと思います。「もう自分はこれ以上ここでは伸びない」と思うようになったときが、退職するときなのかなと思います。そう感じても学べることはありますが、学べる量とスピードがおちてきますね。うちの会社にこういうことを言った人がいます。“6ヶ月ごとに履歴書を書きなさい、もし6ヶ月経って履歴書に何も付け加えることが無いならそれは何も学ばなかったからです。そのときはもう仕事を辞める時です。

--寺岡さんの夢や目標は何ですか?

 現在の会社は好きです。今までこんなに大きな会社に勤めたことがなかったのですが、実は大企業が好きではなかったんですよ。最初に就職した時に、自分が学びたいことは、企業全体に関して広く浅くだったので、部署ごとに大きく分かれた大企業は自分の学びたいことにあわなかったんですね。現実はともかく、そのときはそう思ってましたね。

 Ernst & Youngに勤めるまで、大企業の中身がどんなものか判らなかったのもありまが、当然のことながら中小企業とは違い、すべてが専門部署に分かれていています。会社の中にまた小さな会社があるといった感じですね。実際にErnst & Youngに勤め出してから、グローバル大企業の良い面も見えてきました。Ernst & Youngがグローバルなので、例えば「ヨーロッパで仕事をしたい」と社内で希望を出すと、メンバーファームで同じポジションで空きがないかをみてくれたりします。社内での地位や立場がグローバルで明確にランキングされているため、他の国の同じランクにいる人は、持っている知識がほぼ同じです。言葉の問題はありますが、それを除けば好きなところに行ける可能性もあります。会社内での異動になるので、当人のリスクも少なくなります。後、企業の中に蓄積された情報と経験は中小のそれとは桁が違いますね。

 個人的な夢は、ERNST & YOUNG の中でJapan Business Serviceチームの一員として顧客を増やし、大きくすることです。「日本企業を相手にするなら寺岡のところへ行けば良い、寺岡なら何かを知っている」と言われるようになりたいですね。もちろん監査のことは自分でやりますが、税金や会社設立のことなどの全てを知っている必要はないと思っています。ERNST & YOUNGの中で自分のポジション、持ち味、ネットワークを築いて、お客さんが来たときに専門の部署に振り分けられるようになりたいですね。

 また監査人として自分のスキルを上げていくことと、社内外で自分のネットワークを築き、成長していきたいというのが今後3~5年の目標です。自分のスキルや強みを伸ばしていくと同時に、会社には自分のスキルや強みを活かしていって欲しいですね。自分と会社の関係と言うのはとても大事ですね。自分の強みと会社が必要とするスキルが上手くマッチしないと長続きしませんからね。

 プライベートではオーストラリアで家族を作ることですね。子供も欲しいと思います。

 

--休日はどのように過ごされていますか?

 AFLのメルボルン・デーモンズ(Melbourne Demons)のファンなので、友達とフッティをよく見に行きます。違うチームのサポーターと隣り合わせで座っていながらも、ビール片手にパイを食べながら一緒に楽しむことができるのがいいです。東京に比べればメルボルンは「町」ですよね。それでも10万人収容のスタジアムがほぼ満員になるのがすごいですよね。スポーツの話は友達を作るきっかけにもなりますしね。

 あとは妻とスーパーに行って買い物など…、普通ですね(笑)。コーヒーが好きなので、必ずコーヒーは飲みに行きますね。お互い外食が好きなので、2人でブランチを食べたりしますし、夜はワインを飲みながらDVDを観たりなどします。
また金曜日は、ほぼ欠かさず同僚と飲みに行っています。同僚と出かけて話をすることは、仕事の一部ですね。同僚と飲みに出かけることは、こちらでは想像以上に大切なことだと思っています。特に監査の仕事は会社にいるよりもお客さんのところへ出ることが多いので、定期的に飲みに出かけないと、同じ部署でもひどい場合は2ヶ月くらい会わない同僚もいます。個人的にも飲むことは好きですが、同僚と飲みに行って、1週間あったことなどを話すことで、会社内での自分のプロファイルを築くことにもなります。飲みに行かなくても誰も文句は言いませんが、やはり孤立してしまうのではないかと思います。そういう意味でも金曜日は1週間の中でも大切な日ですね。

 

結果ではなく、達成できた過程が重要

--若い方へのメッセージをお願いします。

 「MBAを取得して、帰国後は外資系のコンサルティングに勤めたい」、「語学学校に通って帰国後は英語を使う仕事がしたい」など、日本へ帰ったときの具体的な目標を持つことも大事ですが、自分の心の中で「これを成し遂げた」と言えるものがなんであるのか、自分がやろうと思ってオーストラリアへ来たことができたかどうかが最終的には大切だと思います。具体的な目標をいくつかのプロセスに砕いて、自分が設定したプロセスにそって自分が成長してるかどうかが大事だと思います。たとえ日本に帰って英語を使える環境の仕事につけなくても、自分はオーストラリアで英語や別のことを勉強して、これだけ自分として伸びたと言えるかどうかだと思います。

 MBAを取得して、日本で思い描いてた就職できなかったから留学自体が無駄だったと思うのは、最初の目標の設定の仕方とプロセス管理がまずいですよね。「やってよかった」と思えるようなプロセス管理をすることだと思います。
仕事をする人間にとって結果はもっとも大切ですが、棚からぼたもち的に仕事が来ても、それは次に生かせる結果ではないですよね。目標達成の為に普段からどういうことを日常の中でやっていくかが大事で、見ている方も結果だけを見ていないのは確かです。

 今の時代、留学、ワーホリ等海外での生活をするのが手軽になったと思います。個人的には10代後半から20代前半の間に海外での経験を薦めたいですね。日本は言葉も含めて文化的に特殊な国で、海外に出る事によってそのことを初めて肌で感じられるし、海外に出ることで日本を見る目もかわります。若い人には「自分はヨーロッパでもアメリカでも中国でもどこでも仕事ができる。でも日本にいるのは、自分が日本を選んだからだ。」と言えるようになって欲しいですね。若いうちからそういうことも視野に入れて、将来の仕事の選択肢を探していくと、10年後20年後の姿が違ってくるのではないでしょうか。いろいろ見て経験した結果、やはり日本が良いから日本にいるのと、そんなこと考えたこと無かったから結果として日本にいるのとでは意味合いがちがいますから。

 

--プライベートでこだわりや、こだわりの物はありますか?

 もともとアパレル関係に勤めていたのもありますし、服や靴がとても好きです。こだわり切れていないとも言えますが、メルボルンで服や靴などは一度も買ったことがなく、1年に1回日本へ帰ったときに買います。オーストラリアでは女性の服はまぁまぁありますが、男性の服は本当にバリエーションがないですよね。原色がほとんどですし、選択肢が少なすぎるのが困りものです。「洋服に興味がある」と言うと斜めから見られることも多いですし、そういう意味ではオーストラリアは少し遅れていると思いますね。ファッション雑誌もゼロですよね。自分のお店を持とうかと考えたこともありましたが、売れないと思いました。でも10~15年後には、もっとおしゃれにこだわるオージーもでてくるのではないかと思います。

ERNST & YOUNG
URL:http://www.ey.com/au
住所:Level 23, 8 Exhibition Street, Melbourne VIC 3000
TEL:
(03) 9288 8000
FAX:(03) 8650 7777

loading Google Map ...

関連記事

最新記事