羽田恵子総領事インタビュー
新総領事はメルボルン初の女性総領事
2014年05月1日掲載
|
羽田恵子(はねだけいこ)総領事
【プロフィール】 立教大学文学部英米文学科卒業後、外務省へ入省。 2003年在パース日本国総領事館領事、2005年在イスラエル日本国大使館一等書記官、2007年にアジア福祉教育財団難民事業本部企画調整課長、2010年アジア大洋州局大洋州課地域調整官。2012年大臣官房人事課企画官を経て、2014年4月、在メルボルン日本国総領事に着任。 |
―メルボルンへは初めていらっしゃったのですか?
初めてです。 10年前にはパースの日本国総領事館で勤務していたのですが、メルボルンは初めてです。
―メルボルンの印象は?パースとの違いはありますか?
10年前ですから、パースもずいぶんと変わったと思いますが、パースも街がきれいで、人々は親切でのんびりと暮らしていました。メルボルンは、パースと比べるとはるかに大きな都市ですが、でも人々はやはり、おっとりとしていて親切だと感じています。
―今までの職務で最も印象に残っている出来事をお聞かせ下さい。
2011年3月に東日本大震災が発生した時、私はアジア大洋州局大洋州課地域調整官をしておりました。大洋州課の地域にはオーストラリアも含まれるのですが、私自身はオーストラリア担当ではありませんでした。
東日本大震災の直後、オーストラリアは70名以上の救援部隊を組織して南三陸に派遣し、私はその部隊の連絡役を務めました。 何をおいてもこの時の活動が最も印象に残っています。 ある国の人々が他国の災害に対して、こんなにも真剣に親身になってくれるのか、見ていて感動しました。
到着した日はまだ断水していて夜はマイナス10℃以下にもなる中、テントに寝泊まりし、3日ほどたって水が通じたときに部隊の皆さんは、うれしそうに冷水で水浴びをしていました。
この部隊の隊長は、引き上げる時には、日本の救援部隊の隊長と、友情の印としてヘルメットを交換し合っていました。日本側の隊長が、毎日必死に捜索しているが、思うように生存者が発見できないことを嘆きましたが、オーストラリアの隊長もそれを聞いて男泣きしていました。 自然の災害に対して、精一杯の力を尽してくれた人達を間近で感じたことが、何よりも一番印象に残っています。
―赴任先がメルボルンに決まった時の心境は?
正直、不安と期待とで一杯です。現在のオーストラリアと日本とは大変良好な関係を築いています。それを受け継ぎ、さらに発展させていくという、大変重要なポジションですから、身が引き締まる思いです。
―女性の総領事としての抱負がありましたら、お願いします?
女性だからという訳ではありませんが、「正しい仕事振りを示さないといけない」と思っています。
外務省は女性の採用に積極的で、今後は女性の管理職も増えると思いますが、「メルボルン、ブリスベン、ミラノ」と今年の3月時点では3名です。 先達ですから、一層正しい仕事振りが必要ですね。
―今後、役職としてメルボルンで取り組んでいきたい事は何ですか?
メルボルンには多くの日本企業が進出しています。 日本企業が長い年月をかけて築いてこられた豪州側との信頼関係が良好な対日感にもつながっており、日本企業への支援を継続して行ないます。 また、「日本のことを理解してくださる現地の人」「親日家」を一人でも増やすべく、文化・人物交流に力を入れるつもりです。
―メルボルン滞在中に個人的に楽しみたい事は?
パースに赴任していた時にゴルフを始めました。メルボルン近辺には良いゴルフ場が沢山ありますので、ゴルフを楽しみにしています。また世界一の住みやすい街に何度も選ばれた、緑にあふれたガーディンシティの観光を楽しみたいです。タスマニア州と南オーストラリア州も担当地域ですから、訪問するのを楽しみにしています。
―今後の日豪関係に、どういったことを大切にすべきでしょうか? アジア大洋州局大洋州課地域調整官の経験を踏まえてお話いただけると ありがたいです。
オーストラリアには親日家、日本文化に敬意を表して親しんでくれる人が多く、 オーストラリアと日本の関係は大変良好です。 それを継続していくことが重要です。
―メルボルンに暮らす日本人の方へのメッセージをお願いします。
先日、ユニクロのオーストラリア一号店がメルボルンにオープンし、ナプサイン・ビクトリア州首相が式典に来られました。 日豪の関係は良好ですが、さらにメルボルンはオーストラリアの中でも文化の発信源と見なされています。 日本への直行便も増便されました。良好な関係を維持し、発展させ、在留邦人の方々に対して引き続きしっかりとサービスを提供するよう努力してゆきます。
羽田総領事、ありがとうございました!
文・写真:矢部勝義