インタビューinterview

日本人ソサエティsociety

ゆみ・うみうまれさんインタビュー(前編)

『En Trance』オーストラリア公演が大成功。国際派ダンサー

2010年3月1日掲載

(Photo by Jeff Busby)

ゆみ うみうまれ プロフィール

兵庫県宝塚市出身、神戸大学教育学部卒、オーストラリア・メルボルン在住。「舞踏キャバレエ」創始者。1973年よりクラシックバレエを7年間習い、モダンダンス他、種々のダンスを学んだのち1989年大駱駝鑑(だいらくだかん)入団。グループの一員として、また、他の舞踏カンパニーと共に東京、奈良、東北、パリ、オーストラリア公演を行った後、1993年メルボルンに移住。以後、オーストラリアを拠点にフリーのダンサー、アクター、コレオグラファー(振り付け師)として豪州国内はもとより東西ヨーロッパ、日本、中国、香港、マレーシア、ニュージーランド等で公演を重ねる。うみうまれは、舞踏だけでなく幅広いダンス・ボキャブラリーを用い、様々な分野のアーティストと共に国内外で実験的な作品創りを続けており、国内外主要都市のフェスティバルで多々の演劇、ダンス、フィルム作品に出演、参加。オーストラリア・グリーンルーム賞やメルボルンフリンジ賞受賞など、オーストラリア内での評価も高く、その独特のスタイルをもって他分野でも活躍している。

日本ではテレビ朝日番組「未来者」(30分ドキュメンタリー)、オーストラリアABC、英国BBCのテレビ番組「アートショー」にもその活動ぶりが取り上げられている。



--メルボルンを拠点に活動されていますが、メルボルンで活動をしようと思ったきっかけはなんですか?
大駱駝艦でメルボルン公演に来た事がきっかけで、移って来られたとお聞きしたんですが。

オーストラリアに最初に来たのは1991年のメルボルン国際アートフェスティバルで、10日間滞在しました。
その時100%の英語はしゃべれなかったんですけど、お客さんが個人的な感想や意見をたくさん言ってくれたりして、人々の対応がおおらかだな、という印象を受けました。
バックステージの人やスタッフもみんなおおらかだったし、ノリも良くて、本当にすごく自由でのびのびとしている雰囲気でした。
土地も、ものすごく広大なイメージがあって、それに惹かれたというのがあります。
そこで出会った人たちとやりとりをして、永住権を取得した1993年からこちらに住むようになりました。



--海外公演はメルボルンが初めてだったのですか? その他の場所で海外公演はされましたか?

大駱駝艦でメルボルンに来た時が初めての海外公演でした。
その後は公演などでパリに1カ月間行った事があります。
オ-ストラリアに移住してからは、マレーシア、中国、香港などのアジア地域や、スコットランド、デンマーク、イタリア、スロバニア、クロアチアなどのヨーロッパ、またニュージーランドでも公演しました。
それから公演ではないですが、大駱駝艦に入る前に、自分たちでロンドンなどの路上で大道芸みたいなパフォーマンスをしたことはありますね。



--大駱駝艦には昔から女性のパフォーマーはいたのですか?

大駱駝艦は1972年に創始されましたが、創立メンバーにも女性はいました。
正直なところ、当時の舞踏の世界のなかに男尊女卑的なところがあって、女性は「苗字帯刀を許さず」的にプログラムには名前だけしか書かれてなかったりしたようです。
女性の舞踏が表立って作品創りをしていたことはあまりなかったようで、男性中心的になっていたことが多かったようです。

山海塾は、男性のみだったりとか。
逆に土方巽の愛弟子の芦川羊子という人が主宰の白桃房というグループは、女性がほとんどでした。最近は女性中心のグループもたくさんあるようです。
大駱駝艦の創立メンバーや初期の人たちの何人かは独立し、その後活動を続けられていて、そのうちの一人の田中陸奥子さんを2年前にワークショップのためメルボルンにお招きしたことがあります。
今回の 『En Trance』の作品創りに際し、舞踏を「掘り下げてゆく」作業のお手伝いをしていただきました。



 --舞踏に興味をもたれたきっかけは? 

大学卒業後リクルートに入社して配属が東京に決まり、東京でかなりいろんな種類のお芝居や舞台を観る機会ができたこと、またそこで舞踏のワークショップに行き始めたことがその世界に入った直接のきっかけですね。

小さい頃は体を動かすのは好きで、いつも走り回っているような子供でした。
親も何かを習わせようとして、はじめは器械体操のクラスを探したのですが、それがなくてクラシックバレエの教室に行きました。それが9歳の時です。
大学の時は先生を目指して教育学部に入ったのですが、教職実習に行った時に、がんじがらめのカリキュラムにフォローせねばならないことにつまらないなと思ったのと、勉強せずに受けた試験に落ちたことで教員の道には進まないことに決めました。
その後、社会人になってから上京して、東京に大小さまざまな劇場があることがわかり、(その頃はアングラ演劇が流行っていたので)舞踏などの舞台やステージを観によく劇場に通うようになりました。
東京でお芝居を観る機会が増え、また会社の新年会で創作ダンス芝居をすることになりそのリハーサルのときに、昔からやっていた舞台や踊りの血が騒ぎだしたことを覚えています。
当時、舞踏ワークショップに来ている人たちと話していると、クラシックバレエはもとよりダンス自体を全くやった事がない人がほとんどでした。
それでいて、クラシックバレエの先生なら決してしてはいけません、というようなことをどんどんやっていて、過激で面白いなと感じ、また「怖いもの見たさ」でどんどん引きずり込まれていってしまい、今に至っています。



--大学卒業後、仕事をする前後の頃からダンスの道に進もうと思われていたんですか?

それは、最初は思わなかったですね。
会社をやめる直前には、様々な踊りの稽古に通い始めており、大駱駝艦以外のグループのダンス公演にも出演したりして、芸術の世界にのめりこんでいました。
仕事の方は、その当時はバブルの時だったので大卒すぐの割にはかなり給料も良く、自分のいた支店の業績が良くなってきていたので仕事量も増え始めていました。
仕事しながら舞台をやっていたので、睡眠時間も3、4時間しかない日もあってかなりきつかったのですが、
いわゆる芸術的刺激を受けて楽しかった時期だったので乗り越えることができました。

大駱駝艦の本公演で1990年に浅草の常盤座で公演が決定し、その際出演者の空きが出たことで出演できることになりました。
日本だとチケットのノルマが多く皆苦労するのですが、わたしは自分の知り合いや当時の顧客先の不動産屋さんにチケットを100枚以上売り、大駱駝艦の中でも一番チケットを売った新人だったのでかなり驚かれました。
会社と舞台のリハーサルの両立が続く中、この本公演を機に、仕事を辞め踊りの道を選ぶことに決めました。

初めからそれほど長くは会社勤めしないなと思っていたのと
自分にはOLの様な仕事よりも、舞台や芸術的なことの方が向いているなと思ったので舞台の道へ進む事にしました。
辞めてすぐ大駱駝艦の大きな舞台に出演した時、すごくゾクゾクする喜びと達成感を感じました。
まわりの人々は本当にいろんな人がいて、若い人から年配の人、舞踏の大御所の人達がたくさんいました。毎回、公演が終わったら朝まで浅草で飲んだり、みんなで銭湯に行ったり、仕事でキャバレー回りとかしたり舞踏生活の醍醐味を味わえたと思います。
いわゆる舞踏の最盛期(70年・80年代)は終わろうとしていたけど、集団で何かを創るという、強いエネルギーの様なものに出会えたのはラッキーでしたね。


--メルボルン以外に拠点を置いたり、生活をしたりするという考えはありましたか?

ツアーや仕事などで、シドニーやアデレードなどに1カ月とか数カ月滞在することはありますが、メルボルンに帰ってくるといつもほっとした気分になるんですよね。
メルボルン独特の冬の寒さは好きじゃないんですけど、ただ、アート・コミュニティーがすごく面白いですね。
舞台創りで自分の実験的な事をやっている人が多いし、劇場の数も多い。
アート関係に携わるならメルボルンは絶対に面白いと思う。

あと、メルボルンは人がやさしいですね。
知らない人にも「G'day」と言ったりして人懐っこい。ミルクバーに初めて入っても「Hi, love」言われるという話はよく聞きます。
たまに日本とか他の国に出かける時でも、どこの場所に行っても、メルボルン帰ってくると落ち着くというのはありますね。


--よくメルボルンは“カフェの街”と言われますが、おすすめのカフェや好きな場所はありますか?

昔はSt.Kildaの方に住んでいて、アクランド・ストリート(Acland Street)のスポンティーノ(Spuntino)ってカフェに良く行ったりしていていました。
今は北の方に住んでいるので、人と会う時はライゴン・ストリート(Lygon Street)のブルネッティ(Brunetti)によく行きますね。
スミス・ストリート(Smith Street)とかにもしょっちゅう行きます。ブランズウィック(Brunswick)に環境パーク(Ceres)があるんですけど、そういうところへ行くと、空気が良いのでお茶飲んだりするのも気持ちいいですね。オーストラリアならではという感じがします。
でも、実は私コーヒーはあまり飲まないんですよ。
仕事を遅く始める時とか、特殊なパフォーマンスをする時にしか飲まないです。
おすすめとなると、オーストラリアの自然、ブッシュのほうですね。
ガスも電気もないようなところで生活していたこともあって、そういうところで、おもいっきり原始に戻ることは大好きです。

--ありがとうございました。

次回はオーストラリアで公演された作品『En Trance』『DasSHOKU HORA!!』についてのインタビューをお届けします!
 

 


ゆみ・うみうまれさんホームページ
http://yumi.com.au

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