オーストラリア・ナショナルチーム選手 遠藤 政史 投手 インタビュー
ケアンズから来た侍ピッチャー!
2009年12月10日掲載
【プロフィール】
遠藤 政史 Masashi Endo
1974年9月18日 九州生まれ。兵庫と京都で育つ。O型。小学校のクラブ活動で野球を始め、中学、高校と野球に打ち込む。
高校卒業後3年半の社会人生活を経て、1997年ワーキングホリデーで来豪。ケアンズ滞在中にオーストラリア野球に出会う。ケアンズ代表選手、クイーンズランド州代表選手、アマチュア・オーストラリア・ナショナルチーム選手に選ばれる。2009年より、サンドリンハム・ロイヤルズにてプレー。
インタビュアー:綿田 知有紀、鈴木 麻妃
--オーストラリアに来たきっかけを教えてください。
ワーホリです。ケアンズに滞在していた時にラフティング・ツアーに興味を持ちまして、リバーガイド(ラフティングのインストラクター)を募集していた会社に応募しました。資格がないとリバーガイドになれないのですが、その会社にガイド養成コースがあり、そこで資格を取得してリバーガイドを始めてから、オーストラリアに留まることとなりました。
--野球は小さい頃からずっとやっていたのですか?また、憧れの選手や好きな選手はいましたか?
野球を始めたのは小学校のクラブ活動からです。中学生までは<プロ野球選手になりたい!もしかしたらなれるかも>と夢見ていたのですが、甲子園を目指して高校球児になると、自分がへたくそな現実もわかり…。それでも必死に野球をしましたが、結果は罰ゲームのような高校野球生活で、もう野球なんてやるもんかって思っていました。でも、ワーホリ時代にケアンズで野球をやっているのを見て、ここなら楽しんでやれるんじゃないかと思って始めたのが、野球を再度やることになったきっかけです。
好きな選手は、野茂英雄投手や村田兆治投手です。プレーする姿や、本を読んで共感できること、学ぶことがたくさんあったからだと思います。
--ピッチャーは小学生の頃からやっていたのですか?
いえ、ケアンズに来てからです。小学校から高校まではずっと内野手やキャッチャーをやっていました。
--えっ!?それは、ビックリです。なぜ、ピッチャーに転向されたんですか?
コーチに軽い感じでピッチャーを頼まれたんですけど、運良く初めて投げた試合でノーヒット・ノーランに抑えられたのがきっかけで、ピッチャーの面白さにハマり、ピッチャーとしてやっていくことにしました。
--クイーンズランドには、何年いらっしゃったのですか?その頃の話をお聞かせください。
10年いました。仕事と野球を必死にやっていた様な感じです。すごく充実した日々でした。野球では、始めにケアンズ代表の選手に選ばれ、ファー・ノース・クイーンズランド代表、クイーンズランド州代表と選ばれました。アマチュアのナショナルチームにもノミネートされたのですが、永住権がないとプレーできませんでした。その後、周りの協力もあって永住権を取得し、晴れてナショナルチームの選手に選ばれました。
--メルボルンに来たきっかけは?
ナショナルチームのピッチングコーチから「メルボルンのチームでやらないか?」と誘いがあったのと、メルボルンは仕事で何度か来たことがあり、好きな街の一つだったので来ることに決めました。
--10年間いたクイーンズランドを出るときの気持ちはいかがでしたか?
第2のふるさとみたいな感じだったので一大決心でしたね。でも、思い切って新しいことに挑戦しよう、もっとレベルの高い野球をしたいという気持ちが強かったですね。
--新しいチームはどうですか?
まだ来て1ヶ月ですが、良いチームメイトに恵まれよかったと思っています。実際にプレーしてみてクイーンズランド時代のチームよりレベルが高いです。練習や試合もこちらの方が多くて、週2?3日練習、週2日試合をしています。すごく楽しんでいますし、老体にムチを打ちながら自分なりに頑張って野球をやっています。
--メルボルンでクリケットをやっているのはよく見るのですが、野球をやっているところは見たことがありません。メルボルンでも野球は盛んなのですか?
オーストラリアの中でもビクトリア州はすごく盛んでレベルも高いです。ディビジョン1(一番上のリーグ)でメルボルンには12チームあります。エッセンドンやフッツクレイ、マルバーンとか。ちゃんと各都市にチームがあり専用のホームグラウンドもありますので、興味のある方、近くにあったらぜひ見に行ってみてください。
野球に限らず、メルボルンはスポーツが盛んですね。健康のために走っている人も多いし、夕方には必ずどこかで何かしらのスポーツの練習をしていますし。
--アンダースローのピッチャーだとお聞きしたのですが、初めからですか?
もともとは、オーバースローの普通のピッチャーでした。こちらの選手は打撃が良く、速い球をどんどん打ってきます。ある時、どうしても打たれてしまうという壁にぶつかって、何か変えてみようと思い、サイドスローやアンダースローを始めました。低い位置から投げられると打ちにくいですし、一球一球オーバースローと投げ分けることで相手がどんな球がくるのかわかりにくいですから。それが面白がられて代表に選ばれたのだと思います(笑)。
あと、年齢的に体力が衰えてきているので、若い頃より球速も落ちてきているんですけど、でも、その分技術は積み重ねられているわけですから変化球を増やして対応しています。今は、ストレート、カーブ、チェンジアップ、スプリット、ツーシームを投げ、何とか体力の衰えをカバーしています。
--オーストラリアの野球と日本の野球の違いはありますか。
日本では、リトルリーグのコーチは、近所のおじさんだったりで特にライセンスはいりませんが、オーストラリアでは必要です。僕もこちらで野球のコーチライセンスを取ったのですが、日本と基本はほぼ同じでも、こちらではアメリカ野球を取り入れており、また体格の違いもあって教え方や伝え方が違ってくる場合もあります。
例えば、外国人選手の肘とお尻を突き出した打撃フォームってありますよね?日本人から見ると変に見えますが、こちらでは、あれが基本です。両足を広めに開いて、バットは45度に構え、ボールに目線を合わせる。あのフォームの選手は殆ど教えられた通りにやっていて、それとプラス自分のオリジナルをミックスしているんです。でも、このスタイルは腕力がないと遠くまでボールが飛ばないので、体の造りが違う日本人には向いていません。ピッチングだと、外国人投手は腕力があるので上半身を多く使って投げていますけど、日本人は比較的体が小さい分、うまく体全体を使って投げる事をします。
日本人には日本人の、外国人には外国人の体格、身体能力に合った方法を取り入れるのは当たり前なのですが、短所を克服して日本とアメリカ両方の考えを混ぜ合わせて学べば、すごく良い物になるのではないかと。そして、それを伝えられるのは自分が一番なのでは?と考えており、子供達に伝えることが出来ればと思っています。
--一番思い出に残っている試合は何ですか?
ナショナルチームでヨーロッパ遠征した時のドイツ・ナショナルチームとの試合ですね。街中に試合のポスターが貼ってあったり、球場に着いてバスを降りてからも、スターのようにたくさんの子供たちに囲まれたり、サインを頼まれたりしてすごい歓迎ぶりでした。試合が始まってからもずっと声援が続いていて、絶対に抑えなければいけない大事な場面で登板したのですが、もう完全に雰囲気に飲まれて浮き足立ってしまって。気がついたら交代させられていました。全然覚えていないのですが、打たれて3点くらい入れられてしまったみたいですね。初めの一球を投げて、ワァー!って歓声が上がったところまでは覚えています(笑)。
--オーストラリアに来て大変だったこと、辛かったことは何ですか?
やはり言葉ですね。自分の言っていることがちゃんと伝わっているのかな?とか、野球をしていた上での<これは何て言うんだろう?>みたいなことです。フライみたいにもともと英語になっている言葉はわかりやすいですが、例えば<ゴロって英語で何て言うのかな?>って思っていて、その場面になった時に「ground ball」って言われてわかるようになりました。そうかと思っていると、キャッチャーが低めに投げろっていうのも「ground ball」だったり。やりながら一つずつ覚えていったのを覚えています。あと、差別なのかどうか定かではありませんが、クイーンズランドで野球を始めた頃は「お前、何人や!」とか「国に帰れ」みたいに試合中に野次が飛んできたり、相手のチームも「何とかこのピッチャーを打ち崩すぞ!」って闘志をむき出しにしてきたり。その頃はまだ英語がよくわからなかったので何を言われているのかわからない部分もありましたが、チームメイトが凄く良くしてくれて、いつも声をかけてくれていましたので、本当に感謝しています。オーストラリア国内の大会でプレーし始めた時は辛いこともありましたが、何年かやっているうちに認められて、反対にすごく応援してくれるようになりました。新聞にも取り上げてもらったり、メルボルンに来ることも記事に載ったんですよ。
--将来の夢は何ですか?
人の役に立つことがしたいっていうのがあって、看護士になりたいと思っています。働きながら学校に通って40歳位までに資格を取得したいです。そして、看護士をしながら子供たちに野球を教えたいですね。ずっとオーストラリアにいたいと思っています。
--最後に、この記事を読んでいる方々に何かメッセージをお願いします。
そんな大した人間ではないので、偉そうなことを言える立場ではありませんが、自分にいつも言い聞かせていることはあります。
凹むことや悩むこと、もちろん、たくさんの楽しいことや嬉しいことが生活して行く上でありますが、どんな場面であっても、少しでも面白く感じて解決できないかなと思ってやっています。【ちょっと半笑いで、ユーモアを持って物事を感じる】でしょうか。半笑いの感じで物事をとらえると、リラックスして違う柔軟な考えができて、辛いことでも楽しく思える。あくまで、自分の場合ですが…。それが良いのか悪いのかは別として、僕はいつもそんな感じで生活できれば良いなと思っています。シリアスに考えだしたらキリがないですし。
とにかく、私に言えることは、【楽しくやってください!】ということです。
遠藤 政史投手によるコラム『マサ・エンドウの野球道』はこちら