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近時代の世界史、学び屋 アウシュビッツ収容所です。 そしておまけのクラフクから。Poszedłem do rafinerii w Oświęcimiu. Krahuk również.『風来坊10周年記念』

おはようございます。2月も半ばを過ぎました。語学留学も遂に遂に終わりを迎えます。計4ヶ月という学校生活を3つの学校に分けて学ばさせていただきました。それぞれに色があり、まだ終了はしてないけど、もお気分は終了したかのような、素晴らしい期間だったからこそ、そおいう想いが込み上げてきます。晴天の中で湖を眺めながら過ごした今日この日。フィナーレへ向けてGyspy Tomoはある行事に参加もします。それはのちのち記載します。(^o^) 本日の前説は、『信条・道義・神の領域へ辿り着いてる方々のビジネスを紹介します。』世界には、自分にとって居心地が良い場所があったり、なかったりして移動しいく事も普通にあります。ネットで情報を集めて調べて、『類は友を呼ぶ』ここ、サンマルコス(SAN MARCOS)はヒッピーちゃんTOWNで有名です。沢山のヒッピーが、そしてある程度YOGA/様々な分野でキャリアを積んで自分は崇拝マスターに成りすます。そのマインドに入った方々が集まる地域となっております。それを、その技術(特技)を利用して、レッスンなり、アクセサリーを作って生計を立てたりしてます。彼らを見てたら、ジプシーって感じにも見えてきたりも最近はします。本日UPさせていただく写真は、ある領域までに達した方々がビジネスとして体裁してる宣伝ポスターを紹介させていただきたく思います。

森林の中に建設した木造でのスペースで行うYOGAです。この施設はTORIP ADVISERでも紹介されてぐらいで、なかなか評判です。



これは私は初めて見ました。湖の上で行うYOGA. (色んなスピリチュアル系が生まれてます。ビジネスとして、健康に良いよ♪系で。)



妊婦さんに対するYOGA。(マインドを信じさせる健康ビジネス。もちろん費用対効果はあるだろうからビジネスとして成り立ってますが。)




SUN DANCE !! って。 エアロビクスの新たな延長上のビジネスでしょう。



HUMAN RETREAT。 効果があるからビジネスが成り立つ。今やネットがあるから、どおいうYOGAがあるか世界中のYOGA愛好家では新しいタイプのYOGAが出たら、行きたく試したくなるんでしょう。FIND YOUR WAY って優しい事場だね。



TRAIBAL VILLAGEからもイベント案内も沢山出ております。(ある分野に特化した人々の集まる領域って事です。)



ここサンマルコスでは、こんなに沢山のレッスンがビッシリ占めております。(HUMANスピリチュアル産業♪)

人間は人が喜ぶ事・快感だと感じる事をビジネスにする習性をもつIQある動物であり、時代にNEEDSした隙間から新たなビジネスが生まれる、そおいう時の流れであります。風俗も男性の欲求というものがあるから今もなを世界でどこの国でもあります。ベビーシッターも隙間産業から生まれた。人材派遣も時代とネット・携帯デバイスの発展で進化し続けます。
このスピリチュアル系も、現代社会で疲れた人間に対しての快楽健康志向のビジネス、現代人(世界中)は疲れる疲れやすい人間が増えてることは確か!! 国は豊かになると辛抱という我慢という耐錬は減退します。子も学校・周辺環境・家庭の影響から育ち、どのラインまで辛抱、または寛大余裕を持てるか?、自分の想いを犠牲にして食いしばるとかが、ステータス上に現れます。 私は個人的にはこおいうYOGA/スピリチュアル系にはお金を払ってレッスンに参加した事はありません。でも、勿論参加してみるべきもありますがね(社会勉強として)。 今まで私はレッスン系はペルーでエアロビクスに参加しただけであります。基本的には自分で解決策というか、気持ちよく感じるスペース・空間を見つけてそこで心を満たします(己で行動します。)。 まあ新しい習慣(ビジネス)が生まれるという事は、一言えば、『その時代の象徴がそこに表れてる』と言う事。その分野のマーケットが閏のは、大半の人間がそお感じてるからであります。 幼少の教育・習慣・影響から歳を取り今のあなたがそこにあり、その築き上げた自分のステータス上で、取り巻く産業の努力によってあなたを魅了して、対価を支払う市場へ、マーケットが機能する。その中で信仰・信条を抱いて(ぎゅっと握られて)、その道の信者(普通の事で)となる。=何が分かるかというと『時代が分かるって言う事、人の傾向、実験結果というか社会結果 対 人間に』
だから、こおいう掲示案内版、世界中何処にでもある伝言版は、一つのコミュニティでもある一方で、時代の流れも把握できるサインでもある。季節の変化と同様に、流行の社会の変化もキャッチできます。私は毎回サンマルコスに来ると、この案内板をチェックします。行くことはほとんどありませんが。データとして、今日・現代人間の趣・ビジネス(^o^)   もちろんここは外国人先生が多いよ。物価も安いし、拠点が取り易いし、長居できるからね。乾季は雨が5ヶ月間ふらないし、治安も良い方だし、 そんな理由があるから、この土地にこおいう条件の揃った現実に、時代に応じたマーケットが案内が見れる(ネット・ポスター・電信柱の案内 などで)。 
ここは、独特やから(^o^)v 日本風の仏教スピリッツYOGAもいずれは誰かさんが参入するかもしれません。基本的には私は、そっちの方が興味あります☆お寺風の建物を建設させて、このグアテマラの風景に合う少し高台に作れば文句なしで流行るでしょう。ブータン風のお寺で、YOGA専用の館内で、インドネシアの亜熱帯に咲く華の御香を館内に流せば。♪♪ 完璧でしょうね。☆ 刺激させてくれます。地域案内伝言版。(^o^)


そして今回!!私が期待してる催しものが1ヵ月ぶりに開催されるという事で参加します。 誰もが言う最高のイベント、ヒッピー達が、その各領域の分野で信仰者達の集まる恒例イベント。刺激大だそうです。日本ではタイのFULL MOON PARTYが、徐々に名を広げて来てるとおもいますが、このグアテマラのTRAIBAL FULL MOON PARTYは、また違った種類だとイメージしてるので楽しみです。世には色んな団体が催すパーティーがありますが、こお、たまに予定が会えば、行ってみるのも良いかなって感じてましたので、行きますよ~~今回わ!!(笑)

今日は、このTRAIVAL VILLEGEで宿が取れるか聞いてる段階です。語学学校が終われば、速攻対岸へ船で渡りたいと思います。私の語学学校 兼 グアテマラさよならイベントにしたいと思ってます。タイミングは良し!!あとはどんな内容のパーティーなのか、イメージしてる会なのか?。楽しみにしております。


こお、先進国民の移民の方々の催しです。グアテマラは落ち着いてるから、自国よりも居心地が良くてここへ行き着いてるですね。その方々のコミュニティでの催し時の写真でした。 別に問いだだしませんが、こおいうコミュニティとは集まりとは、色んな意味で確認の場というか・その類の習慣というか、保つ輪だと感じました。(人間は改めて心がある生き物だと感じました。だからしっかり幼少の時から心に刺激を与える・本当の心を育む教育が必要なんだとメチャクチャ強く感じました。)(心を育まないと人は死ぬまで生きてるけど生きた心地がしないまま探し続けるでしょう。今後ももちろん増え傾向でしょうね♪ )診(見)てたらわかるから。 1つ1つ幼少の時から心を育んで、幼少でないあなたも、今からでも1つ1つ慌てず五感を使って経験(体験)して心を育んで下さい。

この写真から、生き生きするエネルギーも感じれますし、集まりから発する共同体強さも感じます(恒例のメンバーが揃うから放つ強さ)。 一人の魅力・一人の時のもろさなどありますが、メンバーが揃えば映えたり、価値が一層に増すケミカルフュージョン的なものもありますからね。生き物って時と場所、そのメンバーによって醸し出す魅力・価値・強さが変化するから、観察してていつも色んな絵が見えてきます☆。

ヤッホー!!ポーランドのワルシャワに到着して、さあクラクフへ行きますが、その前に食事をいただきます。久し振りにCHINESE FOODいただきました。



今日はアウシュビッツ収容所をお伝えします。歴史の勉強の一つとして、つい最近の事ですが、毒ガスで処刑された方々の靴がここに展示、集めらております。全員亡くなった方々の靴です。家畜の様に一斉に屠殺されてた現場から。 



人間も時代と社会によって思考が違うし、行動も、こお変化する。  紙一重よ。 世界経済がぶっ飛べば、生きるので必至になり、また起こるでしょう。 この写真を見るだけで胸が痛いです。 (空を見て・雲を見て・遠くを見て…育まないと再び残酷な時代が到来する。)



朝10時半~のツアーに参加しました。

左右に膨大な靴があります。ガス施設に裸で押し込まれて、シャワーが出ると思えばガスで殺されるという時代と行為が繰り広げられていた。


Wikipediaから引用; 1940年4月、ハインリヒ・ヒムラーは、ポーランド侵攻後にポーランドから奪ってドイツ本国領に組み込んでいたアウシュヴィッツ(ポーランド名オシフィエンチム)に巨大強制収容所の建設を命じた。これがナチス強制収容所の中でも最も悪名高いアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所となる。1940年夏にブレスラウ郊外にグロース・ローゼン強制収容所、1941年夏にルブリン郊外にマイダネク強制収容所、1941年秋にフランス・エルザス地方にナッツヴァイラー強制収容所と大規模収容所が次々と設置された。1943年春にはラトビアのリガにカイザーヴァルト強制収容所、ニーダーザクセン州にベルゲン・ベルゼン強制収容所が設置されている。
開戦とともに強制収容所の数が急増したのは、収容せねばならない者の数が急増したためである。まず占領地の反独的な外国人の収容が必要になった。加えてドイツ国内においても戦時中の治安維持のため、反体制分子の収容が改めて徹底する必要があった。一度は釈放した政治犯などが再び収容されたり、兵役に服さない者が狙われて収容されたり、反戦的な聖職者、経済犯や職場放棄者の収容も増えていった。
1941年6月に独ソ戦がはじまるとソ連兵捕虜も大量に強制収容所へ送られるようになった。ソ連捕虜の強制収容所への収容はソ連がジュネーブ条約に加盟していないことを理由とされた。親衛隊から下等人種とみなされていたスラブ民族(ロシア人やポーランド人、チェコ人など。親衛隊は東方諸民族とも呼んだ。)は絶滅対象であるユダヤ人やジプシーを除けば収容所の中でもっとも劣悪な扱いを受けていた(一方オランダ人・ベルギー人・ノルウェー人・デンマーク人などは同じゲルマン民族とみなされたため、収容所内でも比較的待遇が良く、ドイツ人囚人に次ぐ扱いを受けていた。
こうして囚人総数は1939年9月の開戦時の2万5000人から1942年3月までには10万人近くまで跳ね上がることとなった。1939年9月から1940年春は収容所の状況が悪化し、どこの収容所でも死者が大量に発生した。収容所数がまだ少ない時期に囚人数が急に増えたことやドイツの食糧事情悪化でそうなっていったのだが、その後、数年間は収容所の状態が落ち着いた。戦争経済に奉仕する労働力となる強制収容所に価値が置かれ、食料も一般国民よりむしろ優先的に支給されたためだった。
1941年4月、マウトハウゼン強制収容所を視察するハインリヒ・ヒムラー
1940年8月と1941年1月に国家保安本部長官ハイドリヒは強制収容所の格付けを行った。最も罪の軽い者を収容する第一カテゴリー(ダッハウ、ザクセンハウゼン)、重い罪科を犯したが、再教育の見込みのある者を収容する第二カテゴリー(ブーヘンヴァルト、フロッセンビュルク、ノイエンガンメ、アウシュヴィッツ=ビルケナウ)、再教育の見込みのない重罪者を収容する第三カテゴリー(マウトハウゼン)といった具合に定めた。しかし実態をあまり反映していない区分であり、このようなカテゴリーが設けられたのはさも強制収容所がまともな犯罪者隔離施設であるかのように見せかけるためのカムフラージュではないかという説もある。
1942年3月16日をもって強制収容所監督府は親衛隊作戦本部指揮下からオズヴァルト・ポールの親衛隊経済管理本部(SS-WVHA)のD局に移行した。この編成変えは総力戦体制が強まる中、強制収容所の役割は危険分子の隔離の面よりも奴隷労働力の供給源としての側面の方が注目されるようになったことを示している。囚人労働力が重視されるに従って長時間の点呼、無意味な虐待・処罰などはどんどん制限されていった。また報酬制度も導入され、よく働く囚人には拘禁条件の緩和や食糧、タバコ、金銭などの支給、慰安所の利用許可などの特典が与えられるようになった。
最終的にナチス強制収容所に送り込まれた人の総数を正確に割り出すことは難しいが、推定で800万人から1000万人ほどであろうという説がある。しかしこのうち平均的な常時収容者(ある一定の時点にいつも収容所にいた人々)の数は100万人を超えることはなかったと思われる。
強制収容所の囚人数は1944年以降に急速に伸びた。1943年8月には囚人総数は22万4000人だったが、1944年8月15日には52万4286人、1945年1月15日には71万4211人に達している。ゲットーの親衛隊企業で働いていたユダヤ人たちが続々と付属収容所に収容されるようになったのが原因である。1944年3月31日の段階では基幹収容所の数は20、それに付属する外部収容所は165存在していた。連合国の接近で1945年1月には基幹収容所の数は13に減ったが、外部収容所の数の方は逆に急増して662にもなっている。戦時中の外部収容所の総計は1200にも及ぶといわれる。
解放までの最後の8カ月から4カ月の強制収容所は過密になりすぎて飢餓と伝染病が蔓延して地獄と化していた。



収容者も監視と仲良くなれば、レシートの様な物に書いて丸めて外の監視兵に買出し行ってたとかも。



この2重の有刺鉄線超えないと外には行けない。電気も流れてます。


イメージしてください。もし将来、再び人間が(人を閉じ込めて、それを監視する時代が来たら… 恐ろしいよな。引き金を引いて弾けたら。) 



ガスを起こす場所。1934年~約10年間。 列車が到着したら、シャワー室(ガス室)へ。



各地方から送られて来たジューイッシュ(JEWISH) 大量によ。



ガイドのお姉さん。 優しそうな小柄な、スペシャルなオーラが出てた女性でした。



ガスの処刑所へ足を運びます。。。。。。。。。。。。。。。。。。。NIGHTMARE



こちらが客車となります。



屋根を破壊されてますが、シャワー室内と思いきあの、全裸でのガスシャワー密室内。押し込まれてます。


アウシュビッツ収容所(強制収容所) ここの収容所内でもランク付けがあったり、ある建物の中は石がへっこんでたり、『雨垂れ石を穿つ』の意味に違い、石も踏み続けれがへっこむのだと。。小さな住居空間もあり、病気になれば放置され死を迎える。食事も液体のスープのみでパンは週に1回あったかな?忘れました。 赤軍が到着するまで1945年、強制収容所の歴史は凄まじいです。 収容されたら早ければ1ヶ月以内で死を。長くても1年も持たないです。長くて頑丈な人間でも7ヵ月で息を途絶える。 約74年~85年前の話です。 つい最近のお話であります。私は安心はしておりません。いつ何度起きるかはおかしくない。人間は同じ事を繰り返すから、つくれば壊す(破壊する)。 そおいう眠ってる引き金を持ってる生き物だから、それにIQという脳を搭載してて、どおいう風に誰の元でインプットされて発動されるのか・・・ 本当に恐ろしい一面をも兼ねそろえてる。それが人間であります。 
はい。このお話はここまでにして、クラフクへと参ります。 


クラフク市内へとバスで戻って来ました。今日も穏やかな市内クラフク…(^-^)




女性の綺麗な方が馬車の誘導をしておりました。(ちゃんと正装しておりました。)



やっほーTOMOさん。




こんな感じかな。ヨーロッパの広場って感じでしょう。☆ 広場って何故か人間が集まるんだよね。人は基本寂しい生き物だから、賑やかな所に集まる。そして、エレガントな雰囲気を味わいたいとか、ちょっと背伸びしてみたいな~とか。わかるよ♪(^o^) 私はもっと自然と水で光が反射するサニーと水辺が近くにある素敵な所が好きです。自然のない人の欲(エレガント欲)を満たす広場で食事は好みません。あえてこおいう一角はレストランを無しにしてみた方が面白く感じるんですけどね(個人的な意見)。何処行っても、テラスがあるレストランはヨーロッパはありますからね。 ぱっと見いの印象が無いね。あえて廃墟にして、修理不全の状態で保存したり、そんな旧市街地もど真ん中で見てみたいです。修復しない美しさ!! 手が付けられてないその存在感!!など。雨と風で風化される表現など、そおいう遺産(遺産地域)も街の一画にあって良いんじゃないかな(☆)。  廃墟(廃れる)からから学ぶ事は大いに有りますからね。 それも分かってないのが現代人だから、観光地化でなんでも整備してします。整備すれば何でも良って問題でも無いからね。 ありのままを保存する事も大切だから。 商業的に価値ある土地だからと言って手をつけてしまわないように。と言うのがこれまで見て周ってきての意見です。 

本日は2本を1つのColumnで上げさせていただきました。今日も最後まで見ていただきありがとうございました。m(_ _)m 私の見る世界感をここに書かせていただいてます。毎週、平均30人程の方々がこちらにアクセスしていただいてる事で、嬉しいです。  
又来週も引き続き宜しくお願いです。
Gypsy Tomo 2019!! でした。

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