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トランプ米大統領がエルサレムをイスラエルの首都と承認した、その街へ潜入してきましたの巻 【התגנבתי לירושלים.】~『風来坊10周年記念』

おはようございます。オーストラリア日本、平成最後のColumnをお送くりする本日、(諸事情)仕事はまだ決まっておりません。今は先方からの返事を待つばかりであります。今週、特に気になったニュースはありませんが、車の事故やスリランカテロ事件、日本の下側にある国々で地震が頻繁に起こってるというのが意識の中で残ってるこの1週間であります。 事故テロにしてもこればっかりは私たちは被害を加えられる立場、巻き込まれる確率が高く、防ごうにも防げないのが事実であり、そこは日ごろの行いから運命に任せるしかありません。亡くなった方々には辛い想いをされてらっしゃると思います。だから常に『何かが起こる』って事を無意志としてではなくて、意識として持っておかないといけないです。地震や天災に対しても、意識しておく必要はあります。もちろん経済に対してもいつまで好景気が続くか… 身近にそおいう起こりうる因子(FACTOR)がある事を今一度『勝って兜の緒を締めよ』再認識していただけたらと思います。
それでは令和元年に入るとい事で今一度、昨今は情報に惑わされてる世の中であるが故に、社会に生きる生き物として希望をしっかり持ち続け動じずに力強く歩んで欲しいという想いから、以前も美空ひばりさんの唄を紹介しましたが、本日もその令和に入るという新たなスタートに相応しい昭和のお嬢!! ひばりさんの唄、歌詞から力強いメッセージ的、唄を聴いて新時代を突っ走ってほしく思います。それではまずはYou Tubeの映像からです、『人生一路』です聴いてください。



50年前に歌ってた映像です。昨今のよく分からない惑わされる時代に『喝』と『明確な道しるべを示し問いかけてくれてる』サプリメント的な唄だと思います。『ビシ』っとしっかりをもって頑張ってやっていかないと!!と!!その様に、おっしゃってくれてるかのようですね。(^-^)
美空ひばりの代表曲『人生一路』の勇気が出る歌詞の意味を解釈していきただけたらと思います。
出典: 人生一路/作詞:石本美由起 作曲:かとう哲也

1番
一度決めたら 二度とは変えぬ
これが自分の 生きる道
泣くな迷うな 苦しみ抜いて
人は望みを はたすのさ

《1度やると決めたら、何があっても変えることなく「自分の生きる道」として貫くという気持ちが感じられます。
その道を進む中でどうすれば良いのか迷うことや、泣きたくなることもあるでしょう。
しかし、そのようなつらい出来事を苦しくても乗り越えることで「一度決めた」夢を叶えることができるのです。》
2番
雪の深さに 埋もれて耐えて
麦は芽を出す 春を待つ
生きる試練に 身をさらすとも
意地をつらぬく 人になれ

《「雪の深さ」は冷たく暗い雪の下をあらわしていて、つらく先が見えない状況という意味です。
それに耐えながらあたたかく明るい「春を待つ」ことで、大きな成功という穂を実らせることができるのでしょう。
「生きる試練」とは、必死で夢を叶えようとするからこそぶつかる挫折苦難をあらわしています。
そのような試練に身をさらされても、負けることなく意地をつらぬける人になれとエールを贈っています。》
3番
胸に根性の 炎を抱いて
決めたこの道 まっしぐら
明日にかけよう 人生一路
花は苦労の 風に咲け

《「根性の炎」とは自分をつらぬくために、どのようなつらいことがあっても負けるものか」と思える気持ちだと思います。
それがあれば自分で「決めたこの道」がどれだけ険しくてもまっすぐに進むことができるのです。
一路という言葉には、「ひとすじに続く道・ひたすら」といった意味があります。
『人生一路』とは今日でつまずいても明日を信じて進み、ひたすらまっすぐに生きるという決意ではないでしょうか。
決めた道を進むことは簡単なことではありません。「苦労」という逆風に負けずに生きる事で夢という花を咲かせられるのです。》
このようにしっかり解りやすく解説してくれております。令和時代に入るにあたり、今一度、芯(想い)をもってブレずに進んで欲しいと思います。自分の敵はネガティブな答えを出してしまう『己のマイナスな思想(考察)』ですから(他の目などで消極的ならないず。貫いて下さい)。令和時代、その先☆彡しっかりを地に足を着けて行きましょうlaugh『やったもんだけオンリーワンのストーリーが生まれるから。自信持って行って下さい』応援しております。それでは準リアルタイムColumnへと参りたいと思います。しております。引き続きイスラエルからです。トランプさんが事実上ここエルサレムを首都としとし一筆サインした街です。イスラエル内の最大観光地という事で歩いてきました。私は正直、前もって調べたんですが、たいして興味をそそる場所はありませんでしたが、一応『百聞は一見に如かず』という事で行ってきました。それでは世界のエルサレムへ行ってちょんまげ~☆彡ガッツリ宗教史跡エリア。

ネタニア街~エルサレムへバス1本でやってきました。お昼に到着して、チェックインして、近くの通りで昼食タイムであります。


何番か忘れましたが、あまり高くない物でイスラエルで普通の物をいただきました。




水分は野菜から摂取するという事でドリンクは飲まずに野菜を噛む時意識して噛んで水分ミネラルを摂取する。最近、私は暑いカラッとした国でよく閃く水分補給法。(笑)キュウリもミネラルが豊富だしね。今もこの写真を見てるだけで、その土地の特徴から、こういうランチが出来たのだと思いました。



何処にでもあるパネルでI love Jerusalem (このパネル形式は何処の街が発祥でしょうね? 今や何処にでもあります。)



それではGypsy Tomoさん旧市街地へお入りください。




中は店ばかり、似たもの似た商品、商売人はボーットしてる店主もいれば、声をかけてくる若僧もいてます。(店はないよりあった方が良いと思いますが。同じものばかりで面白くない。IDEAが乏しいのが印象でした。暑さで頭ボーットして座ってるから何も新しいものは生まれません。姿勢から伺えます。☆(^o^))



ここの壁が有名だそうです。名前;嘆きの壁(Wikipedia)~ヘロデ大王時代のエルサレム神殿の外壁のうち、現存する部分。神殿はユダヤ教で最も神聖な建物であった

~(Wikipedia)より~名称
古いユダヤの書物の中に「神殿の西壁 (western wall of the Temple)」との言及がある。しかしこの壁が「嘆きの壁」か、それとも神殿群の別の壁かは不明である。現在の「嘆きの壁」に関する最も古い記述は、11世紀の詩人 Ahimaaz ben Paltiel によるものとされる。現在広く使われている Wailing Wall の名称は、1917年にイギリス人によってつけられたとされ、これは19世紀のヨーロッパの旅行者が、この壁を「ユダヤ人が嘆く場所」と呼んだことに由来する。
なお「嘆きの壁」の単語自体は、古くからのアラビア語 el-Mabka(「涙の場所」の意)の直訳である。「嘆き」とは、神殿の破壊を嘆き悲しむために、残された城壁に集まるユダヤ人の習慣を表現している。
なお、イスラム教の預言者ムハンマドが、彼を乗せて天に昇った動物「ブラーク」をこの壁につないでおいたという伝説があり、1920年代に壁の所属を巡って、アラブ人とユダヤ人の間の緊張が高まった際、アラブ人はこの壁を al-Buraq と呼んだ。
詳細
嘆きの壁の全長は約1600ft (490m) に及ぶが、一般には神殿の丘の西側外壁のうち地上に見えている幅約187フィート (57 m)の部分のみを指す。この部分は広場に面しており、壁の前が礼拝の場所になっている。これ以外に壁を外から見ることができるのは南側の約80mと、神殿の丘の Iron Gate の近くにある Little Western Wall であり、それ以外の壁は居住用の建物に隠れている。
神殿の丘にあたる場所は元は自然の高台であり、紀元前10世紀頃からすでにこの上に神殿(エルサレム神殿)が建てられていた。これが紀元前19年頃になってヘロデ大王によって大幅に拡張された。これが現在の神殿の丘であり、その西側の土留壁が現在の嘆きの壁である。
広場の前における壁の高さは約19m。地下に埋まっている部分も含めると32m。積み上げられた石は地上28段、地下17段の計45段。
地上7段目まではヘロデ大王の時代のものである。エルサレム地方で採れる石灰岩エルサレム・ストーン (Jerusalem stone) の中でもメレケ (meleke) という種類の石が使用されている。
地上8-11段目の4段は、ウマイヤ朝によって7世紀に追加された[8]。638年にエルサレムを支配下に置いたウマイヤ朝は、さらに691年に神殿の丘に岩のドームを建設している。
地上12–25段目の14段はオスマン帝国時代の1866年にイギリスの実業家モーゼス・モンテフィオーレ卿によって追加された。礼拝に訪れた人々を雨や陽射しから守るのがその目的であった。
地上26–28段目の3段はエルサレムのムフティーによって1967年に追加された。
歴史
嘆きの壁の歴史は、紀元前20年頃ヘロデ大王が改築した神殿の西壁として始まる。
70年にユダヤ人による反乱(ユダヤ戦争)があり、ティトゥス率いるローマ軍により鎮圧される。この際、エルサレムは炎上し、神殿は破壊され西壁のみが残った(エルサレム攻囲戦)。
バル・コクバの乱により、ユダヤ教徒のエルサレム立ち入りは禁止されていたが、ミラノ勅令により4世紀以降、1年に1日の立ち入りが許可されるようになる(詳細不明)。
1967年の第三次中東戦争以降、ユダヤ教徒はエルサレムへの立ち入りが許されるようになる。
2015年11月、パリ同時多発テロ事件への抗議と哀悼としてトリコロールの3色にライトアップした。柵で仕切られた男女別の伝統的な礼拝が通例とされていたが、2016年1月31日にイスラエル政府は、男女で礼拝可能となる礼拝区域の設置を新たに承認した。

以上;参考(Wikipedia)からでした。

たしかに今思い出せば、女性が入れない場所もありました。やはり中東、イスラム教は男女の差がありますから。(でも徐々に女性の習慣にも変化は出てきてる中東事情でもあります。)




掘れば何かは出てくるここ一体の地区。



平和の象徴の鳩ポッポ~。青空に白鳩。見入ってしまいました。



敷地(旧市街地)の外に出て、眺める現在の住宅街みたいな所です。



掘れば出てくるインディアナジョーンズ系の遺跡群。(映画の撮影にもってこいのロケーションでしょう。)



住宅街側の丘(斜面)を上っての旧市街地側の景色。



入口に軍隊がいてる。やはりイスラエル国の重要観光地でもあり、警備はしっかりしてる方だと思いました。(周辺国との仲が良くないから仕方ないよ。軍事予算心配しなくても沢山ありそうだし、この国はお金には困らないでしょう。バックアップもあるし。さすが『嫌われ者は世にはばかる(憎まれ子世にはばかる)』ですね。☆その通り☆)



たまたま宿を撮影したので載せておきます。(私の宿泊してたStay Inn HOSTELです。ドミトリー14ベット部屋で1泊2700円)



とても良かったです。エアコンも効いてましたし、快適でした。



バーベキューも約800円程で食べれて、イスラエルは物が本当に高いのですが、ここは理にかなった悪くない値段でありました。



いわゆるイスラエル版のSUBWAYサンドイッチ屋さんです。 私、普通に食べれました。辛くもなかったので一般の海外からの観光客の方でも大丈夫です。25ILS=約770円になります。

というイスラエルのお話でした。
聞いて欲しい事があるんですが、以前にも前説で書いたと思うんですが、『出国の時の話』なんですが、世界で一番厳しい空港です。チェックインカウンターに行く前に『質問方式での検問』があります。それは空港の職員であります。私の言う一言に噛みついてくる。警察署で取り調べを受けてる感じのタフさでした。ラクロスで来てましたと伝えると怪しまれましたし、代表団は既に帰ってるから、それで20分位違う場所に立たされて待たされた事・・・チェックイン終わってからのボディーチェックも、異常なくらいのレベルで細部まで確認してきた。昨日・今日事件が起きたかの様なレベル5の手荷物とボディーチェック(検査)でありました。 他の外人さんで他の人と話してるだけで、検査官が『あなたたちは友達なの?』そんな質問までしてきてました。1人で来てて他の人と話してたら検査官が詰め寄って来て取り調べタイムよ。。。このイスラエル国はホンマに異常で検査官も笑顔なしの人造人間みたいで、ホンマに人間じゃない(酷)ように思えました。ロボットやAIが行うような無表情の厳しい検問!!命令口調だし!! 政府に洗脳されたイスラエル空港検査官。高学歴そうで大学出てる人達だと思うのですが(検査官全員)、見てるだけで、一緒にいてはいけない人間(危ない因子と隣り合わせ)だと思えました(正義というものを政府から暗示を掛けられてる空港職員)。 私が預けた荷物がスペインに到着した時は、鞄(バックパック)の中がグシャグシャ。。(What the heck!?)。私の鞄を見るだけ見て、後は乱雑にパッキングを行う卑劣なイスラエル空港職員達。挙句の果てに私のラクロススティクは紛失でしょ・・学生の頃から約13年間愛用してたスティクが亡くなってしまうという。。運命というかホントに残念な成り行きでした。 もお2度とイスラエルには来ません‼
  この国がこれからも嫌われるのは仕方がありません。 こんな卑俗で没義道な振る舞いをやってるんじゃ。この国に対して下劣感が生まれるだけ。 早期の人間味ある対応を望む想いであります。 さようならイスラエル国。 振る舞いが問われる時です(現時点では無念です)。 Gypsy Tomoからでした。Adios.

という事がありました。皆さんもイスラエル国への渡航の際には❣!色々周りを見てみてください。嫌われてるからこそ、軍隊さんが、観光地には、輸入物に頼ってるから物価がえげつない程の価格??など。図書館に行けば、もくもくと勉強してる学生さん達(かなり入りこんでる)なかなか頭は良さそうな方々に見受けられます(集中力、眼力がなかなあ参考書に差し込んでる)。是非覚えててください。 イスラエルから以上であります。
次回はスペイン領、大西洋に浮かぶハワイに似た島グランカナリア島からお伝えします。 それでは今週末もHAPPY BBQって友達・ご家族と笑顔で仲良く過ごしてください。 
それではまた次週お会いしましょう。Bye Bye Bye @blush

Gypsy Tomo2019!!

 

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