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私のソウルメイト(45)

 その日アルバイトから帰って来たダイアナに、アーロンは家を出て行くことを告げた。ダイアナはショックの余り、自分のベッドルームに駆け込んで、その日は部屋から出てこなかった。
 アーロンが出て行ったのは、その翌日だった。洋服ダンスにある服をスーツケースに入れるアーロンを見るのがつらくなって、私は京子のうちに行った。
京子は、私の青白いやつれた顔を見て、驚いた。
「どうしたの? 幽霊みたいよ」
私は京子の顔を見ると、今までたまっていたものがほとばしり出て、わっと泣いた。悲しみの波が押し寄せては引いた。その波が涙によって流されて、やっと落ち着きを戻したところで、京子にアーロンが出て行ったことを話した。
京子に話すことによって、私はやっと理性を取り戻した。
「きっとアーロンは中年の危機なのよ。今にその女に捨てられて、あなたの元に帰ってくるわよ」
私は、一応「そうね」と、頷いたが、もうアーロンは戻ってこないことを知っていた。
ダイアナから私の携帯に電話がかかってきた。
涙声のダイアナは
「パパ、でていっちゃったよ」と言った。
「そう」
「ママ、大丈夫?」
「ええ、大丈夫よ。今、京子おばさんのうちにいるけど、今から帰るわ」
 家に帰るとダイアナが心配そうな顔をして待っていた。
「パパ、好きな女の人ができたのね。ママ、気がつかなかったの?」
「実はね、パパが倒れたとき、病院でその人と会ったことがあるのよ。その時、ママはパパが浮気したんだと思ったの。でも、浮気じゃなかったのね」
「私、パパを許せない」と言うと、ダイアナは私を抱きしめて
「私は、いつもママの味方よ」と言ってくれた。
家の中から、アーロンの私物が消え去っていた。アーロンの使っていた洋服ダンスは空っぽになり、彼がいつも持ち歩いているラップトップも消えていた。洗面台の歯ブラシや、髭剃りもなくなっていた。本棚の3分の2も空になっていた。突然家が大きく感じられた。その晩、私はアーロンからもらって一度もはずしたことがなかった結婚指輪と婚約指輪をはずした。
 オーストラリアでは別居して一年たって離婚が正式に認められることを知っていたが、財産分けのことなど、知らないことだらけだった。一年前に離婚が成立した翻訳仲間のレイチェルに電話して、相談した。レイチェルは自分が離婚するときに依頼したという弁護士の電話番号を教えてくれた。その時、レイチェルから警告を受けた。
「弁護士に電話して、長話しちゃだめよ。あの人たちは分刻みで手数料をとっていくからね」
「こんなこと聞くのは失礼だけど、あなたが離婚するとき、いくら弁護士料を払ったの?」
「私は、一万ドルかかったわ。私の場合、元夫がごねたからね、長引いちゃったの。余り、喧嘩にならなければ五千ドルぐらいですむそうよ」
私は受話器を置くと、ため息がでた。財政のことはアーロンに任せてきたので、はっきり言って、家のローンがどのくらい残っているかも知らない。しかし、いまある財産を二人で分けるとなると、そんなにお金が残るとは思わない。もうアーロンに会わないで、弁護士を通して話をつけてもらおうと思ったが、そんなにお金がかかるとは、思いもしなかった。オーストラリアに来てから、面倒なことは一家の主人としてアーロンが全部片付けてくれていた。それをこれから全部自分で処理していかなければいけないかと思うと、気が遠くなった。
幸いにもダイアナは、私のいい相談相手になってくれた。
「ママ、弁護士なんかに頼んだら、いくらお金取られるか分からないわ。なんだったら私が交渉してあげるわ。パパが勝手に出て行ったんだから、このうちはママがもらうべきだと思うわ」
「ママね、実はうちの財産がどれだけあるのか、全然知らないのよ。だから、半分は権利があると言っても、いくら要求すればいいのか、さっぱり分からないのよ」
「ママって、本当にナイーブね。でも私に任せておいて。パパからせびり取ってくるから。だってママは何にも悪くないんだから」と言うダイアナはすっかり大人びて、頼もしく思えた。しかし、「ママは、何も悪くないんだから」と言う言葉を聴いて、ちょっぴり胸が痛んだ。どちらかが全面的に悪いと言う夫婦はいるのだろうか。アーロンに別れないでと泣きつかなかったのは、自分のプライドが許さなかったのではなく、ロビンのことでアーロンに対して罪意識があったからだ。

著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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