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ハンギングロック:後藤の失踪(13)

3月3日
 今日は「ハンギング・ロック」のプロジェクトを説明することにした。
「この中に『ハンギング・ロックのピクニック』という小説を読んだり、映画を見たことのある人?」と学生たちに聞いたが、30年以上も前の映画のためか、42人中一人も手を挙げる者がいなかった。
「じゃあ、ハンギング・ロックに行った事のある人は?」と言うと、ぱらぱらと5人ぐらいが手を挙げた。
「今学期はハンギング・ロックのことについて作文を書いてもらうんだが、みんな映画も小説も見たことがないと言うことだから、図書館で映画のDVDもあるし、小説もあるから、映画を見るか小説を読んでみてくれ。ちょっとどんな雰囲気なのか、味わうために映画の最初だけ見せよう」と言って、教室のDVDをつけたが、テレビのスクリーンはテレビ番組になっていてDVDに変えることができない。色々ボタンを押して悪戦苦闘をしていると、レンタルビデオでアルバイトをしているというニックという学生が『先生、僕がやってみようか』と申し出てくれた。機械音痴の僕を見るに見かねたのだろう。
 ニックがボタンを押すと、DVDの画面が出てきた。ニックに感謝。
画面には長袖で足元まである長い白いワンピースを着て長い金髪をなびかせた美少女が現われた。そして『1900年2月14日アップルヤード・カレッジにて』と説明がでた。寄宿舎制になっているその少女のいる女子高でその日はハンギング・ロックにピクニックに行くというので、少女たちは皆浮かれている。厳しそうな女校長に見送られて馬車に乗って出かけた少女たちは、ハンギング・ロックで、お昼寝の時間を持つ。昼寝に退屈した少女4人は、探検に出かけたいと先生に許可をもらって出かけたが、少女たちは岩陰に消えていってしまう。一人残された太っちょの少女は、皆が消えたのにショックを受けてヒステリックになって戻り、先生に報告をする。
 ここまで、見せると僕はDVDを止め、「これで、一体どのような時代だったか分かったと思う。この物語の日本語版のあらすじを来週この時間に読むから、君たち、分からない言葉は調べておいてくれ」と言って、この日の授業を終えた。教室を出ようとした僕はスージーという学生に呼び止められた。
「先生。電子辞書を持っている人は、簡単に単語の意味を調べられるかもしれないけれど、私はそんなの持っていないので、時間がかかります。そんなの不公平だと思います」と口をとんがらせて文句を言う。確かに、クラスの中で約3分の1が電子辞書を持っている。
「電子辞書がなくったって、コンピュータのオンライン辞書を使えばいいじゃないか」
「そんなサイトあるんですか?」
「うん。勿論あるよ。機械翻訳のサイトもあるけど、これはまだあんまりおすすめできないけどね」と言って、日英辞書のサイトを教えてやったら、
「ありがとうございます」とニコニコ顔になって帰って行った。

3月6日
 今日は日本の大学から、客が来た。3月と8月は日本の大学が休みに入るためか、やたらと日本からの来客が増える。今日来た客はうちの大学との交換協定を結びたいというので、学長と会うことになっているが、通訳も兼ねて日本語プログラムから誰か出せと学長室からお声がかかったのだ。香川さんは「私、ちょうど今日はクラスが多くて忙しいのよ。お願い、行って」と言うものだから、仕方なく僕が学長室に出向くはめになってしまったのだ。10年間大学に勤めていても、学長と直接会うのははじめてである。普段は着ない背広を着てきたものだから、窮屈で仕方がない。
 来客は北海道にある、余り聞いたこともない大学の事務職の人たちだった。もっとも、うちの大学も海外では全く知られていないから、大きな事は言えない。
「はじめまして」と名刺交換をして座り、すぐに本題に入ったが、要するに、こちらに日本から学生を送って、うちの授業を受けさせたいというものだ。来客は二人とも英語が堪能で、僕がわざわざ訳すこともなかったので助かった。学長は、検討してみましょうということで、話し合いは終わり、国際交流課の人が「お昼でもご一緒にいかがですか」と誘ってくれたので、大学の教員会館のレストランで一緒に食事をすることになった。僕のような下っ端の大学の教員なんてただで飯にありつけることはめったにない。国際交流課が昼食代を払ってくれるというので、僕は一番高いイセエビのクリーム煮と赤ワインを注文した。来客ふたりのうち若い方は水島と言って、アメリカ訛りの英語を話し、積極的だった。何となく、年上の来客、石川はそれを苦々しく思っているような感じを受けた。きっと水島はアメリカ育ちで、上司を立てるという感覚が余りないのだろう。
「ところで、お宅の学生さんの英語の能力はどの程度なんですか?うちの大学に留学するには英語検定試験のTOEFLで、550点以上取得という条件があるんですが。それくらいの点数を取ってもらわなければ、とても英語の授業にはついていけませんよ」
余計なことかもしれないけれど、ついつい言ってしまった。
水島はすぐに
「そうなんですよね。550点も取れる学生なんて、うちにはほとんどいないんですが、オーストラリアの大学に留学できるチャンスがあるっていうのは、学生にとって励みにもなりますし、宣伝効果もあるんですよ。最近学生数が減ってきていますからね。何とか、大学の魅力を持たせたいと思っているわけで…」と、答えた。日本の大学も生き残りに必死なのが窺えた。

著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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