ヒーラー(12)
更新日: 2013-11-17
ご飯を食べ終わってキムがまた私の前に現れた時に、ジョンに連絡したいと言ってみた。
「私がいなくなったら、ジョンが心配します。ジョンに連絡できないかしら」
どうせだめだと言われると思ったが、驚いたことに
「では、ジョンさんとお話になりますか?」と、あっさりと自分の携帯電話を私に貸してくれた。
私はキムの気がかわらないうちにと、急いで携帯のボタンを押し、耳にあてた。
呼び鈴が聞こえる。1回、2回、3回。ジョンはなかなか電話に出ない。イライラしながら返事を待ったが、7回鳴った時、
「ハロー」とジョンの声が聞こえた。彼の弱弱しい声に、彼の身に何か起こったのではないかと、私の胸には一気に不安が高まった。
「ジョン?洋子よ?何かあったの?」
自分の状況を説明するよりも、彼のことが心配になった。
「洋子か?今、どこにいるんだ?おれは、今見知らぬアジア人の男二人に監禁されているんだ」
「どうして、そんなことになったの?」と聞いたとたん、キムが私の持っている携帯を取り上げ、
「話は、そこまででいいだろう」と言って、携帯を切った。
「まさか、ジョンを殺したりなんかしないでしょうね」私は、蒼くなってキムに聞いた。
「それは、あなた次第ですよ。あなたが協力してくれる限り、ジョンさんに危害なんて加えたりしませんよ」
「じゃあ、ジョンは人質って言うわけ?」
私は唇をかみ締めて言った。
「まあ、そういうことになりますかね。後10分でこの船を下りてもらいます」と自分の腕時計を見ながら言った。
「ジョンを殺したりしたら、おじさんの祈祷なんてしませんからね」
私はヒステリックになって叫んだ。
キムは苦笑いをしながら、
「大丈夫ですよ。洋子さんがこちらに協力してくれさえすれば」と言った。
それを聞くと、私はともかく今はキムに協力するしかないことを悟った。
「それでは、今から船を下りて、飛行機に乗り換えますが、誰とも口を利いてはいけませんよ。僕と僕の仲間があなたのすぐそばにいますからね」
その時、大柄な190センチは身長がありそうな頑強そうな、ひげをはやしてメガネをかけた30代ぐらいの男が現われた。頬には傷があり、やくざ映画に出てきそうな男だった。
なにやら、韓国語でキムに言ったが、私には何を言っているのか分からなかった。低いドスのきいた声だった。
「それじゃあ、船を下りましょう。今から空港に行きますが、誰とも口をきかないように。いいですか?でないと、ジョンさんの命は保証できませんよ」とキムは言った。
国外に出るなら、パスポートなどが必要なはずだが、どうするのだろうと思ったが、そんなことは私の心配することではないと思いなおした。
「それはじゃあ、申し訳ないが、目隠しをしてもらいますよ」と言うと、キムは後ろから私の目を鉢巻のようなもので覆った。
キムに手を引かれて船を下りると、熱い日差しに体が覆われた。そして車のエンジンの音が聞こえ、私は車の後ろの席に、押し込められた。私はキムとキムの仲間の大男に挟まれて座らされた。車の中はエアコンがきいていたが、知らない男たちの体温が私の両腕に伝わってくるのは、余りいい気持ちではなかった。車の運転手もキムの仲間のようだ。まさか何も知らない人間が運転をするとは思えない。車は後ろのドアが閉まる音と同時に、動き出した。車は何度か左に曲がったり右に曲がったりした後、まっすぐな道を走り始めた。きっと空港に続く高速道路に入ったのだろう。キムも、大男も黙ったままだった。時計がないのではっきりした時間は分からないが30分も走った頃だろうか。車が停まった。
キムが私の目隠しをはずした。そして私の目の前にパスポートを差し出した。それは、朝鮮人民共和国と書かれていた。私ははっとなってキムの顔を見た。
私は北朝鮮に拉致されるのだと悟ったとき、これまで拉致されたままになっている人たちのことを思い出し、背筋がぞくっとした。
「ともかく、ここは黙って付いて来て下さい。用事が終わったら、大丈夫、返してあげますよ。ここから先は、朝鮮人のキム・キュオンとして振舞ってもらいます」
有無を言わせない態度だった。
著作権所有者:久保田満里子