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ヒーラー(18)

母親との話が一段落したところでミョンヒはまっすぐ私の目を見て言った。
「私が一緒に行動してあげればいいのですが、兄は私の行動も監視しているでしょうから、一緒に行動をすることは賢明ではないと思います」
「え、じゃあ、私一人で逃げろって言うの?私、韓国語が話せないから、すぐに韓国人じゃないってばれてしまうわ」
私は一人にされる恐怖ですくみあがった。
「勿論、あなたが一人で行動するのは危険です。母に相談したら、日本から拉致されてきた女性がいて、その女性と一緒に生活して日本語を習った女性がいるので、その人につきそってもったらどうかと言っています」
「その人は、つまりはスパイとしてトレーニングされた人ですか?」
ためらいがちに聞くと、ミョンヒは苦笑いをして、
「まあ、そういうことになりますね。ともかく、ここでは何もできません。腹ごしらえをしたら、でかけましょう」と言った。
私は、どうにか北朝鮮を脱出できそうだという望みが湧くと、とたんに空腹を覚え、目の前に出された料理をぱくついた。韓国料理は辛いと思っていたが、このホテルでは外国人の観光客が多いせいか、辛さもほどほどでキムチも食べやすく、おいしかった。おなかがいっぱいになったところで、ミョンヒの後について、レストランを出た。レストランの前で、ミョンヒの母親と別れ、私はまたミョンヒの車に乗り込んだ。
「どこにいくの?」助手席に座ってシートベルトをしめると、私はミョンヒに聞いた。
「あなたのエスコートをしてくれそうな女性の家」
「エスコートをしてくれそうということは、その人が確実に私のエスコートをしてくれるっていう保証はないのね?」
「ええ。だから、どうやって彼女を説得できるか、考えなくちゃ」
私は誰かがエスコートをしてくれると信じていたので、とたんに不安に陥った。
ホテルから車が出ると、私は後ろを何度も振り向いてみた。キムの仲間につけられているのではないかと不安で仕方なかったからだ。ミョンヒが車を停めたのは、普通の家の前だった。車がほとんど通らない通りなので、ミョンヒの車は目立った。
「こんな所で、車を駐車したら、すぐに私たちの居所が分かっちゃうんじゃないの?」
ミョンヒは、「大丈夫」と言うと、さっさと先に歩き始めた。その家のドアを叩くと、髪を後ろで束ねた50歳くらいの鼻ペチャの浅黒い顔をした女がドアを開けた。ミョンヒがなにやら言うと、その女は二人を中に入れてくれた。中はすぐに廊下になっていて薄暗かった。その女の案内でその廊下を歩いていくと、突き当たりに裏のドアがあり、それを開けてでると、裏庭があった。庭と言っても、野菜が植えられていて、畑のような庭であった。その庭に、物置小屋のようなものがあったが、その女は、その中に入って行った。ミョンヒに続いて私も中に入ってみたが、物置小屋には、鋤や鍬など、畑仕事に必要な道具があった。案内人の女は、床に膝をつけてかがみこむと、板敷きの板の一枚をはがし始めた。板は簡単にはずれ、取り除くとその下は穴になっていた。穴の中は暗かった。女は手に懐中電灯を持っており、それで穴を照らすと、階段がついているのがかすかにみえた。女が階段を降りるのに続いて、ミョンヒが続き、ミョンヒの後から、私は恐る恐る階段を下りて行った。階段は深く、階段の下はトンネルになっており、人がかがみこんで歩けるくらいの大きさだった。そのトンネルは5メートルくらいしかなく、トンネルの先にはドアが見えた。女がドアを開け、電気をつけると、そこは別世界のような豪華な部屋になっていた。明るい電灯に照らされたその部屋には、豪華なベッドとソファーがあり、浴室やトイレ、台所まであった。
「ここはどこ?」私は沈黙を破って聞いた。
案内人の女は私が韓国語を話さなかったので、驚いた顔をして私の顔を見た。
ミョンヒは、案内人の女に何か韓国語で言うと、女は一瞬顔をしかめたが、そのまま元来た階段を登って、我々の目の前から消えてしまった。
「ここは核戦争が起こったときを想定して作られた避難所なの。ここで、母の送ってくれる女性を待ちましょ」
私は北朝鮮が盛んに核兵器の開発を行っていることを思い出し、身震いした。これから、どうなるのかと思うと、暗澹たる思いだった。

著作権所有者:久保田満里子

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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