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ヒーラー(20)

ギイーとドアが開くと、25歳ぐらいの美しい女性の顔が見えた。男ではないことが分かった時は、ふうっと思わず、安堵の溜息を漏らした。
女は長い髪を後ろに束ね、清楚な感じを漂わせていた。彼女は礼儀正しくドアを閉めると、ドアの前に立ち、我々に向かって丁寧にお辞儀をして、
「野上由紀子と申します」と日本語で言った。
「日本人なの?」思わず、思いがけないときに日本語を聞いて、私は感嘆の声をあげた。
それには野上が答えず、ミョンヒが答えた。
「母の送ってくれたあなたのエスコートよ」と私に向かって言うと、何やら深刻そうな顔をして彼女と小声で、話し始めた。韓国語だったので私には何のことか分からなかった。一通り話が終わったところで、ミョンヒは私に言った。
「洋子さん。あなたは顔の整形をした方がいいわ。もう洋子さんの顔写真は国中に広まっているわ」
私は思わずミョンヒの顔を見た。
「整形?」
「ええ。どうしてそんなに驚いた顔をしているの?」
「だって、整形なんかしたら、自分が自分でなくなるような気がして、いやだわ」
「日本では整形する人いないの?北朝鮮では、整形をするほどのお金を持っている人は少ないからあまりしないけれど、韓国では親が子供の誕生日祝いに整形手術の費用を出すことが多いってきいたけど」
私は初めて聞くことで、唖然としてしまった。
ミョンヒは、
「今から、内密に整形をしてくれる医者を探さなくてはね」と、誰に頼めばいいのか、考え始めたようだった。そんなミョンヒを見て、私は不安に陥ってしまった。整形をするってどんな整形を考えているのかしら。美人に整形してもらえるなら、この際やむ終えないと我慢して整形を受けるか、そんなことを私は馬鹿みたいに考えていた。しばらく黙って考え込んでいたミョンヒは、やおら携帯を取り出し、誰かと電話で話し始めた。
私は野上が私のエスコートを承知してくれたのかどうかが心配になってきた。幸い野上は日本語が分かるようだ。
「あなたが私の国外逃亡に力を貸してくれる人ですね。私は韓国語は全然話せないので、心配で仕方がないんです。あなただけが頼りなので、よろしくお願いします」と言って、頭をさげた。
野上は力なく微笑んで、
「こちらこそ、よろしくお願いします」と言った。そこにはかすかにやりたくもない仕事を言い付かったという気持ちがほのかに感じられた。それも仕方のないことだと思った。誰が好き好んで、見ず知らずの外国人を助けるために命を投げ捨てる気になるだろうか。上からの命令だから仕方がないのだろう。それでも引き受けてくれただけで、感謝すべきなのかもしれない。
電話を切ったミョンヒは、私に向かって
「ここには手術をする設備がないから、今から出かけるわ。でも、このままの状態ではすぐに見つかってしまうから、洋子さんには悪いけれど、ジャガイモを入れる麻袋に入ってもらうわ。トラックに他の野菜と一緒に運んでもらえば、ばれずにすむわ」と言った。
そういえば、日本で拉致された人たちはサックの中に入れられたという話を思い出した。
確かにサックに入れると人目にもつかず、運びやすいだろう。ミョンヒが部屋の中にあった電話を取り上げ、なにやら言うと、すぐに案内人の女が手にサックを持って現われた。サックを受け取ると、ミョンヒは私に向かって
「それでは、サックをかぶせますから、しゃがんで手足を縮めてください」と言うので、私は言われた通りにした。すると、頭からサックをかぶされて、私は胎児のようなかっこうをしたままの状態で、サックの口が閉められた。そのサックを野上が私の足のほうをもち、案内人の女が私の頭のところを抱えるようにして、えっちらおっちら階段を登っていった。私はそれほど太ってはいないが、それでも50キロ近くあるので、女の細腕で抱えるのは重労働であろうと思われる。階段の上にたどり着くと、サックは床に下ろされ、二人は一休憩して、また家の外にまで運び出された。それから、なにやらトラックが停まる音が聞こえ、私はトラックの荷台に積まれた。ねぎやジャガイモのにおいがぷんぷんするので、トラックには野菜が積み込まれていることが想像できた。私はミョンヒや野上の声が聞こえなくなったので不安に陥ったが、サックから出るわけにもいかず、トラックが走り始めた後は、荷台で揺られるままに静かに転がっていた。30分も走った頃であろうか。トラックが停まった。そして、なにやら男の声がして、運転手がトラックから降りた。目的地に到着したのかと思ったら、そうではなかった。がやがや3,4人ばかりの男の声がしたかと思うと、トラックの後ろが開けられ、突然ぐさっという音がした。私は、その音の意味を理解すると同時に恐怖が背筋を走った。サックを鋭い槍のようなもので突き刺している音だ。また、ぐさっと音がした。その音は前よりも近くで聞こえた。だんだん自分のいるサックにその音は近づいて来る。ザクッ、ザック。頭はパニック状態に陥った。しかし、ここで大声を上げたら、それこそもうおしまいだ。声をあげないように歯を食いしばった。ザクッ、ザクッ。私の隣にあるサックが突き刺されている。もうダメだ!
 

著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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