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ヒーラー(22)

~~私は、ミョンヒとの別れを悲しんでいる時間もなかった。すぐにリー医師に、顔をミイラのように目と口と鼻の穴だけを開けた形で包帯を顔中に巻きつけられた。そして車椅子に乗せられ、リー医師のクリニックに連れられていった。クリニックにたどり着く間も、誰かに見破られないかとヒヤヒヤしたが、幸いにも誰にも見咎められることもなかった。手術室では、どこからともなく現われた看護師に包帯を取られた。
「どんな整形をするんですか?」と聞いたが、彼らの不思議そうな顔を見て、彼らに日本語が通じないことを思い出した。野上がいないか手術室を見回したが、彼女の姿は見えなかった。英語に切り替えて聞いたが、リー医師からも看護師からも何の反応も得られなかった。全面的に見知らぬ医師に頼って、別人のような顔になるのは不安であった。しかし、私には選択肢がないことを思い出した。まな板の上の鯉。そんな気持ちになった。どれくらい痛いのだろうか?痛みがひくまでどのくらいかかるのだろうか?どんな顔になるのだろうか?はっと皆が振り返るような美人になるのかな?悩んでも仕方がないことなので、できるだけ楽観的になるために、どんな美人になるか想像して楽しむことにした。そうするうちに手を消毒したらしいリー医師が現われ、私は全身麻酔を打たれて、意識を失っていった。
意識がなくなるというのは不思議な現象だ。意識がなくなっている間、自分だけが時間を失っている。目が覚めたときには、顔にヒリヒリとした痛みを感じた。痛みの感触からすると、目と鼻の手術をしたようだ。そっと手で顔に触ってみた。顔には包帯を巻きつけられていた。
しばらくすると、野上が病室に来た。
「お目覚めですか?痛くありませんか?」
「ひりひりするわ」
「そうですか。痛みがひどくて耐えられないようになったら、リー先生を呼びますから、おっしゃってください」
野上が結構気がきく人間のようなので、私は少し安心した。
「包帯が取れるまで、どのくらいかかるんですか?」
「一ヶ月くらいだということです」
「一ヶ月も!」
私は何となく手術さえすめばすぐに出国できるような気になっていたが、この何にもない病室に一ヶ月も閉じ込められているのかと思うと、気が重くなった。
「その間、私がお世話するように、言われていますから」
野上は気の毒そうな顔をしながら言った。
「ありがとう。私は韓国語はさっぱりだから、よろしくね。野上さんは日本語が上手だけれど、どこで習ったのですか?」
急に野上の顔がこわばって、
「私の個人的なことはお答えできません」と答えた。
「じゃあ、北朝鮮の事情は聞いてもいいのかしら」
「それも、困ります」
「じゃあ、結局、何も聞いてはいけないって訳ね」私はすねるように言ってみた。
「申し訳ありません」
野上は本当に申し訳なさそうな顔をしながら言った。
これから一ヶ月天井を眺めながらの生活を考えると憂鬱になってため息がでたが、私は急に気を紛らわせるのにいいことを思いついた。
「韓国語を教えるのは、いいんでしょ?」
野上の顔はぱっと輝いて
「ええ、それはできます」と嬉しそうに言った。
私は次の日から、野上に韓国語を習い始めた。まずハングルを習ったほうがいいと野上はいい、ハングルを習い始めた。ハングルはなかなかシステマティックに出来ている。子音と母音の組み合わせで字ができている。日本語だとかなを習うのは簡単だとは言え、46字覚えなければいけないが、ハングルは基本的な子音の14個と基本的な母音の10個さえ覚えれば、すべての音はその組み合わせで表せるので、ハングルを覚えるのに一週間もかからなかった。2週間目には簡単な慣用語句を、3週間目には簡単な文型を習い、1ヶ月いる間に簡単な会話ができるまでになっていた。英語を勉強したときと大違いだ。それも韓国語と日本語の共通点が多いためだろう。「市民」とか「約束」はアクセントの置き方が違うだけで、韓国語でも「シミン」「ヤクソク」と言うのだ。
昼間は韓国語の勉強で気がまぎれたものの、夜になって一人でベッドに横たわっていると、ジョンのことが恋しくなり、どうしてこんなことになってしまったのか自分でも納得がいかず、枕を涙でぬらしながら寝入る毎日が続いた。
殺されるのが恐ろしく病室を一歩も出ないで過ごす生活は、刑務所暮らしと同じだった。毎日日課のように野上にキム・チュンサンの容態を聞いたが、ニュースには全く報じられておらず、国民は彼が病気なのさえも知らされていないと聞き、驚いた。ニュースがないと言うことは彼が死んだわけではないのは確かだった。長く感じられた一ヶ月がたち、ある日病室に立ち寄ったリー医師から
「明日包帯をとってみましょう」といわれた時は、嬉しさで思わずリー医師に抱きつき、リー医師を驚かせてしまった。その晩はどんな顔になっているか色々想像して興奮し、目がさえて眠られなかった。
 

著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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